その36
ひと月あまりの入院ですっかり体力が落ちた父は、家に戻ってからも横になって過ごすことが多かった。
母は家のことをわたしに任せ、ラジオを腰からぶら下げて毎日朝早くから畑に出ていく。父が動けなくなった分をしゃかりきになって埋めようとするかのように。
そんな生活が一週間ほど続いたころだった。
母が突然激しい腹痛を訴え下血した。
半ば意識を失って救急車で運ばれていく間にも、「白菜植えないと……」とうわごとのようにつぶやき続けていた母。
検査の結果は大腸癌で、すでにかなり進行しているらしく、すぐに手術の日取りが決められた。
「何も二人仲良く癌にならなくたっていいのに……」
急を聞いて駆けつけた姉が、目を真っ赤にし口元を歪ませる。
が、母自身どこまで事態の深刻さがわかっているのか、とりあえずの処置でいったん状態が落ち着くや否や、さっさと悪いところ切って家に帰してくれといつもの調子で言い放った。
そのようすを見ていると、ほんとうにあっという間に帰ってこれるような気がした。
癇症の母は、ほんの少し汗をかいただけで下着も寝巻も着替えたがる。
わたしは毎日病室から山のような洗濯物を持ちかえり、一日に何度も洗濯機を回した。
胃が半分しかない父は、一度にほんの少ししか食べることができない。
消化がよくて栄養価が高いものをと、料理の本とにらめっこしながら一日に五度食事を用意した。
その合間にはいつものように庭を掃き清め、雑巾がけをし、畑の草取りをする。
通りかかった近所の人が、
「母ちゃんもいっつもきれいにしてたもんなぁ。ゆっこちゃんがやってくれるから安心だ」
と目を潤ませ、そのたびに笑顔を貼り付けて曖昧にうなずく。
親孝行な娘。
誰も知らないのだ。
いい大学に入りはしたけれど、中身は何もない空っぽなわたしを。
何の仕事も続かず、だらしなく男に体を開いて生きていたわたしを。
みんな気づかないのだ。
ほんとうはすぐさまこの苦労から逃げ出したい気持ちでいっぱいの親不孝者だということに。
そのくせこの年になってもまだ、捨てられた子どものような頼りない気持ちを抱えたまま途方に暮れているのだと。
北川君。
もしかしてあなたなら、本当のわたしを見つけてくれるのだろうか。
情けないこんなわたしを、丸ごと抱きしめてくれるだろうか。
祈るように畑の隅にうずくまり、乾いた地面にポトポトと涙を落とす。
今、どうしようもなく、あなたに会いたい。




