シン 6
そう広くはない部屋には小さな切り出し窓がついており、少し離れて寝台が二つ並んでいた。
窓に近い方の寝台の前には、これまた小さな石造りの椅子がぽつんと一つ置いてある。
リュウキはそれに腰を下ろして寝台の上に腰掛けているシンと向かい合っていた。
細い膝の上で固く握りしめられた拳は、未だ残る彼女の警戒と緊張を表していたが、それでもシンの話を聞こうとしてくれているようで、その姿に彼は小さく安堵の息を吐く。
シンが話を始めるために、小さく身をずらすと、目の前の少女も小さく身動いだ。
「まず、私の話をする前に、お前に聞きたいことがある。」
どこか緊張した面持ちのリュウキが、問いを促すように首を傾げる。
「お前はこの世界に来てどのくらいの月日を過ごした?」
訝しげに見つめていた少女が、シンの言葉に目を見開いた。
「な、んで…それを?」
「私はお前が異世界から来た者だと知っている。その理由はこれから話すから、それだけ教えてくれ。」
訳も解らず彷徨っていた彼女にとって、思いもしない言葉だった。驚きのまま問いつめたい気持ちが溢れたが、目の前の真摯な翡翠に、まるで押しとどめられたようにぐっと肩に力が入る。
リュウキは混乱に揺れる瞳をゆらゆらと彷徨わせながら、口を開いた。
「…もうすぐ、一年。」
「そうか、一年か。」
どこか痛々しげなシンの瞳が、動揺する少女を射抜いた。
「ねぇ、何で私のこと知ってるの?もしかして、あなたが私を呼んだの?」
思わずといった感じで開いた小さな唇から、震える言葉が飛び出す。
どこまでも深い夜の闇のような瞳に、今なお降り積もる絶望と怒りがちらついていた。
信じていたのに、という思いと、お前がこんなところに私を呼んだのか、という思いがありありと伺える。
シンは僅かに目を細めると、ゆるく頭を振って口を開いた。
「違う。俺にそのような力は無い。」
「ならっ、どうして私のことを知ってるの!?」
「私はお前の知るこの時より未来の者だからだ。」
「な…に?」
「私は未来のお前を知っている。だから、レン・リュウキが異世界の者だということを知っていた。」
「何を、言っているの?」
大きな目はこぼれ落ちんばかりに開かれ、呆然と開いた唇から、解らないとばかりに呟きが落ちる。
それでもシンは、目の前の少女に伝えようと、煌めく翡翠で真っ直ぐに彼女を見つめた。
「俺がリュウキと出会ったのは、リュウキが二十二、俺が二十五のときだった。」
二十二。
そう言われても、少女にはやはり腑に落ちないらしい。
訝しげに眉を寄せながら、黒い眼がぱちぱちと瞬きを繰り返す。
その様子に、シンが小さく苦笑を浮かべると、無理もないと言うように小さく頷き、言葉を続けるべく口を開いた。
「あれは、そう…戦も終盤に差し掛かり、ヒリュウに残る全勢力で打って出ようとしていたときだ。今でもはっきりと覚えている。」
一対の翡翠が、目の前の少女から離れてどこか遠くを見つめるように細まる。
どこか切なげな顔は、見る者の心をきつく締め付けた。
「誰も彼もが血で汚れた鎧に身を包み、悲しみと怒りに蝕まれながら死地へと赴く雑多の中で、ただ一人、無を抱いて孤独に佇むお前がいた。」
その情景を思い出したのだろうか、シンの目にどこか悲しげな色が浮かぶ。
リュウキは何も言うことができず、口を噛んだまま彼の瞳をじっと見つめた。
「おそらく魔術を使っていたのだろう、髪はどこにでもいる少し明るい枯茶の色をしていたが、小さな頭と小柄な体格、細い四肢で、それでも凜と立つ姿は誰もが目を引かれていたのだ。」
「私は…魔術は使えません。」
「今は、まだな。」
少女の小さな呟きに、くすりと笑ったシンが言葉を返す。
「お前は流れの傭兵だった。身なりも他と変わらず、粗末な布と革を使った質素な甲冑だったが、少し作りが違った。ごつごつと全身を金属板で固めた板金鎧や鎖帷子を身に纏う男たちの中で、一人軽装とも見紛うような格好だった。一応鎖帷子は纏っていたようだったが、それでも、戦に出るにしては軽装すぎるように思えた。」
「…傭兵?私が…傭兵?」
「そうだ。ヒリュウは最後の決戦に向け、王城に仕える兵のみならず、ヒリュウで生きる傭兵や民までも兵士として集めたのだ。」
答えたシンの声は僅かに震え、目には後悔と怒りが浮かんでいた。
民を戦に巻き込んだこと。それは先の戦において、シンが最も後悔していることだった。
ともすれば、思考とともに逸れそうな話を一度深く息をすることで抑えながら、シンは再び口を開く。
「お前も招集の声に集った、流れの傭兵の一人だったのだ。」
再度示すように、はっきりと告げられた言葉に、少女は小さく息を呑んだ。