或る機銃手の話1
ーー北歴1928年 7月15日 眠陽海洋上ーー
大海原を西へ向かうヘウルムヴェル共和国所属の軍艦郡がいた。
マストには左から赤青黒のトリコロールで、青の所の上に底辺が右の黄色の台形が描かれたヘウルムヴェル共和国の国旗が海風になびいている。
このマークはヘウルムヴェル共和国が成立する前、この世界の二つの大陸の内の一つ、モノランドの西側諸国の亡命者達が、まだ未開の地であったもう一つの大陸、ドヴァーグラウンドへ流れ着き、原住民と共にヘウルムヴェル共和国を建国したことを象徴している。
その軍艦郡の構成は2隻の空母を主力とした駆逐艦9隻、軽巡洋艦2隻を含む計14隻の機動部隊であった。
この艦隊は先日、味方潜水艦から機動部隊と思われる敵の大規模部隊が接近中の報告を受けた為、派遣された。
このまま接敵し、戦闘に入れば、ヘウルムヴェル共和国とヒタチ帝国との間で戦争が勃発してから、始めての機動部隊同士による戦闘になる。
本来なら、乗組員達は多少の恐怖はあったとしても、胸が高鳴っているはずである。
しかし、乗組員達の顔はとてもいいものとは言えなかった。
リーア級駆逐艦14番艦キリア・リーアの上部甲板にいる一機銃手ギルヴィス・シュワーデン上等兵も、その冴えない顔の中の一つだった。
「ギル、どうしたんだ? 空ばっかり見て。いつものお前らしくないじゃねーか」
甲板の手すりに身を預けるギルヴィスに声をかけたのはマーカー・リドリー上等兵である。
この二人は艦内で知り合ったのではなく、同郷の友達である。
開戦による臨時徴兵で志願し、違う訓練所で訓練を受けたのだが、配属先は運良く同じ艦となった。
「今回の作戦お前も知ってるだろ?」
「敵機動部隊の撃滅。それに伴う敵空母飛行部隊来襲時、それの迎撃及び迎撃時の新装備の実用試験。ブリーフィングで何度も言われたから忘れる訳無いだろ?」
マーカーの言った通り、洋上に出てすぐに行われたブリーフィングでは、敵機来襲時機銃及び、砲の近接信管を搭載した対空弾薬の試験を言い渡されている。
近接信管とはその名の通り、砲弾が当たらなくても、目標物の近くで起爆できるレーダーのようなものだ。
そのため、敵機に被害を与える量が増え、対空迎撃能力が上昇するという。
「そうだけどさ。お前は聞いたか? 俺達の部隊は作戦とは名ばかりの囮扱いだとよ」
「えっ、それ本当なのか?」
「先輩達の中ではもっぱらの噂だぜ? よく考えてみろよ。機動部隊て言うわりには2隻の空母だけだぜ? それに風の噂では空母は艦戦(艦上戦闘機)しか載せてないと聞くじゃねーか。初戦闘でこれはあんまりだぜ…」
今艦隊の主軸となっているシルバーライオン級の空母、五番艦シルバードッグ、六番艦シルバーゴートの二隻である。
シルバーライオン級はヘウルムヴェルが世界で初めて空母として設計した空母である。
設計、開発から11年は経つが、改装を何度か繰り返しており、大きさはヒタチ帝国の孤峰型には劣るが十分空母としての機能は有している。
この2隻も同様の改装を受けており、十分な機動部隊運用はできた。
しかし、ギルヴィスが言う通り、敵が大規模なら二隻でも少ない。
「そういえば、随伴の駆逐艦も新型のリーア級は俺達含め2隻でそれ以外は一つ旧式のピック級だしな…」
二人は揃ってため息をついた。
そして、これから置かれるであろう自分達の厳しい現実に、半ば諦めるのであった。
ーー北歴1928年 7月15日 眠陽海洋上 キリア・リーア艦内ーー
「そしたらよぉ、そいつ吐きやがったんだよ。抱いてる女の胸に」
「ハハハ、そいつは傑作だ」
水平線の彼方に日が沈んで三時間が過ぎた頃、狭苦しい兵員室では、下士官も混ざっての大酒宴が行われていた。
任務中の飲酒は日常的なものではないが、今回は艦長自身が許可を出した特例だった。
しかし、任務中なことは変わらないので、当直の兵員はこの酒宴に参加してない。
当直に当たることになった兵員は大層残念がったが、その兵員には代わりとして甘いものが配られている。
ギルヴィスに加え、マーカーは幸運にも当直からは外れたので、輪の一つで呑んでいる。
「ウェッヘヘ」
「けどさぁ。戦闘機が満載でもよぉ。日立帝国の陽昇は強いんだろ? 勝てるのかぁ?」
「大丈夫だろ。強いといっても撃てば火が出る焼鷹なんだろ? 新型信管がある俺達の敵じゃないぜ」
輪の中の一人が言った陽昇に焼鷹というあだ名がついているのは事実だった。
理由は燃えやすいからである。
現に陽昇は戦闘機にしては大型であり、加えて航続距離が長い分、燃料タンクも大型化しているので被弾しやすいし、燃えやすくなっている。
しかし、この呼ばれるきっかけとなったのは、モノランドの内陸国で起こった空戦に由来する。
ヘウルムヴェルの同盟国のアラフソと、日立帝国の傀儡国ともいえるシアーナ(越山国)の間で起こった空戦に由来する。
日立帝国から提供された陽昇を操るシアーナの搭乗員と、今回の世界大戦の発端でもあるイラーフ・モイラー大国から輸入した陸上戦闘機ハイラントを操るアラフソ搭乗員。
