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とある☆物語 series 1  作者: ゆのすけ/さのすけ
2/2

窓ガラスの奇跡ー2

(SANOSUKE)

大通りの次に蛍が訪れたのは、繋がれた舟が並ぶ静かな港だった。

蛍は手に入れたイイネで早速サンドイッチを買うと、高台に座ってそれを食べることにした。

海面に浮かぶ船は、波に合わせて小さくぶつかっては離れている。

全ての船体には、この街の紋章、すなわちこの街を治める貴族の紋章が押されていた。

家系を象徴するモチーフとして、その土地特融の植物や動物が使われるわけだが、この街のそれはカカオの葉のようである。一体どんな意味があるのかは、知る由もない。

「海って…初めてみたなあ」

思わず独り言ちた言葉に、答える様に頭上のウミネコが鳴いた。

生温かい風に頬を撫でられながら、長い事自分が屋敷の中でしか暮らしてこなかったことを思い出した。

もっともその屋敷自体、この街と同じくらい大きかったわけだが

今こうして、自分が見知らぬ土地で、今夜泊まる場所も明日食べる物も心もとなく生活しているなんて一年前の私は思いもしなかっただろう。

「さてと」

チーズのついた手を叩いて払うと、蛍は近くで釣りをしていた老人に声を掛けた。

「あの、すみません」

「ん?」

老人は水面にたらした釣り竿を動かさぬように、わずかに蛍の方を向いた。

「つかぬことを伺いますが、『モロゾフ』という魔法使いをご存じですか?」

「モロゾフ…?さぁ、知らねえなあ。そういうことは、貴族に聞きな」

ここでもダメか、とがっくり肩を落とす蛍を見て、老人は頬をかくと「そういえば」

と何かを思い出した顔で口を開いた。

「そういや明日の夜、この街の自治会議をやるそうだ。

ここらを治めるガーナ家が街に降り、パンピーの意見を聞く集会なんだが

聴講や参加も自由で、近隣の街からも多くの貴族が訪れるようだから

もしかしたら、何か情報が集まるかもしれないぜ」


(YUNOSUKE)


