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その17

 今にも泣きそうになるのをこらえて、必死でさっき見ていた手順を思い浮かべる。


 まず寝巻の裾をはだけて、おそるおそるオムツのテープをはがす。

 目の前に現れた肌は、赤銅色に焼けた腕とは対照的に悲しいくらい真っ白だ。


 しょんぼりと見える父の下部。

 それを自分が目にする時がくるなんて、思ってもみなかった。


 どうしてわたしが……。


『無理しないで病人の世話なんかできるわけねえだろ。誰も代わりにやってくれやしないんだから』


 母のとげとげしいことばがふとよみがえる。

 ようやくわたしは、その本当の意味がほんの少しだけわかった気がした。



 顔をそむけた父の唇が、かすかに震えている。


 自分がやるしかないのだ。

 ごくりと唾を呑み込み、覚悟を決める。


 オムツを少し下にずらし、おしりふきでおそるおそる股についた便を拭きとった。

 これを一体どこに置くんだった? 


 千尋はあんなに簡単そうにやっていたのに、いざ自分でやってみると戸惑うことばかりだった。

 手にも便がつき、それを拭くためにまたおしりふきを使う。

 ようやくはかせた紙オムツは、ウエストがガバガバで左右がずれている。


 何度もやり直し、どうにか形になったときにはすでに三十分が過ぎていた。

 わたしは背中まで汗びっしょりになっていた。




「ごめん、うまくできなくて」


「……いや」


 父はぽつりとそう言って、辛そうに目を伏せた。


 きっと姉なら、こんな場面でもそつなくこなしていくのだろう。

 いたたまれなさに下を向く。



 けれども、やがてそんなことなど考えていられなくなった。

 父の下痢はおさまらず、わたしは一日中、ほとんど一時間おきに、時には三十分もたたないうちにオムツを取り替え続けた。

 必死だった。




 五時を過ぎると、母がやってきた。

 目の下のクマはだいぶ薄くなり、胸元にレースがあしらわれた水色のエプロンをきっちりとつけている。いつもの母だ。

 ホッとして、洗濯物の袋を持って病室を出ようとした。


 すると、それを追いかけるように背中から父の声がした。


「ゆっこ、今日は……すまなかったな」


 わたしは驚いて父を見た。


 深く落ちくぼんだ目は、ひどく打ちのめされた人のそれに違いなかった。

 うろたえて視線をそらしながら、不器用にことばを探す。


「ああ、いいよ、べつに。わたし、ああいうの、全然いやじゃないからさ」


 父の瞳が、見る見るうちに潤んでいく。





 病院を出て、西日に照らされながら自転車をこいだ。


 街路樹からはうるさいほどの蝉の声。

 用水路には今日も帽子をかぶった子どもたちがたむろしている。


 薄っぺらいインド綿のワンピースのすそが、アスファルトの熱気を浴びながらひるがえる。


 緩やかな上り坂にさしかかり、力を込めてグン、とペダルを踏む。


 いつもはやっとの思いで上る坂が、やけに楽に感じる。

 腹の底から力がみなぎってくるような、不思議な感覚。


 ――こんなわたしでも、少しは役に立ったのだろうか。


 うっすらと視界がぼやけ、ほんのりと温かいものがさざ波のように心の中に広がって行く。


 ――話したい。誰かとこの気持ちを、分かち合いたい。



 ふと昨日の光景が思い浮かんでくる。


 風に乗って流れてくる香ばしいタバコのにおい。

 柔らかな笑顔、シャツ越しに感じた体温。


 彼なら、わたしの話をうなずきながら聞いてくれるだろうか。



「何をバカなことを」


 声に出してそう言いながらもなんだか無性に嬉しくなって、夕日に向かって力いっぱい自転車をこぎ続けた。

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