結果としては陽昇が負けた。
だが、負けたとはいってもあくまでシアーナの搭乗員がであり、その上その時の敵はジークではなく、ハイラントである。
それに対し今回の敵は練度が高いと名高く、モノランドの内陸部で実戦も積んである日立帝国の搭乗員である。
決して、ヘウルムヴェルの搭乗員の練度が低いというわけではないが、開戦してから日が浅い為、こなした実戦の絶対数が違う事に関しては大きなハンデを背負っていた。
改めて説明されるまでもなく、そんな事は末端のギルヴィス達ですら承知の上である。
しかし、誰もが勝てると思っていた、思うしかなかった。
絶望に満ちた作戦の中では、酔いと、まだ見ぬ新型信管の威力に誰もが一縷の望みをかける他なかった。
明日の自分の姿が消えないように。
□□
ーー北歴1928年 7月16日 眠陽海洋上 キリア・リーア艦上ーー
水平線から日が昇り、新しい朝が訪れた頃、キリア・リーアの全乗組員に戦闘配置命令が下された。
ギルヴィスも後部にある第三砲塔右舷側に設置されている、一丁の12.7㍉単装機銃を構え待機している。
「二時の方向! 敵水上偵察機です!」
キリア・リーアに戦闘配置命令が出されてから何時間か経った頃、指を指す見張り員の声が艦上に響いた。
その指の先には腹にフロートを抱いた飛行機が一機、ヘウルムヴェルの船団を覗き込むようにして飛んでいる。
見張り員の言った通り、日立の艦隊から発進した水上偵察機 昇だった。
見張り員が叫んでから間もなく、ギルヴィスの左後ろにある第二砲塔がゆっくりと動きだす。
そして、昇へとその砲塔を向けると、ブザーが鳴った。
発砲の合図だ。
ギルヴィスを含める砲塔近くの甲板に出ている兵士達は耳を塞ぐ。
一瞬の間の後、10cm単装砲から砲弾が放たれた。
他の艦も次々と発砲し、昇付近で爆裂音が鳴り、いくつもの黒煙があがる。
煙が晴れた先に見えたのは艦隊に背を向ける昇の姿であった。
「新型弾でもあんな下駄履き一機すら墜とせねえのかよ…」
誰かが言った呟きはこの場にいるものの心の声を表すものだった。
それを感じ取った観測手の軍曹は叱咤激励するが、到底ギルヴィス達にその声は届かなかった。
昇発見と共に、シルバードック、シルバーゴートの両艦からジークが発艦され始めた。
戦は自分達の都合で止めることはできない。
刻一刻と激動への歯車は動き出していた。
□□
快晴の青空をかき消すように黒煙が広がり、雄々しい波の音が遠退くぐらい人の叫びと銃声が轟く。
数分前からこの状況が続いている。日立の空母郡から発艦された艦攻、艦爆がヘウルムヴェルの艦隊への攻撃を始めたのだ。
「弾をくれ!こっちに!早く!」
「アルムがやられた!おい!衛生兵!衛生兵!」
右往左往から阿鼻叫喚が飛び交う。
ギルヴィスはその中、ただ目の前の機銃を撃ち、弾が切れたら装填し、また撃っていた。
ーーダダダダダダーー
ギルヴィスだけでなく、他の機銃員も何かに取りつかれたように撃ち続けていた。
隣の戦友が敵機の機銃掃射で撃ち抜かれても。
甲板を走る衛生兵が至近弾の衝撃で海へ落ちようと。
自分に課せられた目の前の仕事に全神経を注いでいた。
「うおおおおおお!」
キリア・リーアから放たれた対空弾が、魚雷を放つため低空飛行していた海燕に直撃し、墜ちる。
しかし、それを見ても誰もその戦果を喜ばず、他人ごとのようであった。
否、自分が生き残る。この感情を入れると他のことは見えなくなるのだ。
ギルヴィスのような新兵は特にそうであった。
ーゴオオオオオンー
爆音とともに海上より黒煙が上がった。
シルバードックに敵艦爆より投下された爆弾が直撃したのだ。
被害を受けてるのはの空母だけではない。
他の艦も満身創痍である。
キリア・リーアも例外ではなかった。
直撃弾は無いものの、機銃掃射を幾度か受けており、その箇所周辺には血痕、血だまり、死体などが機銃掃射後であることを無惨にも物語っていた。
ギルヴィスは運か不運か、今だ機銃を撃ち続けていた。
その撃たれた弾丸は通りすぎる敵機にはかすりもせず虚空に消えていく。
今ある弾も数秒の内に撃ち尽くし、次の弾装に変えようと弾が入った木箱を見たが、その中は空だった。
近場の他の木箱も見たが同様にない。
それに加え、不思議なことに近くの機銃が静まりかえっている。
それに気づき、今まで狭まっていたギルヴィスの視界が広がる。
目を開いたまま胸に風穴が開いている観測手の軍曹。
隅で耳を塞ぎ震え続ける新米の衛生兵。
自分自身のもげた片手を持って絶命している機銃員の同僚。
そして、血と重油で汚れた己の四肢。
右舷甲板はほぼ全滅であった。
ギルヴィスはこの戦闘が始まってから初めて手を休めた。
爆発音、エンジン音、発砲音、怒声……様々な音がギルヴィスの中を通り抜けていった。
するとその雑音の中で一瞬、鮮明な声が聞こえた
“右舷!魚雷1!右舷甲板乗組員は退避!"