ありがとうございます!と深々と礼をすると、老人が照れ臭そうに頭を掻く。

「よしな、お嬢さん。そんなに感謝されちゃあ照れるじゃねえか。俺ぁ、聞かれたことに応えただけだぜ?」

「でも、応えて頂きました」

耳を傾けてもらえることがどれだけ貴重なことか、たった半年で蛍は嫌というほど味わっていた。

「お嬢さん、随分と苦労してきたんだな」

黙り込む蛍に、老人がうんうんと頷く。彼の深く刻まれた皺にも、蛍に共感するほどの苦労があったのだろう。

「この街じゃ、他人に感謝する習慣なんて随分前に消えちまったよ。みんな自分のことで必死さ」

行き交う人を老人の目が寂しげに映す。

「あんた、旅の人だね。宿はあるのかい?」

「宿?」

温暖な気候をいいことに、思えばもう何週間か布団に触れていない。身体は悲鳴を上げていたが、この生活がすっかり様になってしまい宿のことなど忘れていた。

ぽかんと口を開ける蛍に、老人が豪快に笑う。

「気に入った!泊るところが無いのなら、俺のところに泊って行きな!」

「いえ、あなたを巻き込む訳には」

断ろうと口を開いたが、老人はすでに向こうを向いて誰かに「おーい」と呼びかけている。

駆け寄ってきたのはふっくらとした女性で、何かの作業をしていたのだろう、両手にゴム手袋をしていた。

「何だい、父ちゃん」

「このお嬢さんを一晩泊めてやれ。部屋がひとつ空いただろ?」

「急に言われてもねえ」

なかなか脱げないゴム手袋に、女性の息が荒くなる。その様子がまるで怒っているかのようで、蛍は益々口を噤んだ。

女性はようやく手袋を脱ぐとまじまじと蛍を眺め、右手を差し出した。

「あたしはニラ!あんたは?」

「蛍です」

赤く冷え切った手をそっと握り返すと、ニラは豪快に笑った。大きく開いた口が老人によく似ている。

「あんた綺麗な手をしてるねえ。いいところの出かい?」

「えっと・・・あの。私、泊るところなら別に探します」

「気遣ってんならいいよ。この爺さん、言い出したら聞かないんだ。先週、蛍ちゃんと同じくらいの歳の息子が街に出ちまってね。寂しいんだろ」

「でもあなた達を巻き込む訳にはいかないんです」

ニラの手が、マントの上から蛍をぐしゃぐしゃと撫でた。

「偉い偉い。でもね、ひとりじゃ出来ないこともいっぱいあるんだよ」

呆然とする蛍に、老人がにっと笑って見せる。

「神様ってのは必要なときに必要な出逢いをくれるもんだ。ひとりで歩いていたら、どんな小さなことにも気付けねえ。出逢いは大切にしな」

「父ちゃんは寂しいだけだろ?そういう訳だから、泊ってやってくれないかい?」


(SANOSUKE)

