その13
「井原さーん、気分はどうですかぁ」
聞き覚えのある声が、遠くから呼びかけてくる。
四角く白い壁と天井を背景に、千尋の丸い輪郭がぼんやりと目に映る。
返事をしようとかすかに口を動かすが思うように声が出ず、冷たい汗にまみれてただ苦しく息を吐いた。
「たぶんただの貧血。もう少し休んでたらよくなると思うから、北川君も、そんなに心配しなくて大丈夫だよ」
「でも、やっぱり心配だから……動けるようになったら送ってくよ。どうせ帰り道だし」
わたしのことを知っているような口ぶりだが、この男性はいったい誰だろう。
「毎日暑いもんねぇ。井原センセも疲れが出たんでしょ。一日中ただ病人に付き添うのって、傍で見てるよりずっと大変だから」
「そっか、そうだよね。僕みたいに何かやることがあるほうが、かえって楽なのかもしれないね」
ということは、この人も誰かの付き添いに来ているのか。
「それにしても、センセ、一体いつから倒れてたのよ。まあとにかく、北川君が気づいてくれてよかった」
「じゃあこれで、屋上のタバコも見逃してもらえるのかなあ?」
千尋の顔が一瞬気色ばむ。
「それとこれとは話が別」
「冗談だよ。もちろんわかってます。早坂さん、怖いからなあ」
二人の声は明るく笑いを含んでいる。
流れるように自然なやりとり。
それはわたしがいまだに手に入れることのできないもののひとつだ。
こうして他人の会話を聞いているといつも、自分だけがひどく場違いな気がしてしまう。
が、早くここから立ち去りたくても、体はまだ言うことをきかない。
無理やり起き上がろうとしたが、やはりふらついてすぐに倒れこんでしまった。
「ほらほら、無理しない。まだ横になってたほうがいいって」
北川と呼ばれていたその男性が、明るい色の人懐っこい瞳でこちらをのぞきこむ。
「すみません……」
そう言いながら、彼のまっすぐな視線に思わずあとずさった。
「井原さん、なんで敬語? 同級生なんだから、別にいいよ」
「……同級生?」
わたしがポカンとしていると、千尋が小さく肩をすくめた。
「ほらやっぱり、覚えてないでしょ。わたしだって、全然わかんなかったもの」




