その5
ガタン、ゴトンと規則正しい音を立てながら、電車は何度も川を越える。
そのたびに少しずつ、空が大きくなっていく。
くっきりと力強い夏の雲。
窓から見える街並みはどんどん低くまばらになり、青々とした田んぼが目に飛び込んでくる。
都会の喧騒からたった一時間あまりで、まるで別世界だ。
大きな荷物を抱え、ひとけもまばらな駅前から黄緑色の路線バスに揺られてもう一度川を渡った。
二十分ほどで見えてくる白い建物が、町でただひとつの総合病院だ。
受付で父の病室を聞き、突き当たりの階段を途中までのぼったところで、ちょこまかと動きまわる古臭い花柄のかっぽう着が目に入ってきた。
きつくパーマをあてた平べったい頭に前屈みの姿勢。
幼いころから見慣れているはずなのに、目の前の母は記憶の中よりずっとずっと小さく見えて、声をかけるのがためらわれた。
階段の途中に立ちつくすわたしの気配を感じたのか、母は急にふりむいた。
「ゆっこ、か?」
最後に会ってからすでに四年が経ち、その間にわたしの体重は八キロも落ちていた。
母の頭にもだいぶ白いものが混じり、首の筋が浮き出て見えている。
そういえば今年はもう五十五になるはずだった。
「なんだ、ずいぶんやせたな。どうせろくな生活してなかったんだろ」
どうしていつもこの人は、ただのひとことでこうもわたしをいやな気分にさせるのだろう。
「別に、そんなんじゃないよ」
わざと何でもないことのように答える。
母は眉をひそめ、大きくため息をついた。
「まったく、だからいわんこっちゃない。女が東京で仕事なんて、ロクなことになりゃしないんだから」
「だから、違うって。ダイエットしたの!」
いら立ちで思わず大きくなった声に、手すりにつかまってよろよろと前を歩いていた見知らぬ老女が振り返る。
仕事が忙しいからと言い訳をして、盆も正月もずっと帰らずにいた。
両親は、私が今でも東京の出版社で働いていると思っている。
「言ったろ? 女はな、なんだかんだ言ったっていいところにお嫁に行くのが一番なんだから。上の学校いったって、変に生意気になって縁遠くなるだけだって。ゆっこも姉ちゃんみたいに短大ぐらいでやめときゃよかったんだわ」
母の言うことは昔から同じだ。
大学に行きたいと切り出したときも、そのまま東京で就職すると決めたときも、女には必要ないと大反対されたのだ。
「ああもう、そういうのはいいから」
「よくないわ。ゆっこだってもう二十六だろ? いいかげん先のこと考えないと……」
母はわたしのいら立ちなどまったく気にもとめず、なおも話を続けようとする。
――なにもわかってないくせに。
喉元まで出かかったそのことばを、それでもぐっと押さえ込んだ。言い返しても果てしない口論になるだけなのは、わかりすぎるほどわかっている。
「……それより、父さんはどうなの」
「ああ、明日手術なんだ」
「それは電話で聞いた」
「そっか、そうだな。ああ、そうだ、ゆっこがいるなら、ヘルパー頼まなくてもいいな。二人いれば、どうにかなるだろ」
最後はひとりごとのようにつぶやくと、母はしばらくうなずきながらなにか考え込んでいた。そして突然目の前の娘に興味を失ったかのように、くるりと踵を返してどこかにいってしまった。
「え、ちょっと、なに?」
ひとり廊下に取り残されたわたしは、迷子みたいに途方に暮れる。
なにもかも相変わらずだった。
母も、そしてわたしも。