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その35

 翌日、予定通りに父は退院した。


 手続きを済ませてタクシーが来るのを待つ間、何人かのナースが玄関まで見送りに出てきてくれた。


「井原さん、よかったですね。でも、家に帰ったからって、あんまり急に無理しちゃだめですよ」


 千尋が、ピンクの唇の両端をニッと持ち上げ笑顔を作る。


「はい、はい。本当に、いろいろお世話になりました」


 白髪の混じった頭を深々と下げる父。

 だいぶ痩せてはしまったが、晴れ晴れとしたその表情からは退院を心待ちにしていたことがひしひしと伝わってくる。



 ナースたちがそれぞれお祝いのことばを述べて持ち場に戻ってしまうと、千尋がわたしをそっと物陰に手招きした。


「あのね、こんなこと、わたしから言うのも変なんだけどさ」


 声を落として千尋がささやく。


「……北川君のこと、よろしくね」


「え?」


 耳がカッと熱くなる。


「そ、そんなこと……」


「まだ毎日会ってるんでしょ?」


「いや、その……」


「だからさ、今さら隠したって、意味ないから」


 千尋はあきれたようにため息をつく。


「センセイって、なんでそんなに自信なさそうにしてんの?

 昔っからそうだよね? 成績だっていいし、絵も習字もうまかったし、何だってできるのにいっつもおどおどして、わたしは何もできませんみたいな顔して。

 それって……周りはよけいに、惨めな気持ちになるんだよ」


「……ご、ごめん」


 反射的に謝ると、千尋はますます険しい顔になる。


「だ、か、ら、そこで謝らない。

 そんなふうだから、ついついイジワルしたくなるんだよ。

 いい? あんたはね、やることちゃんとやってるんだから、もっと堂々としてたらいいのっ」


 そしてぶっきらぼうな口調で照れくさそうにこう続けた。


「そうでないと……わたしがふられた甲斐がなくなるでしょ」


 わたしは驚いて千尋を見た。

 彼女は小さなため息をつき、口を尖らせ視線をそらす。


「まあそもそも、わたしの手には負えないって気はしてたんだけどさ。

 いつもへらへら笑ってるけど、実はなんかしんどいもの背負ってるでしょ、あいつ。

 悔しいけどさ、不器用で嘘のないセンセイにだったら、心を開くような気がする」


 なんと答えていいかわからず戸惑うわたしの目の前に、タクシーが停まった。


「ま、せいぜいうまくやんなさいよ」


 そう言って千尋はテキパキと荷物をトランクに積み込み、満面の笑顔でわたしたちを送りだした。

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