「でも…」

ここまで誰にも頼らずやってきたのに、こんな所で折れてしまっていいのだろうか。

しかし久々に触れた誰かの優しさに、鼻の奥がツンとなる。

誰かに気にかけてもらえるということは、こんなにも温かいものだったのか。

思わず涙ぐんだ蛍を、ニラは抱きしめて背中を豪快に叩いた。

「つまんないことごちゃごちゃ考えちゃだめだよ。

まだ若いんだから、黙って甘えときな」

「はい、すみません。よろしく、お願いします」

蛍はニラの肩に顔をうずめたまま頷くと、後ろから老人が

「おーい、俺は蚊帳の外かよ。

いつも母ちゃんが美味しいとこもってきやがってなあ」

と口をとがらせる。

「あんたは今夜の魚でも釣っときな!」

二人の会話に思わず吹きだす蛍。

ニラのふくよかな身体は柔らかく、エプロンからは魚の匂いがした。


老人は名をオカラと言い、祖父の代からこの町で漁師をしているという。

金持ちの部類ではないが、それなりに安定した暮らしを送れていることが家の様子から伺えた。

大きな暖炉の上に、オカラの祖父、父、そしてオカラとその息子が大きな船と一緒に映っている写真が飾られている。

蛍がそれを物珍しげに見上げていると、手招きするオカラの隣に座った。

「昔は隣街からも客が来てさぁ。オカラの一本釣りってんで有名だったんだ」

オカラが誇らしげに腕を広げた。

「こーんなでっかい魚をよ。数時間かけて釣るんだ。俺と魚の命をかけた勝負だから、それはもう白熱して…」

興味津々といった顔でそれを聞いていると、ニラが「またその話かい。蛍ちゃん、適当にあしらっときな」とまた蛍を笑わせた。

「私も舟に、乗ってみたいです」

「そうか!今度乗せてやるよ。今はまだ漁が解禁されてなくてな…」

と、オカラの顔が急にくもる。

さっきまでの生き生きとした表情から一転、しゅんと項垂れたオカラは、なんだか急にふけた様に見えた。

「漁にも時期が、あるんですね」

「昔はそんなんなかったのさ」

どっこらせ、と小魚の入ったバケツを持ってニラが台所に立つ。

「あ、私手伝います」

「いいからいいから、父ちゃんの相手をしとってくんな」

小さな包丁を取り出すと、ニラは馴れた手つきで鱗を剥がしていく。

ざりざりざり…と初めて聞く音だ。

「ち ょっと前までは、海は私らパンピーの物だったんだ。

春夏秋冬、好きな時に海に出て

その時に居るお魚を捕ってくる。

それで海も人も、うまく行ってたんだ」

「今は…?」

「一年前、なんだかよくわからねぇが

急にこの街の法律が変わってよ。

変わったっつーか、色々余計なものが沢山増えるようになったんだ。

やれ海にはいつ出るな、やれ山には畑を作るな…代わりに街の工場なんか増やしやがって

なーにをたくらんでんだか知らねぇがな」

蛍は真剣な面持ちでそれを聞いていた。

そして、何かを考えながら言った。

「周囲の、他の街はどうですか」

「さぁな、他の土地のことはよく知らねぇよ。

ただ、舟旅帰りの仲間の話によれば

どこもなんだか色々起こっているらしい。

急に軍隊を作った街もあれば、税率を上げたとこもあるらしくてよ」

なぁ、母ちゃん。とオカラがニラに声をかける。

ニラはいつの間にか、魚を捌く作業にうつっていた。

「全く迷惑な話さ。

貴族なんて、魔法だかなんだか得体の知れない力は使えるらしいが

結局自分たちじゃなにもできず、私らパンピーのお陰で生きてるってのに」

だんだんっと苛立たしげに魚の頭に包丁をいれていく。

蛍は思わず首をすくめた。

「あんた、生まれはどこなんだい?」

「ええ、遠方の…東の町から来たんです」

と、それまで被っていたマントを外す。

すると

「こりゃ、随分奇麗な娘さんじゃないか」とオカラが目を丸くして驚いて

「水色の髪なんてのも初めて見るよ。これは染めてるのかい?」とニラもまじまじと蛍を見た。

「しかしなんでこんな田舎町に」

「ちょっと人を探してまして」

「あぁ、モロゾフだっけか蛍ちゃん。母ちゃん知ってるか?」

「知らないねぇ。なにあんた、貴族と知り合いなのかい」

「いえ、知り合いというほどではないんですが…」

と、それきり蛍は俯いて黙ってしまった。

ニラとオカラは顔を見合せる。

その後もあまり自分のことを話そうとしない蛍だったが、二人は腑に落ちない顔をしながらもほとんど詮索せずにいてくれた。

出ていった息子に重なるところもあったのだろう。初めて会ったとは思えないほどフランクに蛍に接してくれた。

豪快で懐が広く、少し抜けているけれどどこか憎めない。これが海の人の性格らしく、蛍はすぐに二人が好きになった。

夕飯の席で出されたのは今日釣れたという大きな魚だった。

一匹丸々こんがりと焼いて、粗挽きのコショウを上からかける。

こんな料理初めて見る、とばかりに蛍が驚くと

出された料理を蛍が実に上品に食べるので、ニラとオカラも驚いて顔を見合わせた。

ニラが風呂を沸かす様子を、また珍しそうに蛍が見ているので

「あんた本当、どこの出なんだい?」

と眉をひそめる。

曖昧に笑う蛍に、まあいいけどさ、とニラはタオルを手渡した。


夜、通された息子の部屋で、蛍は久々に布団というものに包まれた。

「あったかい…」

真っ白なシーツに顔をうずめ、猫のように丸くなる。

机に置かれた鏡を見ながら

「明日の朝には、ここを出なくちゃ…」

と、誰に言うでもなく呟いた。

いつか、ここの人たちにお礼をしよう。

船について誇らしげに話していたから、いつか大きな船をプレゼントしよう。

ニラは隣町から嫁いできたというから、すぐに故郷へ帰れる大きな馬車を…

息を吐くとともに、鉛のように体が重たくなっていく。

隣の部屋にはニラとオカラが眠っている。

ずいぶん前に無くしてしまった、懐かしい安心感を感じながら

ゆっくりと眠りに落ちていった。


(YUNOSUKE)


大きな窓は差し込む月明かりを余すことなく迎え入れる。

それでも今夜の廊下はとても暗く感じる。冷えた空気に身震いして、幼い蛍はカーディガンを握りしめた。

床に何かが見える。奥に向かって点々と続く・・・これは何?

「涼風お兄様?愛華お兄様?」

不気味な静けさが、蛍のあどけない声を反響させ消していく。込上げる恐怖に耐えかねて、蛍は泣きだした。

どれくらい泣いただろう。反響する鳴き声の中に足音を見つけて、蛍は顔をあげた。

「愛華お兄様?」

何かがおかしい。彼はろう人形のような顔で蛍を一瞥すると、静かに腕を振り上げた。

彼の手の中で何かが鈍く光る。

「逃げろ、蛍!!」


「涼風兄様!!」

跳ね起きた蛍の目に広がったのは、鮮血でなく眩しい朝日だった。

荒くなる息を整えると、震える手を祈るように抑える。すべて夢だったならと淡い期待を抱くが、仰いだ天井は低く、窓の向こうには見慣れない海がどこまでも続いていた。

深呼吸をすると、身体が随分と軽くなったのを感じた。布団で寝るのと馬小屋で寝るのは、こんなにも違うものなのか。

夜のうちにニラが洗濯してくれたのだろう。枕元に、寝る前にはなかった着物が丁寧に畳まれていた。染みついた汚れは落ちなかったようで、買った当初のようにとまではいかないが、随分と綺麗になっている。

