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時空の風 -竜の章-  作者: 穂積
■シン編
91/112

シン 3

建物や周りの風景から、どうやらヒリュウの国内のどこかであることは判ったが、暗い路地に隠れたままでは、町の名前も正確な位置も判らない。

戸惑うリュウキを連れたまま、シンは一端身を隠すように元の路地へと戻っていた。

まぁその間にも、暗い路地へと己を引きずっていくシンに警戒したリュウキが暴れ、一悶着あったのだが、危害を加えるつもりはないと丁寧に説明すれば、とりあえず落ち着いてくれたらしい。

未だ警戒の色は見せてはいるが、リュウキは大人しくシンについてきていた。


しばらく路地の壁に背を預け、表の通りを伺っていたシンが、静かにリュウキに向き直る。

見慣れない黒の瞳を正面からしっかりと見下ろすと、彼女は僅かに身じろぎ居心地悪そうに小さく身を竦ませた。

まるで知らぬ人間を見るようなその反応に、シンが小さく眉を寄せる。


「リュウキ、私が判らないのか?」

「…知りません。ていうか、何で私の名前、知ってるんですか?」


疑問に満ちたリュウキの表情は、嘘偽りや冗談を言っているふうではなかった。

黒い瞳を訝しげに細めて、僅かに首を傾げている。


「その前に、リュウキ。お前、年はいくつだ?」


そう、先ほど彼女の顔を見てから思っていたことだ。

確かに顔立ちを見れば、瞳の色の違い以外はシンが知るリュウキそのものだった。

しかし、その表情も口調も、首を傾げる仕草も、ちょっとしたことが現在のリュウキからは考えられない程幼い。

どこか頼りないその瞳が、常に不安げに揺れていた。

促すように、じっと見つめる翡翠の瞳に、根負けしたのはリュウキである。

小さく溜息をついた彼女は、未だ不審の残る黒い目でシンを見つめたまま渋々と口を開いた。


「…十七。」


小さく呟かれたリュウキの声に、シンが僅かに目を見開く。

予想はしていたが、やはり目の前のリュウキは過去の彼女の姿だった。

シンは少し前にリュウキ自身から、彼女がシロと契約するまで、リュウキの瞳は彼女の髪と同じ真っ黒な瞳をしていたということを聞いたことがある。

一体どういう経緯でこんなことになっているのかは不明だったが、目の前の少女は確かにリュウキなのだ。


シンが知るそれよりもずっと頼りない肩に彼がそっと手を置くと、十七歳のリュウキはぴくりと小さく身体を弾ませ、瞳には怯えの色を見せる。

その反応に、心のどこかが痛むのを感じながらも、安心させるように視線を合わせて笑みを浮かべた。


「お前の名前は、レン・リュウキで間違いないな?」

「…!!」


それは、彼女にとってこの世界で誰も知っているはずがない自分の本当の名前で。

驚きに、言葉もなく目を見開いた少女の唇が、僅かに震えた。


「大丈夫だ、私が必ずここから連れ出してやる。」


強い言葉と太陽のような暖かな笑みに、リュウキの目から大粒の涙が零れた。











実のところ、シンはリュウキが涙を零すところを見たことは殆どない。

彼女はいつも、自らの傷を涙と共に飲み込み隠すので、涙以前に彼女の弱音を聞き出すことすら周囲の者にとって大変な苦労を要した。

何せ、現在ヒリュウの宰相補佐として仕える彼女は、その辺の兵士よりもずっと心身共に強いのだ。


だから、目の前で突然大粒の涙を零し始めたリュウキに、シンは少しだけ狼狽えた。

といっても、彼も年齢を重ねた男なので、そこは顔に出すような失態は取らなかったのだが。

時折小さくしゃくり上げながらも、唇を噛みしめて声もなく涙を零す少女に、シンは眉を顰めた。


「…お前は十七の時からそんな泣き方をしていたのか。」


呆れたような声は、確かな不快を表していたが、肩に掛かる手は優しく温かい。

まるで己を守るように添えられた大きな手に、リュウキは抵抗することなく、しかし掛けられた声に応えるように、涙に濡れた顔を僅かに上げる。

あまり顔を見られたくないのか、細く白い両手でしきりに目元や頬を擦っていた。


「あ、こら、止めろ。腫れるぞ。」


それを見たシンが、肩から手を離して顔を擦っていた彼女の両手を掴む。すると、リュウキは慌てて顔を隠すように俯いた。

その幼い仕草に、シンが目を瞬かせ、次いでふと吐息を漏らしながら小さく笑う。

彼の微笑む気配がわかったのだろう、恥ずかしがったリュウキは更に顔を背けた。


「ほら、顔を見せてみろ。」

「…やだ。」

「やだ、じゃない。あ、こら擦るな。」


顔を上げさせようと、片手を離して涙に濡れた頬に添える。すると、彼女はすぐさま空いた方の手で目元を擦ろうと手を己の顔に寄せた。

それを見たシンが慌ててリュウキの顔を上げさせる。

彼女が乱暴に顔を擦らないよう、手と腕を器用に使って遮りながら、両手で彼女の頬を包み込むように持って、そっと親指で目元に残っていた涙を拭った。


「あー、少し腫れているな。だから擦るなと言ったのに。」

「止めて…ください。」


温かな手は、大した力も込められていないのに、何故か彼女は振り払うことができず、細い両の手は頬を包む大きな手の手首のあたりに掛けられたままだ。

おそらく泣き顔を真正面から見られるのが恥ずかしいのだろう、涙に潤む黒曜石のような瞳が、ゆらりゆらりとシンから逃れるように揺れている。

己の思い人の滅多に見ることのできないだろうその姿に、シンの頬は緩みっぱなしだ。

現在のリュウキが、このことを知れば、記憶でも消されそうな勢いだなと、心の中で苦笑を浮かべながら、シンは目の前の彼女の顔をそっと解放した。

どうやら相当恥ずかしかったらしい、耳まで真っ赤にした少女は、途端に一歩後退し思いっきり顔を背ける。

シンは特に気にすることなく、否、むしろ面白そうにそれを見つめながら、懐から布を一枚取り出した。


「取り敢えず、顔を拭け。」


差し出された小さな布は、ふわりと軽く手触りもいい。

リュウキは反射的に受け取りながらも、その感触に僅かに目を見開いていた。


「これ、すっごく高い布なんじゃ…。」


どうやら汚してしまうことに抵抗を感じているらしい。

受け取ったままの状態で、布とシンの顔を戸惑ったように交互に見つめていた。


「あぁ、構わん。お前の顔が腫れるよりいい。」


あまりにも率直な答えに、リュウキの顔が再び赤く染まる。

照れて視線を彷徨わせる彼女に小さく笑みを浮かべたシンは、場所を移動するために通りの様子を伺おうと踵を返して彼女に背を向けた。


「……ぁ、りがと…。」


小さな小さなその声は、狭い路地に零れて消えた


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