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時空の風 -竜の章-  作者: 穂積
■シン編
96/112

シン 8

――おのれ…人間風情が。



何もない、白一色の空間は、それが永い時を過ごしてきた場所である。

退屈と孤独が支配するその空間で、黒髪の子供が悔しげに呟いた。



――わたしの作り出した記憶の闇に紛れ込み、あまつさえ愛し子を惑わすか。



子供は、先ほどまで浮かべていた薄笑いを消し去り、暗い怒りに顔を歪めて白く小さな拳を震えるほどに握りしめている。

負の感情に濁った眼は、何かを睨み付けるように宙を見つめていた。


「見つけたぜ。」


不意に、真っ白な空間に粗野な声が響く。

子供はきゅっと眉を寄せて、苛立ちも露わに荒い動作で振り返った。



――獣風情が…どうやってここに入った?



確かな怒りを滲ませた黒い瞳の先にいたのは、空間にとけ込みそうな真珠色の騰蛇――シロである。

そんな子供の様子を見たシロは、どこか嘲るように鼻で笑うと、小さな身体をくねらせて、くるりと宙を一回転した。

すると次の瞬間、シロの身体の輪郭がぼんやりと薄れ、現れたのは髪も肌も真っ白な少年だ。


「獣風情、か。なら、てめぇは何様だ。実体も持てねぇ奴が聞いて呆れる。」


心底馬鹿にしたようなシロの言葉に、子供の眼がすっと細まる。

ひやりと滲み出たのは、明らかな怒りを含んだ殺気だった。


「神だか管理者だか知らねぇが、てめぇ…思ったより制約が多そうだな。」


にやり、とシロが嗤う。

挑発するような言葉に、子供の唇からぎりりと小さく音が響いた。


「贄を使った大掛かりな術を組んだ割には、人一人を堕とすのにこんだけ手間取ってやがるし、他の人間の干渉も容易く許した。」


言いながら、シロが見定めるように子供の足先から頭頂部へと視線を巡らせる。


「その子供はしっかり堕として意識も乗っ取ってるみてぇだが、完全に取り込んでるわけじゃねぇ。子供が堕ちてから相当な時間も経ってるってぇのに、そいつ自身の魂はしっかり残ってるみてぇだしな。」


贄にするにも、傀儡として操るにも、子供――リュウタの意識は不要だった。

彼が管理者に堕ちた時点で、リュウタの魂は消されても不思議はなかったのだ。

世界に必要だったのは、歪みを溜めるための器、つまりはリュウタの身体さえあればよかったのだから。


「いくら贄を立てようと、どんな犠牲を払おうと、理を動かす程の大きな力を使うには制限が掛かる。それは、使う者の存在を維持するために必要なことであり、それを破ればどんなに強い力を持っていようと魂を削られ、存在を否定される。」


魂を削られれば、世界の理に添うことは叶わず、魂を持つ者ならば誰もが歩む輪廻の道からも逸れることになる。

輪廻の道から逸れるということは、どの世界からもはじかれるということであり、世界からはじかれるということは、未来永劫誰にも交わることのない孤独の中、終わることもできずに、ただただ世界の狭間に独り彷徨い続けるということだ。