どこまでも続く海、落ちない汚れ、ぼんやりと眺めていると「この旅に終わりがあるのだろうか」と虚しくなる。

蛍は身支度を整えると、両頬を平手打ちして気合いを込めた。

「おはようございます」

「おはよう、蛍ちゃん」

居間に顔を出すと、ニラが温かいスープをよそっているところだった。オカラの姿は無く、テーブルには空になった器が重ねてある。

「オカラさんもニラさんも、早いんですね」

「あはは!蛍ちゃんがお寝坊しただけだよ」

感心する蛍に豪快に笑って、ニラが時計を指差す。短針は9時を示していた。

顔が火照るのを感じて蛍がすぐさま俯く。

「随分と疲れていたんだね。ぐっすり眠れたようでよかったよ」

ニラは優しく微笑むと、テーブルに2人分の食器を並べた。

「蛍ちゃんも食べな!取れたての魚を使ったスープ、温まるよ」

「朝ごはんまで頂く訳には」と戸惑う蛍に、「作っちまったんだから食べとくれ」とニラが椅子を引く。

優しい香りに誘われるようにして椅子に座ると、ニラが向かいの席に腰を下ろした。

「オカラから聞いたよ、自治会に行きたいんだって?」

「そう!自治会!」

すっかり忘れていた。もう始まってしまっただろうか。

慌てて立ち上がる蛍に、ニラが目を丸くして「まだ大丈夫だよ」と笑った。

「そんなに興味あるのかい?自治会なんかつまらないだけだよ」

「何故?ニラさんは住んでる街に、興味は無いのですか?」

蛍が自治会にこだわる理由は他にあるのだが、ニラだって自治会に興味を持っていいはずだ。

「そうさね、街のことは気になるよ。あたしはこの街が好きだからね」

「だったら何で」

「あそこは街のことなんて関係ないからさ」

「え?でも自治会ですよね?」

混乱する蛍に、ニラが苦々しく笑う。「行けばわかるよ」とため息混じりな言葉は、換金所で貴族に興味を抱かなかった男にどこか似た感じがある。

「さて、食べたら行こうか。道、わかんないだろ?案内してあげる」

「そんな」

「いいのいいの、仕事に行くついで。作業場のすぐ近くなんだよ」


(YUNOSUKE)


先程まで青かった空が雲に隠れていく。空気は湿気を含み、昼前だと言うのに辺りは薄暗い。

「変だねえ、今日は晴れると思ったんだけど」

一度は断ったものの、結局ニラの言葉に甘えてしまった。「ダメだダメだ」と言い聞かせながらも、久々の温かさが嬉しくて、結局自分に負けてしまったのだ。

ニラは小さな集会場で足を止めると、蛍を優しく抱きしめた。

「じゃあ、元気でね。困ったら、いつでもおいで」

「はい、ありがとうございます」

込上げる涙をぐっとこらえる。

―――甘えるのはこれで最後にしよう。

ニラの背中が見えなくなると、蛍は大きく息を吸って気合いを入れた。


蛍が取っ手を引くと、古びた木製の扉が小さく悲鳴を上げる。随分と古い建物のようで、空気はじめっとした湿気を含んでいるが埃っぽい。

蛍は小さくせき込むと、ずらりと並んだ長椅子のひとつに腰をかけた。

ぐるりと見回すと、すでに腰掛ける者の多くが艶やかな髪に綺麗な手をしている。纏っているは織物には紋章が刻まれ、どれも質がよい。恐らく、近隣の街を治める貴族たちだろう。蛍は目深にかぶったフードをさらに引き下げた。

この街のパンピーと思われる人間もちらほらいたが、誰もがオカラよりも年上の老人ばかりである。暇つぶしの意味合いもあるのか公演を待つ彼らの表情には意気込みなど無く、転寝をしている者までいる。

出鼻を挫かれた蛍は、思わず眉を顰めた。

「この街は何かがおかしい」

無関心であることが、まるで当たり前のようだ。悶々とする蛍の思考を拍手が掻き消した。


(SANOSUKE)


