記憶 8
もう見慣れてしまった真っ白な空間に、ぽつんと佇む黒い影――リュウタは、昼間の貼り付けたような笑顔を消し去り、感情がそげ落ちた顔で何を思うこともなく、ただただぼーっと前方に目を向けていた。
目を向けていたというよりも、目が開いているというだけのように見える。
誰に知られることもなく、静かに狂っていくリュウタは、ある日を境に頻繁にこの夢を見るようになっていた。
彼が眠りに落ちこの空間にくる度に、傍らで見つめるリュウキも引きずられるようにリュウタと共に夢を見ている。
初めの頃でこそ、母と慕うネバを失う切欠となった夢を見て、昼間の仮面が嘘のように剥がれ、嘆きと恨みに声を上げて泣いていたリュウタだが、今ではただ静かにそれを受け入れていた。
――リュウタ
高いのか、低いのか、男なのか女なのか。
確かに聞こえているはずなのに、リュウキには彼の声がどのような声なのか判断ができない。
ただそれは、頭の中に響くように、心の底に潜り込むように、不思議な感覚を持って届いた。
――リュウタ
それは、愛しげに彼の名を呼ぶ。
いつ頃からか気付いたのだが、リュウタにはそれが亡くした養母の声に聞こえているようだった。
僅かに揺らいだ彼の黒い瞳が、ゆるりと何かを探すように動く。
しかしその瞳に浮かぶのは、絶望と諦めだった。
――リュウタ、お前は賢いね。
――わたしが“違う”とわかるのだね。
嬉しいのか、哀しいのか、穏やかな声はそう言った。
言葉に、リュウタが僅かに目を細める。
「ネバは、もういない。」
――そうだね。
「おまえが…ころしたくせに。」
――そうだね。
肯定の言葉に、だらりと垂れ下がったリュウタの拳がぐっと握りしめられる。
――しかし、望んだのはショウコだ。
「知っている。」
もう何度となく繰り返したこの問答。
当初は、憤り反論していたリュウタも、今では静かに凪いだ声を返すばかりだ。
しかしその言葉の奥には、隠しきれない憎しみと悲しみが見え隠れしていた。
リュウキは眉を寄せて彼を見つめる。
――憎いか?
「憎い。」
――悲しいか?
「悲しい。」
――ならば、ショウコを殺そう。
――リュウタの望みを、叶えよう。
「いらない。」
――何故?
「お前ができるのは、命を奪うことだ。それじゃあショウコは苦しまない。」
はっきりと、暗い声で紡がれたのは、ネバと暮らしていた頃のリュウタからは考えられないような無慈悲な言葉。
初めてそれを提案されたとき、リュウタの瞳は明らかに同意の色を見せていたものの、その後の問答でその存在にはショウコの命を奪うことしかできないことを知った。
彼の人にできるのは、ネバの命を奪ったときのように、ただ人の身体から命を抜き取ることのみ。リュウタが望むのは、ショウコが絶望の底でこれまでの彼女を後悔しながら命を落とすことだった。
「俺は自分の手であいつを苦しめる。お前の力なんか借りない。」
それは明らかに拒絶の言葉だったが、見えないそれが妖しく微笑んだことを、リュウキは鋭い感覚で気付いていた。