その31
――国道沿いのファミレスでも行った? で、小さいころの話とか聞いちゃったのかな。
意味ありげな千尋のことばがぐるぐると頭の中を回り続ける。
一気に世界が灰色になった気がした。
まるで何かの回路がぷつんと切れたみたいだ。
やらなければならないことはたくさんあるのに、体がちっとも思うように動かない。
いくら考えようとしても夕飯のメニューは思いつかず、台所に立つ気力もまったくわかなかった。
冷凍食品のコロッケと、千切りのキャベツと、炒り卵。
途中で何度も座り込み、母の分だけはどうにか詰め終えた。
味も素っ気もないお弁当からは、「こんなもんでいいんだろ」という声が聞こえる気がして、泣きたくなった。
何度もためらい、受話器を持っては戻し、深呼吸をして、やっとの思いで北川君の家に電話をした。
ひどく迷ったが、黙って約束をすっぽかすことだけはどうしてもできなかった。
一回、二回と、コール音が聞こえる。
体中が心臓になったみたいに脈打っている。
『はい、北川です』
受話器から聞こえるいつもと同じ柔らかな声に、息が止まりそうになる。
「あ、あの、井原、です」
『ああ、ゆっこちゃん、どうしたの? 今出ようとしてたところだけど』
「あ、あの、その……ご、ごめんなさい。今日、夕飯、作るの無理かも……本当に、ごめんなさい」
『え? どうしたの、何かあった?』
「えっと……あの、ちょっと、そう、調子が悪くて……」
『大丈夫? どんな感じなの? どこか痛いの?』
北川君の声の必死さに、思わず胸が熱くなる。
でもきっとこの人は、誰に対してもこうなのだ。
そう何度も自分に言い聞かせ、高ぶる気持ちを押さえつける。
「ううん、どこも痛くはないんだけど……なんか、すごくだるくて……でも、寝れば治ると思うから」
『お母さんの食事は?』
「うん、それだけはなんとか作ったから、少し休んでから持っていこうかと思って」
『じゃあ、ちょっと待ってて、すぐ行くから』
「え?」
その言葉を確かめる間もなく、電話は切れてしまった。
五分ほどすると、玄関の呼び鈴が鳴った。
軽いめまいを感じながらふらふらと出ていくと、そこには北川君の姿があった。
「うーん、顔色悪いね。疲れてるでしょ」
わたしは黙って視線を落とした。
気持ちのせいなのか本当に体がおかしいのか、自分でもよくわからなくなっていた。
「お母さんの食事、僕が持っていくよ」
「いや、それは……」
「え、だめ? いいじゃない、ゆっこちゃん具合が悪いみたいなんでって言えば」
「うん、あの人、そういうのはちょっと……」
子どものころから、風邪をひいてもケガをしても、どうしてそんなに面倒をかけるのかと、母はわたしを怒った。
わたしはいつしか、弱った自分の姿を、母にだけは決して見せたくないと思うようになっていた。
けれどそんなこと、どう説明していいかわからない。
わたしは握りこぶしを口元に強く当てて、唇を左右に歪めた。
北川君はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて思い切ったように言った。
「よし、じゃあ、病院まで乗せてくよ。ただし、そのあとはちゃんと休むこと」




