ぼくの願いごとが、かなう日には
ひんやりと冷たい空気を感じると、ぼくは目覚める。
もうすぐ席決めのころだな。今年はどんな席になるのだろう。毎年毎年願うのは、あの娘の隣になりたいということ。けれど一度だってその願いがかなったことはない。
あの娘はバレリーナ。美しいプリマドンナ。ぼくらの仲間で彼女の隣になりたいと願っているヤツは、たくさんいる。だから、ぼくの願いが聞き入れてもらえるチャンスは、何十分の一なんだ。それでも彼女をおもう気持ちは、ぼくがいちばんだと思っている。
ぼくはしがない兵隊さ。真っ赤な制服にケーキみたいなぼうしをかぶり、足にはブーツをはいている。銀色のサーベルを腰にさげて、ビシッと背筋をのばした姿はなかなか様になっていると思うが、問題なのはこの顔だ。兵隊のくせにまんまるの大きな目と厚ぼったい唇。にかっと笑えばこの顔が、みんなの笑いをさそうのだ。せっかくかっこいい職業でも、こんな道化みたいな顔では情けない。この姿であの娘に近づくなんて、大それた願いなんだと思うけど、それでもぼくは夢を見つづける。
いつものごとく、しわだらけの大きな手がぼくを包んだ。
ぼくたちは、自分で席を決められない。この手が運んだ位置が、その年のぼくたちの居場所になる。ぼくを包む手の感じに、はっとした。なぜだか、とってもひんやりしたものを感じたからだ。
ぼくは、いや、ぼくの仲間たちはみんな、この手がまだ、ふかふかでやわらかかった頃を知っている。それにぼくの体を包めないくらい、小さかった頃も。
この手がだんだん大きくなって、ときにもっとやわらかくて温かい手に代わったり、とっても小さな手がやっとぼくの頭を持ち上げて運んでくれたこともあった。
ここ何年かはずっと、もっぱらこのしわくちゃの冷たい手ばかりだったけど。それにしても、今年のこの手の冷たさはいつも以上だ。
一瞬、その手の冷たさにはっとしたけれど、ぼくの頭はすぐに違うことでいっぱいになる。今年こそは、あの娘のとなりに運んでくれよ。もう何十回と願ってきたのに、一度だってぼくの願いをきいてくれたことなんてないのだから。
あの娘のことを、みんなは『アンナ』って呼んでいる。それはあの娘の本当の名まえじゃない。誰が呼んだのかわからないが、『アンナ・パヴロワ』っていう、とっても素晴らしいバレリーナの名まえにちなんでアンナだって。たしかにあの娘は素晴らしいバレリーナさ。誰もがそう思っているから、誰もその呼び名を不思議に思わずに使っている。
アンナの隣の席は、ぼくたちのあこがれだ。長いひげを生やしたずんぐりむっくりのドワーフや、でっかい熊のおやじさんや、いつも能天気な笑顔を浮かべている『しょうが男』だって、いつもその隣をねらっている。しかし彼らがぼくと違うのは、一度くらいはアンナの隣になったことがあるってことだ。アンナの隣になったら、その年の冬はばら色だ。大げさな笑い声をあげて愉しそうにしている彼らを、ぼくは、いつもいつもうらめしく見ていた。
去年は、棒みたいに細くて貧相な顔をした天使だった。アンナはいつものほがらかな笑顔を天使に向けていたのに、あいつは全然おかまいなしで、この世の終わりとでも言いたそうな哀しげな顔で遠くを見ていた。
ぼくはふたりの少し下の席で彼らの様子を見上げながら、ため息をついていた。ぼくだったら、アンナを愉しませてあげられるのに。
しわくちゃの手が、ぼくを高い位置に持ち上げた。今年はとってもながめのいい席のようだ。アンナの席はまだ決まっていなかった。ぼくのとなりには、おさげ髪にそばかすだらけの『しょうが娘』がいた。
ぼくがそわそわしているのを感じたのか、しょうが娘はわらって言った。
「ねえ、兵隊さん。あんたもアンナの隣をねらっているんでしょ。でもさ、そんなものほしそうにしていたら、チャンスはやってこないよ」
ぼくが、キッとしょうが娘をにらむと、彼女は「おお、こわ」といって向こうがわを向いてしまった。
いけない。ぼくはアンナのことばかり考えすぎて、まわりが見えなくなっていたようだ。
やがてアンナの席も決まったが、しょうが娘の言ったとおり、ぼくの左がわのずっと下のほうになってしまった。天使がそのとなりの席になったが、あの陰気なヤツじゃなくて、まだ幼い男の子の方だったから、ぼくは、なんとなくほっとした。
「ねえ、ねえ」
みんなの席が決まってしばらく経ったころ、すねて横を向いていたしょうが娘がぼくの方に向き直って声をかけてきた。
「ちょっとおかしいと思わない?」
「おかしいって?」
「あたしたちを運んでくれる手よ。なんだか、とっても弱々しくて、それに、とびあがるくらい冷たかったわ」
「そういえば、そうだった……」
「なんだか、いやな予感がするわ。あたしたち、今年の冬が終わったら、またゆっくり綿の寝床に戻ることができるのかしらね」
「どういうこと?」
「あんた、あの踊り子のことばかり考えているから、大事なことに何にも気づかなくなっちゃったのね」
しょうが娘はいじわるなセリフをはきだすと、それ以上何も言ってくれなかった。
(まったく、ぼくはいつだって気づいているさ。みんなの色がすっかりくたびれてきたことも、もう何年も前からとっても静かでつまらない冬になってしまったことも。でも、アンナの笑顔だけは、いつだって変わらないことだって。
こんないじわるなしょうが娘の横の席だなんて、今年はこれまででいちばんつまらない冬になりそうだよ)
