守るために
夜、窓辺に腰掛、ぼんやりと空を見上げていると、シロが無言で膝に飛んできた。
リュウキはそれを、自然な動作で受け入れながら、つるりとすべらかな真珠色の頭を撫でる。
まだ日も高いうちに帰城し部屋に閉じ込められてからずっと寝台で寝ていた所為か、夜も更けた時刻にも関らずリュウキの目は冴えていた。
傷という傷は既に回復してもらったので、あとは空っぽになった魔力が戻るのを待つのみなのだが、身体は少しの気怠さを感じるくらいなので、実際寝込むほどではないのだ。
普段身体を動かしてばかりのリュウキにとって、ただじっと部屋で寝ているのは退屈以外の何ものでもなかった。
「…まぁ、考える時間ができてよかったのかな。」
小さく苦笑を浮かべてそう零せば、膝でとぐろを巻いているシロが怪訝に彼女を見上げる。
それに気付いたリュウキが、ちらりと彼に目を向け小さく笑うと、すぐにその笑みを消し去り真顔で再び空を見上げた。
「馬鹿なこと考えるなよ、リュウキ。」
「んー?」
シロの言わんとすることは解っていたが、ついつい白々しくかわすような言葉を返してしまう。
とぼけた言葉に膝の上の騰蛇が不満げに眉を寄せた。次いでその小さな口から大きな溜息が零れる。
「てめぇが犠牲になったところで、何も解決しないんだからな。」
「…解っているさ。」
長い旅を共にしてきた騰蛇には、己の考えなどお見通しなのだろう。
あまりにも真っ直ぐな言葉に、リュウキが苦笑を浮かべた。
シロの白炎で焼き尽くした子供の髪、即ち世界の歪みの成れの果ては、おそらくあれで終わりではない。子供が長いときをかけてその身に封じていた分は、全て浄化できたかもしれないが、新たな歪みが今この瞬間にも生まれていることだろう。
それは、永遠に途切れることなく、この世に人が生きている限り生まれ続けるものであり、たった一度の浄化で解決できるものでもなかった。
子供が言わずとも、それくらいは理解している。
ならばもし、この大陸、ひいてはこの世界を救うために一番簡単な方法は、やはり古よりの契約をリュウキが引き継ぎ、身を捧げることなのだろう。
そうすれば、大陸の秩序が保たれ、無秩序の生み出す歪みが人の世を脅かすことはない。
だが。
「私は残念ながら博愛主義でもないし、聖人君子でもない。名も知らないどこぞの誰かよりも、家族や友人たちを優先するし、もちろん世界なんぞの生贄なんてまっぴらだ。」
これが元の世界に居た頃のリュウキならば、大事な誰かの為に我が身を犠牲にしただろう。
しかし、ヒリュウの皆と共に生き、時に叱られながら、彼女は大事な誰かのために己を不用意に削ることが、実は愚の骨頂であるということを知った。
それは、ただの自己満足であり、相手が大切であればこそ、また相手も大切に思ってくれていればいるほど、お互いを不幸にすることだと学んだのだ。
だから彼女は、守るために身体を盾にして戦うが、必ず自分の身も守るようにしているし、なるべくなら傷を負わないように心がけている。
それは、己の傷を見て悲しむ人が、少なからずいてくれるからだ。
まぁ、実力の不足が原因で、未だ至らないところは多々あるけれども。
そんなわけで、思いがけずこの世界の闇の一端と己が異界から呼ばれた訳を知ったわけだが、子供の言う“愛し子”として何も言わず世界の贄になる気は全くなかった。
「問題は、歪みをどうするかだよな。」
リュウキがその役を放棄した場合、大陸に生まれる歪みは行き場を失い、この大地によからぬことが起こるのは明白だった。
かと言って、修也を贄にするわけにもいかない。
それこそ、リュウキはお断りである。
というか、彼女はまずこんな馬鹿げた話を修也の耳に入れる気はなかった。
「手も足も出ないという訳でもないし、どうにかなりそうなんだがなぁ。」
そう、闇の腕での出来事で、シロの浄化の炎が歪みに有効だということは判っている。
有効も有効で、雪山での猛攻にしても、子供の髪にしても、どちらも余すことなく焼き尽くすことができたのだ。
ということは、シロの浄化の炎を使えば、世界の歪みを正すことができるということである。
「あの餓鬼の髪みたいに、一箇所に集まってれば話は早ぇんだが。」
「そうなんだよ、それが問題なんだよな。」
はぁ、とリュウキが大きく溜息を吐く。
子供の話が全て本当で、歪みが人の心が生み出すものならば、発生源を辿って地道に浄化していくことは不可能である。
如何にシロが神がかった力を持っているとはいえ、大陸中の人間を浄化して回るのは不可能だろう。
それも一人一回で終わるものではない、無制限に断続的に、だ。
土台無理な話である。
「リュウキ、お前腹括ってあいつらにちゃんと話せ。」
話して歪みを集める方法を探せ。
シロの言葉に、リュウキがぐっと口を噛む。
確かにそれが今出せる一番賢い答えだった。
魔力を回復するには、しっかり食べてしっかり寝ること。
というわけで、朝から大量の食事を腹に詰め込んだ、否、無理矢理詰め込まされたリュウキは、喉元まで詰まっているような感覚に吐き気を催しながらも、必死に口元を押さえて耐えていた。
因みに、事の首謀者は、頭まで筋肉で出来ていると噂の我らが大将軍閣下である。
どうやら、ロウから魔力の正しい補充方を教授してもらってきたらしい彼は、朝っぱらから起きたばかりのリュウキの前に大量の食料を並べて満足そうに頷くと、そのまま己の練兵場へ去っていった。
何とも極端で無責任な男だ。
「…シキ…あの、脳筋馬鹿…うぷ。」
ぐったりと椅子にもたれながら、常に顔を上向けているリュウキは、指の隙間からぶつぶつと恨みの言葉を漏らしていた。
下を向くと詰め込んだものが漏れなく逆流してきそうなので、下げる・屈むの動作はできない。
こんなことになるなら、申し訳ないから――勿論、作った者に対してだ――といって無理に食べたりしなければ良かったと、今リュウキは本気で後悔していた。
と、そこへ、未だ気分の悪さに動けずにいるリュウキの耳に、扉を叩く音が聞こえた。