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その11

 あまり来れないと言っていた姉は、それでも三日と開けずに美咲と大悟を連れてやってきた。


 二人の孫が病室の入り口からぴょこんと顔を出すと、ぐったりとベッドに横たわったままの父の目のふちが、パッと赤くなる。


「あぁ、いつも、悪いな」


 手でパタパタと顔を仰ぐ汗まみれの姉に向かって、ぼそりと父がつぶやく。


「いや、このくらい平気平気。

 あ、でもこの間はさすがにまいったわ、帰る途中で美咲も大悟も寝ちゃってさ。荷物も子どももどっちも置いてくわけにいかないからね。

 なんとか二人担いで電車に乗れたけど、もう肩がこって吐きそうだったわ、アハハ」


 そう言って姉は、すっかり肉づきのよくなったお腹を叩きながら豪快に笑った。

 独身の頃の線の細さは、今では見る影もない。


 そんな姉の勢いにつられて、父も力なく笑う。

 体に入っていた管は取れ熱は下がってきたものの、一週間近くたつのにまだ何も口にできず、体力は戻らないままだ。

 それでも三人が来ると、明らかに表情が生き生きとするのがわかる。




 姉が嫁いだのはとても裕福な家で、結婚式も、こちらが気後れするような都内の一流ホテルで盛大に行われた。

 けれどもいざ向こうの親との同居が始まると、朝から晩までまるで女中のようにこき使われたという。


 小姑が仕事に持っていく弁当作りを皮切りに、休む間もなく掃除洗濯食事のしたく、次から次へとやることが湧いてくる。

 しかも姑がずっと家にいて目を光らせているので、実家に電話をするのも一苦労らしいと、母が嘆いていたのを覚えている。


 姑が去年亡くなったから、こうして出てこれるようになったの。

 こう言ったら何だけど、まあよかったわ、と、姉は屈託なく笑った。


 そんな苦労を続けると女はここまでたくましくなれるのか。いや、逆にそこまで苦労しなければ世間には認めてもらえないのかもしれない。

 そう考えるとぞっとした。




 ひとしきり華やいだ病室の空気は姉たちが帰ると急に沈みこみ、父の顔にもどっと濃い疲れがにじむ。

 それを見るたび、わたしの心はひりひりと痛む。


「亜希子姉ちゃんは、えらいよね。だって……ほら、お姑さんいるときも大変だったけど、あの、今だってさ、子どもも小さいし、向こうのお父さんも調子よくないのに。

 今日だってあれ、ほら、きんぴらとか、そう、あの……煮豚、煮豚とかも作ってきてくれてさ。すごいよ。わたしには、とってもできないや」


 少しでも父の気持ちを引き立てようと、うわずった声で姉のことばかりを必死に話し続けた。父も弱々しい微笑みを浮かべながら、ぎくしゃくとしたわたしの話を黙って聞いている。


 が、とうとうことばが途切れ、いつもの重苦しい沈黙が病室に広がった。


 レースのカーテン越しに差し込む午後の光。


 父はまぶしそうに目を細め、枕にのった頭を大義そうにゆっくりと動かした。そしてふうと息をつくと、かすれる声で満足そうにつぶやいた。


「あっこは、我慢の子だからな」


 どっしりと太い父の眉。

 ここ数日ですっかり落ちくぼんでしまった眼は、けれども深く慈しむかのような、温かい光を宿していた。


「そっか……そうだよね、お姉ちゃん、昔から我慢強かったもんね。そっか、我慢の子、か」


 わたしは、点滴の残りを確かめるふりをして天井のほうを向いたまま、何度も笑顔でうなずいた。


 かなわない。


 そう思ったら不意に泣きそうになり、ああ、洗濯物を取り込んでこなきゃと言い訳をして、逃げるように病室をあとにした。

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