なんだかむしょうに腹が立って、ぼくは天をあおぎ、腰のサーベルをカチカチとならした。
つまらない冬の日々は、それから何ごともなく過ぎていった。
そのむかしは、雪が積もる前に大勢のお客がやってきて、この家も本当ににぎやかだったけど、このところはずっと、誰の声もしない静かな冬だったから、別に何かがおかしいと感じたりはしなかった。
退屈な日は永遠に続くのかと思うくらい、長かった。しょうが娘とはあれから気まずくなって話をしていないし、アンナのほうを見下ろすと、となりの天使の少年も無口な子のようで、まったく話をすることもなく、アンナはただ背筋をぴんとして足を高く上げた姿勢のままじっとしていた。
長くて長くて、本当につまらない冬だった。
「ねえ、やっぱり変だと思わない?」
ようやくしょうが娘が口をきいたのは、窓の外からやわらかい日差しが差し込んでいる午後だった。それも以前と同じようなセリフだ。
「何が変なのさ」
「あたしたち、いつになったら綿の寝床にもどれるの?」
言われてみれば、今年の冬は長すぎる。窓の日差しがあんなにまぶしいのは、見たことがなかった。そろそろあたたかい春がやってきてしまうんじゃないか? 春になるまえに、しわくちゃの手はぼくたちを綿の寝床に帰してくれるはずだ。だからあんなまぶしい光を見たことはなかったし、それがかえって不安に思えた。
「言われてみれば、変だよね」
「ほら、あたしの言ったとおりでしょ! 何かが起こったのよ」
しょうが娘の悪い予感は当たった。
それからいく日もしないうちに、とつぜんおおぜいの人が、この小さな家に入りこんできた。彼らがドアを開けたとたん、あたたかな風が吹きこんで、外からにぎやかな鳥のさえずりが聞こえてきた。
おおぜいの手がぼくらをらんぼうにさらったかと思うと、つぎつぎと綿の寝床にほうりなげていった。しわくちゃの手のようにきれいにならべてはくれないから、ぼくはドワーフのとんがりぼうしにぶつかったり、熊のおやじさんの下敷きになりそうになって、ひやひやした。仲間がひととおり、寝床におしこめられて、ふたが閉じられると、寝床ががたがたと大きくゆれ出した。
まっくらな箱の中では、小さな悲鳴がしじゅう響いていた。
やがて、ぱあっとまぶしい光が箱の中にとびこんできた。
綿の寝床にもぐったら、次に目を覚ますのはまた寒くきびしい冬がやってくる頃のはずなのに、外は明るく暖かい光にあふれていた。
ぼくたちはまた、少々らんぼうに箱からひっぱり出されて、たくさんの手によって、つぎつぎと運ばれていった。
しわくちゃの手が運ぶいちばん高い席よりもずっとずっと高い場所へ、どんどん上っていく。とてもながめがいいけれど、気づくと鳥にでもなってしまったくらいに高い場所にいて、めまいがしそうになった。
高い高い木の、ほとんどてっぺん近くにぼくは置かれた。そこは大きな白い建物の中で、ぼくのいる木が立っているのは、二階分の吹き抜けのある場所だ。はるか下にはたくさんの人がいて、ぼくらが席につくのを笑顔で見上げていた。仲間たちを手にした人が、長いはしごを上ってくる。
ドワーフも、熊も、しょうが男も、陰気な天使も、それぞれの席に落ち着いた。
やがてアンナがやってきた。アンナを包む手は、ぼくの隣に彼女を置くと、少ししわになったチュチュを丁寧に広げてから下がっていった。
アンナはこちらを向いて微笑んでいた。
「やあ、はじめまして。かな?」
「そうね。はじめまして。あなたのことは、ずっと前から知っていたけれど」
足を高く上げて、手を広げた姿勢のまま、彼女は首を横にかしげて笑った。
「うん。ぼくもずっと前から君を知っていたよ」
サーベルの柄に手をかけて両足をぴんとそろえ、背筋をのばしてアンナを見た。これからずっととなりにいるのに、はじめからこんなに緊張していたら疲れてしまうかもしれないけれど、はじめの印象が大事だ。ぼくは自分のいちばんかっこよく見える姿で彼女の横にほこらしく立った。
ぼくらはクリスマスツリーのオーナメント。毎年ぼくらをクリスマスツリーに飾ってくれたあのしわくちゃの手のあるじは、もうぼくらを飾ることができなくなってしまった。
ぼくらはクリスマスの飾りを展示している博物館に引き取られた。
そして博物館のいちばん大きなクリスマスツリーに、一年中飾られることになったのだ。
ぼくらはもう、あの小さな綿の寝床にもどることはないし、毎年だれがどの席になるのかと、どきどきしながら待たなくてもよくなった。
そして、一年中、永遠に、アンナの隣の席になった。
ずっとずっと願い続けてきたことが本当になったとき、うれしさよりもなぜか、さびしさを感じた。あれほどアンナのとなりになりたいと願っていたのに、あのしわくちゃの手に「今年こそはアンナのとなりにしてほしい」と願いながら運ばれていく冬のはじめの日に、もう一度もどりたいと思っているなんて。
少し下のほうで、しょうが娘が楽しそうに話していた。となりには、あの内気な天使の男の子がいた。はにかみながらも、しょうが娘に何か答えている。しょうが娘は子どもにはやさしいようだ。あのふたりも、なかなかよい席のようだ。
しょうが娘がぼくを見上げた。
彼女にこんな気持ちを知られたら、「なんてわがままなの?」と怒られるかもしれないな。
ぼくが無理に笑ったことに気づいたのか、しょうが娘はまじめな顔で大きくうなずいてみせた。
(おわり)