シン 2
シンが目を開くと、そこは荒れ果てた町の一角だった。
夕暮れ時なのか、僅かに差し込む日の光も赤く、周囲は薄暗い。
真っ白な空間から一気に変化した情景に、呆然と周りを見回しながらも、先ほど掴んだはずの細い手を思い出し、はっと己の手を見下ろした。
しかし、そこには何の感触もなく、リュウキの姿すらない。
一度掴んだものを離してしまった己の不甲斐なさに、シンが大きく舌打ちをした。
何も無い掌をぐっと握り混み、狭い路地の壁に背を預けて悔しげに眉を顰める。
と。
「……っ!」
「…………せっ!!」
シンのいる狭い路地から出た、少しだけ広い道から言い争うような声が聞こえた。
狭い路地にいても、どこか荒んだ空気の漂う町は、決して治安のいい場所とは言えなさそうだ。
シンは音を立てないように、そっと路地の端にすり寄って、声の方向を伺うように壁からそっと顔を覗かせた。
「はなっ…離してっ!こ、のっ!!」
「おら、暴れんじゃねぇ!!」
「ったく、売り物のくせに手間かけさせやがって!!」
女の声と男の声。
女は少し高めの声で、何となく聞き覚えがあったが、大きな布を深く被っているせいかよく姿が見えない。
男二人は形からするに奴隷商人か何かだろう、シンは不快を全面に浮かべて眉を顰めた。
どうやら女は彼らから逃げてきたらしい、三人は揉み合うようにしていたが、そこは男と女の力な上に男の方は二人がかりである。
髪を掴まれた女は、そのまま引きずられるように地面に倒され、押さえつけられていた。
が、シンはその髪の色に目を見開く。
それは薄暗い中でなお暗く夜の闇を思わせる、見事な程の黒髪だった。
未だ逃れることを諦めない女が、更に身を捩った瞬間、顔を覆っていた布と髪がさらりと落ちる。
その白い面を確認した瞬間、シンは路地を飛び出していた。
「大人しく…ぐっ!!」
なおも暴れる女に、男の一人が拳を振るおうとしたとき、突然受けた腹への衝撃に喉の奥からおかしな音をたてながら、もんどり打って地面へ倒れた。
「何だぁ!?てめぇっ!!」
突然のことに驚いたもう一人の男が、蹴りを放ったシンを確認した途端、醜く顔を歪めて彼に襲いかかる。
しかし、男が腰の鞭に手を掛けた瞬間、シンの拳が男の鳩尾にめり込んだ。
「ぐっ…がぁっ!!」
その衝撃に腹を庇うように崩れ落ちた男が、口から吐瀉物をまき散らしながら白目を向いて意識を飛ばす。
どちらも一撃で沈めたシンは、既に意識を失った男二人に構うことなく、慌てて蹲る女――リュウキの下へと駆け寄った。
「大丈…」
「っ!!いやああっ!!離せっ!離せーっ!!」
しかし、肩に手を掛けた途端、狂ったように暴れ出したリュウキに、シンが驚いて咄嗟に両腕を掴む。が、彼女の方は両手を拘束された事で、更に追いつめられた獣のように抵抗し始めた。
「やだっ!やだっ!!」
「おい!落ち着け!!」
「は、なせっ!離してっ!!」
「リュウキ!!」
「…っ!?」
ぐい、と腕を取って身体ごと自分と向き合わせながら、シンが大きく声を上げて彼女を呼ぶと、それまで必死に身を捩らせていたリュウキが、ぴたりと動きを止めた。
その顔を見れば、驚きに大きく目を見開いている。
が、シンも別の理由で驚いていた。
「……お前、リュウキ、か?」
「…なんで、私の名前…?」
至近距離で見つめた先の彼女の顔は、シンが記憶しているリュウキの顔よりも数段幼く、いつも人を射抜くような金の瞳は、まるで夜の闇を集めたような、彼女の髪と同じ黒い瞳をしていた。