混戦
カインの攻撃が徐々にその勢いを増す。
それはつまり、より多くの魔力を生み出している証拠である。
当然カインの身体と魂は、活性化した穢れた魔力によって刻一刻と蝕まれていた。
それに加えてカルカンの攻撃である。
魔力を殆ど打ち消すシンユ・ムグラムを盾に、カルカンが放つ高密度に圧縮された空気の直撃こそ受けてはいないがその衝撃は当然カインに通っていた。
特に衝撃が初めに通る両腕の筋肉は所々裂け、少なくない量の血が流れている。
だがカインは止まらない、狂った獣の如き形相でカルカンを襲い続ける。
ニギ達が戦いを眺める中、ブラドだけが思案していた。
端から見ると攻めてている分、カインが有利に思えるだろう。
しかしカインは力を振るう間、同時に力に蝕まれているのだ。
このまま決め手が無く進んでしまえば、カインが不利になるのは明らかであった。
助ける方法を考えても有効な手がブラドには思いつかない。
カインに手を貸そうとも既に魔力は限界を迎え、体力の衰えた身体は暫く動きそうに無かった。
ブラドが苦々しく見つめている中、戦いは続く。
カインの身体が今日最大にまで膨れあがった瞬間、事は起きた。
崩壊した地面を更に抉りカインが飛ぶ。
カルカンの攻撃を受けてなおその勢いは止まらず、肉薄した瞬間2発目を喰らい後方に吹き飛んだ。
ここでブラドの予感が的中する。
はじき飛ばされたカインの脚は地面を蹴ること無く、跳ねる様にして転がっていき木々にぶつかりようやく止まる。
ついに限界が来たのだ。
しばらくの沈黙、唾を飲む音さえ聞こえる静寂を破ったのはカルカンであった。
「ふ、ふふっ、はははははははっ! やろう、自滅しやがった! クソッタレのゴミが俺に手間かけさせやがって、だがこれで終わりだ! 後は死にかけのジジイとガキを殺すだけだ!」
その顔に余裕は無く、引きつった笑みを浮かべている。
30年前、カインの祖父ガーラ・ビッグゲートに酷く痛めつけられた時のことを思い出していたのだろう。
カルカンの魔力はまだ余裕があり身体を守る風は未だ強い。
だからこそ引きつった顔がよりカルカンの内面を表していた。
ブラドが顔には出さないものの、内心焦っていた。
自身は限界が近く、頼みの綱の一つであるカインは死んではいないだろうが倒れ伏して動かない。
ライラの方も未だ動くそぶりも見せず、奥の方で力なく担がれている。
ブラドの胸中に死の文字が浮かび上がる。
だがそれでも目の輝きは弱ることは無い。
今まで経験した修羅場の数々、それがブラドを支える。
自身の死は覚悟した。ただし若い二人は別だ。
ブラドの雰囲気が変わるのをカルカンは勿論、ニギとその部下達も気付いた。
限界を迎えたはずのブラドの魔力が膨れあがり、カルカンが焦る。
「てめえっ! ブラド、自分がやろうとしてること分かってんのか!?」
カルカンが焦りの表情を浮かべて吠えた。
「ああ、勿論だ! どうなるか分からんがせめて2人は逃がしてやりたいんでな。それにこれ以上の策はねえだろ?」
ブラドがカルカンを挑発する様に言った。
そうする間にもブラドの魔力は膨らみ、その周りを炎の精霊達がまるで踊る様に取り囲んでいく。
一帯の熱量が急激に上がっていき、それに合わせて精霊達が乱舞する。
だがそれを馬鹿正直に見逃すカルカンでは無い。
カルカンがブラドを殺すべく動こうとした時、
「駄目!」
と、少女の高い声が森に響いた。
その声が響いた途端、それまで嬉しそうに踊り回っていた炎の精霊達が蜘蛛の子を散らす様に四散した。
同時にブラドから発生していた大量の魔力も熱も瞬時に消え、カルカンは針で止められた虫の様に身体を硬直させた。
ただニギだけが声がした方向を向いて、仮面で隠れて表情は見えないものの愉悦に身を震わせていた。