たった独り、常に押し寄せる身体の飢餓と心の乾きに耐えながら、狂うことも、ましてや死ぬこともできぬまま、どこまでもいつまでも独りなのだ。

魂を削られるということは、そういうことである。


「むしろ持っている力が強ければ強いほど、掛かる制約は大きい。てめぇがてめぇで作り出した、リュウキの記憶の闇に干渉できないのも、その制約の一つなんだろう?」


既に断定されたシロの言葉に子供は何も答えず、心底忌々しそうに視線を逸らして舌打ちを零した。







――家族。


それは、リュウキが一年前に突然失ったものであり、今なお戻りたいと願う場所だ。

目の前でじっと己を見つめる男は、リュウキにとっては赤の他人だし、助けてくれたとはいえ、つい先ほど顔を合わせたばかりの見知らぬ男である。

本来ならば、そんな男と十七年共に暮らしてきた己の家族を同列に思うことなどありえない、はずだった。


「私の、家族?」


はずだったのだが、無意識に口から零れた呟きには、僅かな不安と抑えきれない喜びが滲んでいる。

まるで言葉の意味から確認するような彼女の呟きに、それでもシンは真っ直ぐにリュウキを見つめたまましっかりと頷いた。


「そうだ。お前は俺の、俺たちの大事な家族だ。」


はっきりと繰り返して告げられた言葉に、少女の顔がくしゃりと歪む。


「…う、そ。わたし、私知ってる…思い出した。…ヒリュウってこの国の王族の姓だ。」


そんな人が、どうして自分の“家族”なのか。

疑念と拒絶の色が、黒い瞳に浮かんだ。


「確かに俺は王族だ。でも、だからそれが何なんだ?俺とお前が家族になることに、俺の身分は関係ない。」

「あるに決まってる!わ、私はっ…わたしは、奴隷で…。」

「違う。」

「違わない!私はずっと…かっ…買われて、いてっ…動物、みたいに…。」

「リュウキ!!」


ゆらゆらと揺れる瞳に、うっすらと涙を溜めた少女が、震える声で途切れ途切れに語る。

血を吐くような言葉は、そのまま彼女の受けた苦しみや悲しみそのものを表していた。

シンはリュウキの言葉を、一際大きな声で遮ると、寝台から立ち上がり少女が怯むのも構わず、その小さな肩をがしりと掴み、彼女の目の前で視線を合わせるように膝を折った。

覗き込んだ黒い瞳には、恐怖や怒り、劣等感、様々な感情が浮かんでいた。


「リュウキ、よく聞け。」


全身に力を入れて身を縮め、肩を震わせ混乱するリュウキを、煌めく翡翠が真っ直ぐに射抜く。少し怯えたような様子を見せる少女は、しかし目の前の強い瞳から視線を外すことはなかった。

それを見たシンが、彼女の肩をしっかりと掴んだまま、安心させるようにゆったりと笑みを浮かべる。

リュウキが数度呼吸を繰り返すと、少し落ち着いたのを見計らったようにシンが口を開いた。


「いいか、忘れるな。俺も、お前も、同じ人間だ。」

「…っ…でもっ!」

「でもじゃない。身を切れば血が出るし、胸を貫けば死ぬ。笑いもすれば怒りもするし、動き回れば身も汚れる。食い物が無ければ飢えて倒れ、水が無ければ乾いて死ぬぞ。」


むっと、眉を寄せたリュウキが黙り込んだ。

そんなことは解っている。

それでも、身分が無ければ、この世界では家畜と同様の扱いを受けるのだ。

そんなリュウキの考えを呼んだように、シンが苦笑を浮かべて小さく頷いた。


「むしろ、俺は貴族なんかより、お前の方がずっと強いと思うがな。」

「…強い?」

「あぁ、貴族なんぞを身包み剥がして放り出してみろ。三日と持たず乾いて死ぬぞ。」


冗談なのか、本気なのか、否、真顔で言うその言葉は、シンの心からの言葉なのだろう。

だからこそ、リュウキはまるで、不思議なものを見るようにシンを見つめた。

今まで出会った身分ある者たちは、己の力を信じて疑わない者ばかりだったのだから。


「この国は、まだまだ勘違いをしている輩が多く、情けないことだが、城で育った俺には把握しきれないことばかりだ。」


ぐっと、少女の肩を掴む手に僅かに力がこもった。見れば、シンの端正な顔が悔しげに歪んでいる。


「だからこそ、お前の強さに惹かれたし、お前は俺に必要な存在だった。同じ人間にも関わらず、何の助けも無いところから、その身一つで闇の中を独り生き抜いてきたお前のその強さが。」


目の前で、しっかりと己に据えられた翡翠が、確かな熱を持ってリュウキを見つめる。


「だから、今一度言おう。」


まるで、見えない力に捕らえられたように、リュウキはシンを見つめていた。

掴まれた肩が熱い。

一対の煌めく翡翠が、一瞬きらりと強い光を放った気がした。


「リュウキ、俺の家族になってくれないか?」


告げられた言葉は、僅かな痛みを伴いながら、少女の冷えた心の底まで響いて落ちた。

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