老朽化した床をきしませながら、ぞろぞろと現れたのは良い身なりの男たちだった。

舟に刻まれていたのと同じ、ガーナ家の紋章が入ったマントを身にまとい

檀上に用意された椅子に座る。

椅子の横には「議長」「会長」「副会長」「会計」…と役職の書かれた札が置かれ

さらにその隣には「1.開会の辞、2.ガーナ領訓戒の唱和、3.代表者報告、4.意見交換…」と会議の事項が記された紙が貼られていた。

蛍は男たちの動作を注意深く見守った。


全員が座ったのを確認すると、議長の札を胸につけられた老紳士が一つ咳を払うと、会場は静まり返る。

「えー、本日はお忙しい中お集まりいただきまことにありがとうございます。

出席者数が37名と総会の定数に達しておりますことから

ここにガーナ領自治会総会の開催を宣言させて頂きます」

うち委任状を15名含みます、と言ってから議長が言葉を止めると、再度静かな拍手が起こった。

良いからさっさと始めて終われ、と言わんばかりに、パンピーも投げやりに手を叩いている。

「本日の議題は以下の通りです。

1、各地区の馬車所持数の制限について

2、領主屋敷内に侵入したパンピー場合の刑罰について

これについて副会長から説明をお願いします」

続いて副会長と呼ばれた若い男が、 立ち上がる。それを見た蛍の顔に、一瞬影がよぎった。

艶の良いブロンドに勝ち気そうな顔つき。

ガーナ家の長男として以前、紹介されたことがある。

ということは、会長の席に座っているあの太った男が、ガーナ家の主およびこの街の領主ということになる。

男はそんな視線を受けているとはつゆ知らず、立ち上がってよく通る声で説明を始めた。

「1 各地区の馬車所持数の制限について ご説明します。

前回の総会にて、ガーナ領内におけるチョコレート工場建設の促進に伴った交通規約の変更を行ったのは御周知の通りです。

今回自治会では、それに伴いパンピー世帯の持つ馬車数の制限を提案します。

馬車数は世帯人数に比例し、詳細はお手持ちに資料に記載してあります。

以上です」

声にしたがって資料をめくっているのは、蛍だけである。

入れ替わるように議長が立ち上がり、

「続きまして、この件について質疑、討議を行います」

と言うのに続いてすぐに、会場でだるそうに座っていたパンピーらしき男から

「なし」との声を上がった。

老紳士は眉一つ動かさずに、

「質疑、討議を終わります。

これより『各地区の馬車所持数の制限』について決議を行います。賛成の方は、

挙手をお願いします」

……

あとはもう茶番であった。


(YUNOSUKE)


集会場を出る頃には、蛍の腹はぐつぐつと煮えたぎっていた。

「気分が悪いわ」

集会場を後にする人々を改めて見れば、誰もが生気のない顔をしている。「なるべく関わらないに限るんだよ」と、換金所の男の言葉が思い出された。

「こんなの」

―――こんなの絶対、あたしが変えてやる。

そのためにも強くならなければ。

蛍は辺りを見回すと、過去に見覚えのない若い貴族に声をかけた。

「あの、お尋ねしたいことがあるのですが」

「ん?」

振り返った男が、蛍をフードの頭から爪先までまじまじと眺める。居心地の悪さに、蛍は目を伏せた。

「モロゾフという魔法使いをご存じありませんか?」

「モロゾフ?ああ」

「ご存知なのですか!」

「知ってるも何も・・・」

男がにやりと笑う。背筋に悪寒が走って、蛍は思わず退いた。

「案内しよう。ついてきなさい」

気味が悪いが、そうも言っていられない。蛍は深々と頭を下げると、男の後を追った。


大きな通りを抜け、民家の並ぶ細い道を潜る。

どんどんと人気のない道へ進む男を怪しみもしたが、これだけ探しても情報のない魔法使いである。恐らく外界との接触を拒んでいるのだろう、モロゾフが住む場所としては納得だ。

まだかまだかと焦る気持ちを抑え、疲れた足を必死に動かしていると、前を歩く男が突然立ち止まった。

彼の背にぶつかって、蛍が尻もちをつく。

振り返った男は蛍の腕を掴むと、乱暴に立ちあがらせた。「すみません」と謝る蛍に、男がまたしてもにやにやと笑う。

「いえいえ。とんでもございません、蛍姫」

蛍の思考が止まる。男は蛍のフードを外すと、ポケットから何かを取り出した。

「そんな間抜けな顔をされては、美しいお顔が台無しですよ」

「どうして」

どうして知っているのか?

