その40
東の空が白み始めていた。
わたしたちを乗せた白い車は、逆回転しているかのように昨夜の待ち合わせ場所へと戻って行く。
ぼんやりと浮かび上がる見慣れた街並み。
いつもの公園、電話ボックス。
でもその何もかもが、昨日までとはまったく違う顔をしているように見えた。
彼は柳町公園の入り口でゆっくりとブレーキをかけ、ハンドルにもたれて小さくため息をついた。
「もう、帰らなきゃね」
「……うん」
「今日もまた、会える?」
おずおずと彼が尋ねる。
わたしは黙ってこくりとうなずいた。
「じゃあ、また同じ時間に、ここで待ってる」
「うん。じゃあ、また……」
指先に絡みつく、痛いほどの名残惜しさ。
離れることができない二重惑星のように、わたしたちは別れ際にまた何度も口づけを繰り返した。
吸い寄せられるように互いの頬に触れもう一度唇を重ねてから、ようやくつないだ手をほどいて車から降りる。
寂しい、寂しい、寂しい。
心臓をぎゅっと押さえながら、無理やりドアを閉めた。
少し歩いてはまた振り返り、彼の笑顔を目にするたびに駆け戻りそうになる。
公園の先の角を曲がり、とうとう白い車が見えなくなったとき、半身をひきちぎられたような喪失感と同時に涙が出るほどの高揚感が襲ってきた。
幸せで、寂しくて、不安で、嬉しくて、わたしは今にもはちきれそうだった。
ふわふわと夢を見ているような足取りで、夜明け前の道を急いだ。
と、最後の角を曲がったとき、異変に気がついた。
玄関の明かりがついたままだ。
出かけるときには、確かに消えていたはずだった。
時間はまだ四時を回ったばかり。
父がもし起きていたとしても、外に出るとは考えられない。
嫌な予感がした。
あわてて母屋の玄関の引き戸を開けようとしたが、鍵がかかっている。
離れのドアを開けると、新聞のチラシの裏に太いマジックの乱れた文字が躍っていた。
『母さん急変、病院に行く』
急変?
嘘だ。
嘘に違いない。
だって昼間はあんなに元気で、いつもの調子で病院の食事に文句をつけていたではないか。
けれどそう思う一方でわたしはすでに絶望的に悟ってもいた、それが決して嘘ではないことを。
ああ、よりによってどうしてこんなときに……
――まったく、ゆっこはしょうがねえな。
耳の奥で何度も繰り返される重苦しい声を聞きながら、わたしは必死に自転車のペダルをこいだ。
どこをどう走ったのか、まったく覚えていない。
それでもなんとか病院に到着し、足をもつれさせながら母の元へ急いだ。
「あ、ゆっこ! こっちよ、こっち。早く、母さんが、母さんが……」
姉の切羽詰まった呼び声。
ちょうどその直後、病室から手負いの獣のような悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ああぁ、こいつ、俺を置いて逝っちまいやがった!」




