その27
走り出した車内に、ささやくような歌声のスローバラードが流れはじめた。
車は細い道をくねくねと抜けて、バス通りへと向かう。
何度も何度もカーブを曲がるそのたびに、体が横に倒れていってしまわないよう足にぐっと力を込める。
「料理って、お母さんに教わったの?」
「え? ううん」
信号が赤になり、小さなセダンは静かに停まる。
「うちの母は、なんていうか……そういうの、全然ダメな人だから」
「なるほど」
北川君は納得したように小さく笑った。
「あ、でも、姉はすごく上手いよ。料理も、お裁縫とかも」
「お姉さんって、この間、病院で会った人?」
「そう。あの人はね、すごいの。家事だけじゃなくて、優しいし、しっかりしてるし、気が利くし、それでいてでしゃばらないし」
「ああ、そうだね、確かに、そういう感じだね」
この前のことを思い出していたのか、視線をしばらく宙に浮かせたあとで北川君がうなずいた。そもそも自分が姉をほめちぎったくせに、北川君があっさりそれに同意するとじりじりと嫉妬する。
何という矛盾。
「えっと……北川君のお母さんは? 料理、上手なの?」
話の矛先を変えようと何気なく口にしてから、しまったと思った。
「あ……ごめん」
「ん? ああ、いいよ、別に」
「でも」
「いいってば。そんなに気を使われると、逆に困るでしょ」
「……ごめんなさい」
しょんぼりとうつむいているうちに、涙がにじんでくる。
さっきまでの華やいだ気持ちがウソみたいにしぼんでいく。
やっぱりわたしはダメだ。
姉のようにはなれない。
やがて信号が青になり、北川君がアクセルを踏みこんだ。
「無神経なこと言っちゃったって、思ってる?」
「……」
のどに絡まって声が声にならなず、ただかすかにうなずく。
「だから、気にすることないって」
「……」
ふっと小さなため息が聞こえた。
「バカだなあ」
そう言って彼は、下を向いたままのわたしの頭を軽くポンポンと叩いた。
するとそれが合図みたいに、ポロポロと涙が止まらなくなる。
どうしてわたしは、こうなのだろう。
せっかくの楽しい時間が台無しだ。
顔を上げることもできないままで、車はひたすらに走り続ける。
しばらくすると、ブレーキがかかる音がした。
「ほら、ちゃんとこっち見て」
北川君がわたしのおでこを軽く触る。
おそるおそる見上げると、彼はほんの少し困ったような顔をしている。
「怒ってるわけじゃないから。ね?」
「……はい」
「まったく、ゆっこちゃんったら」
北川君はそう言って、その長い指でわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「でも、ちょうどよかった。いずれあなたには、ちゃんと話そうと思ってたんだ」