蛍がやっとのことで声を絞り出すと、男が右手に首飾りをぶら下げる。

「換金所のおやじにね、ちょいと金を払ったらこいつと一緒に教えてくれたんだよ」

「そんな・・・彼は紋章の意味は知らないと」

「ただのパンピーならまだしも、換金所やってるおやじが知らないわけあるか。ガルディ国だぜ?」

「何故嘘を?」

「そりゃあ、後で追手を放つつもりだったんだろうよ。まあ、俺が横取りしちまった訳だが・・・首飾りを見付けたときは興奮したぜ?ガルディ国の姫様をとっ捕まえりゃ、どれだけ高値で売れるもんかね。首飾りがあんたが本物の姫だってことを証明してるんだ、貴族に憎しみを持つもの、悲劇の王女の娘を憐れむもの・・・寄ってたかって放っておかないぜ?」

吐き気が込上げる。男は腰を屈めると、蛍の髪を手で梳いた。

「堕ちてもパンピーとは違うねえ」

「汚い手で触らないで!」

手を薙ぎ払うと、男がちっと舌打ちをする。

「首飾りを返しなさい。それはあなたのような者が持つものではないわ」

「返しなさいって、あんたが売ったんだろう?」


(SANOSUKE)


痛いところを突かれて、思わず言いよどむ。

男の手の中で、この間まで自分と共に生きてきた首飾りが助けを求めるように光っていた。

ぞっとする男のにやついた顔を見ていると、それがどんどん汚されているようで

蛍は血の気が引くのを感じた。

私は、なんてことをしてしまったんだろう。

心にのしかかる後悔と恐怖で足が震え、声が出ない。

「さぁでは、行きましょうかお姫様」

光を閉ざした路地裏で、青白い手がぬっと伸びてくる。

必死に後ずさるも、体が動かない。

この感覚、前にもあった…

「あ…」

掌が目前にせまり、自分を掴もうとする。

もうだめだ、真っ暗になったな目の前から逃げる様に、蛍は目をつぶった。

その時

『逃げろ、蛍…!!』

頭の中で、何度も夢で聞いたあの声が響いた。

ぶつかる金属音、飛び散る鮮血の向こうに、緑の瞳が見える。

それは臆することなく、射るように真っ直ぐにこちらを見ていた。

『逃げろ、蛍!』

瞬間、鎖を解かれたように体が軽くなる。

はっとした蛍は、振り返ると鉄砲玉のように飛び出した。

おい!と怒鳴る男の声を背に、迷路のような細い通りを走った。

自分の足音なのか、追いかける者の足音なのか、不吉な音が壁にぶつかって反響する。

ここで捕まってはだめだ。逃げなくては!

自分の足音と、追ってくる男の足音が壁にぶつかって不気味に反響する。

空気不足の胸が、ひゅうひゅうと鳴いている。

もはや半分泣きながら、力の限りを使って体を動かした。

逃げても逃げても、すぐ後ろに男がいる気配がする。

路地はどこまでも続いていて、終わりも出口も一向に見えない。誰もいない。閉ざされた窓は、全て閉まっている。

「誰か…誰か助けて!」

嗚咽のように叫び声をあげた時だった。


―――「クズマキ・コイワイ・タカナシメグミルク」

静かな、それでいてどこまでも通るような声が、辺りに響いた。

それは水面に落とされたしずくのように、沈黙の世界で確かな余韻が広がる。

同時に風が吹いた。袋小路の裏道を、形の無い暖かな生き物が通りすぎたようだった。

それを追うように振り返る。しかし、辺りには何も居ない。10mほど先に自分を追う男が迫っているだ。

と、立ちどまる蛍の頬をかすめ何か白いものがすごい勢いで駆け抜け、その先にいた男の頭にぶちあたる。同時に厚いガラスが割れるような音がした。

「ぎゃぁあああ!」

男は両手で頭を抱えて叫んだ。

「え…?な、なんなの?」

いきなりの光景に唖然とする。すると、また同じ声がした。

「タカナシメグミルク!」

今度は数個続けて、ひゅおん!という音と共に何かが飛んでいき、男の腹に直撃した。

灰色の白い弧を描き、それは流れ星のようだった。

蛍はただ驚いて、口を押えたままそれを見ていた。


(YUNOSUKE/SANOSUKE)


男は腹を抱えてうずくまると、足元に散らばったガラスの上に膝をついた。

肉が裂ける音がして、再び悲鳴が上がる。

蛍も思わず目をつぶるほど、痛々しい姿だった。

もう一度見たとき、蛍は男がずぶ濡れになっているのに気付いた。

そして、風に乗って覚えのある匂いが漂ってきた。

「…牛乳…?」

どういうこと?