ギルヴィスは確かに聞こえたはずだった。
しかし、彼は少しも動こうとはしなかった。
そして、その間髪なく、鼓膜が破れるほどの爆音と共にキリア・リーアの右舷艦首付近から大きな水しぶきが上がる。
魚雷命中の瞬間であった。
よほど当たった位置が悪かったのか、キリア・リーアは10分も経たずに艦首方向へ傾き始めた。
弾薬、機材、死体……重力に逆らえないもの達が段々と艦首方向へと吸い寄せられていく。
ギルヴィスはそれらをまるで車窓から見る景色のように淡々と眺めていた。
そんな中、脱け殻のようになった彼に声をかけた者がいる。
「おい!ギル!退避命令が出てんだ!早く海に飛び込むぞ!」
油や煤で顔が汚れて印象が変わっているがそれはギルヴィスの同郷のマーカー・リドリーだった。
「マーカー……」
「ほら!早く海に飛び込むぞ!」
そう言い手を引いたマーカーに、半ば強引に甲板端へと連れていかれる。
「落とすぞ!しっかり飛び込めよ!」
そう言い、ギルヴィスは浮き輪と共に海へと落とされた。
落ちたギルヴィスに続きマーカーも落ちる。
二人とも水泳は苦手ではなかったのでなんなく、着水できた。
そして、ギルヴィスはマーカーに言われるがままに連れられ、キリア・リーアから泳いで離れる。
このままキリア・リーアの近くにいると沈むときの渦潮に巻き込まれるためだ。
そして、20分程泳ぐと、2人は3,4人の味方が乗ったゴムボートに救助された。
全員キリア・リーアの乗組員だった。
ゴムボートからの位置だと、キリア・リーアが遠くに見える。
2人はそれをじっと見つめていた。
「俺らが考えていたほど…きれいなものじゃないな……」
マーカーの言葉にギルヴィスは何も言わなかった。
彼の瞳は、沈みゆくキリア・リーアのマストで、戦闘前と変わらず風になびくヘウルムヴェルの国旗をただじっと捉えていた。
・リーア級駆逐艦
排水量基準 1700t(満載時2050t)
全幅 12m
全長 104.25m
マーシャ式ボイラー4缶
マーシャ式蒸気タービン×2
2軸推進
出力 50500馬力
最高速度 35.8kt
航続距離 6000海里(13kt航行時)
乗員 264名
武装
50口径12.7サンチ連装砲×1
45口径10サンチ連装砲×1
45口径10サンチ単装砲×2
53.3サンチ四連装魚雷×1
12.7㍉単装機銃×8
爆雷投射機×2
対空駆逐艦試験時武装(キリア・リーア、ミーシャ・リーアのみ)
45口径10サンチ連装砲×2
45口径10サンチ単装砲×2
12.7㍉単装機銃×8
12.7㍉連装機銃×4
爆雷投射機×2
ヘウルムヴェルで駆逐艦の活用法が思案されている頃に設計、就役したので特に目立つ箇所はないが、凡庸性が高い艦となった。
主砲の砲塔配置は前部に12.7サンチ連装砲1基、後部前寄りに前向きの10サンチ単装砲が1基、後端部に10サンチ単装1基、その上に10サンチ連装砲が搭載されている為、砲撃能力は決して悪くはないのだが、魚雷発射機が一基4射線しかないので水雷戦においては他国の駆逐艦に劣っている。
しかし、ゆとりをもった設計により復元能力は光るものがある。
それに加え、特長がなく、艦構造も複雑でないのが幸いし、武装を変え、その後の新型駆逐艦のテストベッドとされることが多かった。
その為、同型艦でも武装などが異なる艦が多くなっている。
その中でも14番艦キリア・リーアと19番艦ミーシャ・リーアは対空駆逐艦の試験及び新兵器の試験を兼ねて改修された。