場にいる者達の視線の先、1人の少女が大柄なオーガ族の青年に担がれて憤怒の表情でカルカン達を睨んでいた。
少女の睨みなどカルカンはおろか、ニギの部下達でさえ気にするはずの無いものにも関わらず、何故か誰もが恐ろしいまでの重圧を感じていた。
少しでも気が緩めば膝を付き、許しを請うであろうと考えるほどの重圧を。
その少女は人間を餌と公言して憚らないカルカンから見ても驚くほどに美しかった。
プラチナブランドの髪は腰まで伸び、シミ一つ無く透き通る様な肌は着ている白いワンピースが濁って見えるほど。
フードが脱げて露わになった少し長く尖った耳を含めた全てのパーツは、神が手塩を込め作り出した芸術の様に完璧な造形で出来ている。
カインが人形の様だと感じた薄紫色の瞳は今は明確な怒りを宿し、魔力光により薄らと光り輝いていてなお美しい。
だがその小さな身体から発せられる魔力と重圧は、まるで美しいなどと言える様な代物では無かった。
カルカンの邪悪な魔力さえ可愛らしいと錯覚してしまいそうな、まるで終焉が形を変えてそこにある様な魔力。
一番近くにいる少女を担いだガヌートは、その魔力が自分に向けたモノでは無いと分かりつつも半ば白目をむいている。
ガヌートの手を離れ少女、ネイが降り立った。
ネイがその薄紫色の瞳で辺りを見渡す。
痛々しい姿にも関わらずネイを心配そうに見つめるブラド、力なく男に担がれているライラ。
そしてボロボロになって死んだ様に倒れ伏すカイン。
「お爺ちゃんとお姉ちゃんを傷つけるなぁぁぁぁ!」
ネイが叫ぶ。
次の瞬間カルカンとニギ以外の男達が消えた、文字通り跡形も無く。
血の一粒すら残さずに男達は一瞬にして消え去ったのだ。
そんな中ニギ1人だけがいち早く我に返り、全身全霊でもって逃げることに成功していた。
ただこれはカルカンがいたから成功したようなものであった。
ネイの視線はニギを追うよりもカルカンに向けられていた。
直感で理解したのだ。こいつがブラドとライラ、そしてカインとか言う男の人を傷つけた張本人だと。
カルカンの表情は引きつりや焦りを通り越して、真っ青になっていた。
目の前の少女は危険すぎる。
もし封印によって力が弱っていなかったとしても、危険な相手だとカルカンは本能的に気付いていた。
同時にカルカンを守る様に展開させていた風の盾が、勢いを増し轟音を鳴らし出す。
自身の魔力を絞り出すつもりで発生させた風の盾は本来であれば、凝縮し範囲を狭めていてすら半径数キロを根こそぎ削り取っていく暴風だ。
だがそうはならなかった。
何故ならカルカンが血反吐を吐く勢いで風を生成しているというのに、生成したその場で全て消されていくからに他なかった。
辺り一体を壊滅させるほどの極限まで凝縮した空気の層が発生した瞬間消えていく。
もしそれを止めれば直ぐさま自身がニギの部下の様に、跡形も無く消え去ることをカルカンは理解していた。
どれほどそれが続いたのか。
魔神カルカンの膨大な魔力といえど無限では無い。
限界まで魔力を振り絞った結果、プツリと風が止んだ。
だがカルカンは消える事は無かった。
カルカンを守る風が無くなるのと同時に、糸が切れた人形の様にネイが力なく倒れ伏したからであった。
終始余裕があるように見えていたカルカンが、膝に手を置いて荒い呼吸を繰り返す。
限界を示すかの様に視線は定まらず、手を置いた膝は小刻みに震えている。
あと一歩だったのにと、ブラドが心の中で独り言ちる。
ネイの力は強力だが、未だ幼いネイの身体ではその力は強すぎた。
今ならカルカンを殺すことが出来るかもしれないのに、同じく限界を迎えているブラドの身体も動かない。
場が停滞する。
争いが止まった森の中、カルカンの息だけが微かに響いていた。
破壊が過ぎ去り、辺り一帯が吹き飛んだ森の中を月の光が照らす。
ブラドは淡い月光の下、一つの影が動くのを見た。