何が起きたのかさっぱり理解できない。

いつのまにか腰を抜かしていた蛍の前に、ふいに細い手が差し伸べられた。

顔をあげると―――

そこに居たのは一人の少年だった。

美しい藍色の双眼で、まっすぐにこちらを見ている。

傾られた顔にかかる真っ黒な髪が、風に吹かれてサラサラと揺れていた。

表情の無い小さな口が、青白い肌の中でかすかに動く。

それは本から出てきたように、不思議な空気を帯びた少年で

その一瞬蛍は時が止まったのかと思った。

「早く、立って」

少年が囁く。

その声は水面に落とされた水滴のように、蛍の心に響き渡った。

「…聞いてる?」

「え?あ!うん」

僅かにしかめられた顔を見て、はっと我に返る。

差し出されたままの手につかまると、重さに耐えきれぬように少年の細い体が大きく揺れたので、蛍は慌てて「ご、ごめん」と謝った。

少年は小さく頭を振ると、蛍と同じくらい細い指で隣に置かれた自転車を指さした。

それは所どころが汚れた粗末な自転車だった。

その下には、荷台に結び付けてあったと思われる木箱が、無造作に置かれている。

この自転車…夜明けの街で、それに乗って何かを運ぶ人たちを見たことがあるような…

「乗って!」

蛍の思考をさえぎる様に、もう一度あの美しい声で少年が言った。

返事を待つ青い瞳に強く頷き返す。

しかしふいに、先程の光景が思い出されて蛍は足を止めた。

―――でももしこの少年も敵で、また騙されてしまったら

「後ろ!」

少年の叫び声に振り向くと、いつの間にいたのか男が両手を広げ立っていた。

「逃がさねえ!」

しかしそう男が言った、途端またも蛍の横を何かが通り過ぎ、男が悲鳴をあげて倒れた。

「早く!」

蛍は倒れた男の懐から首飾りを奪うと、少年の自転車に飛び乗った。

蛍が座るのを確認して、少年がペダル踏み込む。

がくんっと車体が揺れて、思わず少年の腰にしがみ付くと、ほんのりと優しい香りがした。

踏み込むペダルに合わせ、加速していく自転車。

小さくなっていく男が、何かわめきながら蛍を悔しげに睨んでいた。

蛍は舌を出して首飾りを掲げると、被りなおしたフードを手で押さえた。

トンネルの出口に吹くような、爽やかな風が髪をなびかせる。

周りの風景がパノラマのように流れて行った。

「ねぇ!さっきのどうやったの?」

必死でペダルを漕ぐ少年の背中に声をかける。

「あなたがやってくれたんでしょう?」

「・・・・」

少年は何も言わない。

というより、漕ぐのに必死で言う余裕が無さそうだった。

それきり蛍は黙って、少年の背中に体を預けることにした。


心地よい風を感じていたのは、最初の僅か1分だった。


(YUNOSUKE)


「なんで、わたしが、漕いでるのよ!」

ペダルを力いっぱい踏み込んで、蛍は呆れた声で言った。後部座席では、顔を青白くした少年が肩で息をしている。

ふたりを乗せた自転車は、驚くくらいに軽い。

「軽過ぎ。あんた、何食べてんのよ」

「昨日は鶏もも肉の照り焼きとほうれん草の和え物と・・・」

丁寧に説明を始める少年に、蛍がため息を吐く。颯爽と現れた救世主は、今では頼りないばかりだった。

「こんなへなちょこじゃ、敵では無さそうね」

「・・・へなちょこ」

「へなちょこよ。もっと筋肉つけなさい」

諭す蛍に、少年が何か言いたげにもごもごとする。結局黙り込んでしまった少年だったが、再び口を開くと不貞腐れた声で蛍に言った。

「だから、牛乳配達のバイトをしているんだけど」

「牛乳配達?」

蛍がペダルを踏み外すと、自転車がぐらついた。後で小さな悲鳴が上がる。

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