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時空の風 -竜の章-  作者: 穂積
■本編
66/112

山脈 6

立ち上る水蒸気は周囲の氷の壁に冷やされ、すぐに冷たい雫となって洞窟内にぽたぽたと落ちた。

足元には炎で抉り取られたような大小の窪みに、絶えず波紋が広がる水溜りができている。

辺りを辿るように視線を巡らせながら、リュウキはシロを腕に抱えた状態でゆっくりと後退した。


霞んでいた視界はすぐに開け、先ほどまでこちらと子供を隔てていた分厚い氷の壁が、シロの放った炎で殆ど溶けてしまっていることが判った。

氷の壁は僅かな凹凸だけを残し、青く輝く大穴に姿を変えている。

どうやら壁の内部は水で満たされていたようだ。

しかし、殆どの水を炎が蒸発させてしまったようで、残っていたのは人の踝が浸る程度の水溜りだった。

その水溜りの中心に目を向けると、先ほどまで彼女の手を握り締めていた子供が、支えを失った人形のように倒れていた。


リュウキは宥めるようにシロの頭を一撫でして離すと、そのままゆっくりと子供に近づく。

ぱしゃん、と小さな音を立てて彼女の足元を冷たい水が濡らした。


「リュウキ。」


少し不満げな声が、警戒を促すように彼女の背へかけられる。

それに軽く手を上げて応えたリュウキは、しかしその歩みを止めることなく子供へと近づいた。

青白い四肢はだらりと伸ばされ、明らかに子供の身長よりも長い髪がその小さな顔を覆い隠している。髪はリュウキと同じ、まるで夜の闇のように真っ黒で、たっぷりと水を含んで少し重そうだった。


リュウキは素早く子供の全身に視線を巡らせた。

体つきを見ると、どうやら男の子のようだ。

彼女は警戒しながらも、子供の傍らに屈みこみ、その青白い頬にそっと手を添えてそのまま肌を滑らせるように張り付いた髪を掻き分けた。

そこに表れたのは、以前見たものより幾分頬はこけ目はくぼんでいるものの、夢を渡ってきた例の子供と同じ顔だ。

今はぴったりと閉じられている目は、おそらく髪と同じ真っ黒な瞳を隠しているのだろう。

僅かにずらした視線の先にある、骨と皮だけの腕を見つめ、リュウキは小さく眉を寄せた。


「…どうすんだ、そいつ。」


少し落ち着いたらしいシロが、するすると彼女の隣まで飛んできて子供を覗き込みながらぼそりと呟く。

先ほどまで異様な空気を放っていた子供は、今はただの人間の子供のようなあどけない顔を晒して意識を飛ばしていた。まるで死人のような肌色と体温だが、小さな唇からは空気の抜けるような吐息が漏れ、骨の浮いた薄い胸は生を示すように小さく上下している。

その姿のどこからも、邪悪な空気や魔力は感じられない。

とにかく、このままでは不味いだろうと決断したリュウキは、小さな子供の背と細い脚の膝裏に手を回し、何の躊躇もなくずぶ濡れの身体を抱き上げた。

じわりと彼女の衣服が濡れて色味を増す。


「…まさか連れて帰るのか!?」


その背後から、信じられないと言わんばかりに目を見開いたシロが抗議の声をかけた。


「でも、このまま放ってはおけない。」

「こんな大層な術式がかかってたんだ。そんなもん連れて帰ったら何が起こるか…」

「その術式を感情のままぶっ壊した奴が何言ってんだ。」


溜息混じりのリュウキの声に、ぐっとシロが言葉を呑み込む。

氷の壁の封印を破壊し、子供を水牢から解放したのは確かにシロだ。

子供の語った言葉の内容が真実ならば、この場と子供にかけられていた術式も子供が交わしていた契約も世界に関るほどのものである。

一時の感情で軽々しく壊していいものではなかった。


「それに、もうこの場は壊れてしまって、何の痕跡もない。残る手がかりはこの子供だけだ。まだ死なれては困る。」


そう、先ほど放ったシロの浄化の炎。

その炎はこの洞窟内にかけられていた全ての術をなぎ払い、焼き尽くし、欠片も残さず滅していた。

氷の壁と水牢の封印が子供だけは守ったようだが、その子供も今は意識を飛ばして話を聞くことができない状態である。

明らかにシロの失態だが、彼の行動の理由を思うとリュウキは強く咎めることはできなかった。

シロはただ、リュウキの身を案じ、彼女のために怒ってくれただけなのだから。


「兎に角、見た感じ危ない術もかかってないし、嫌な気配も感じない。念のため魔封じの陣はかけておくから問題はないだろう。ただ、確かに何が起こるか判らないから、念には念を入れてシロにも協力してほしい。」


頼む、という言葉と共に、強く輝く金目で真っ直ぐに見つめられたシロは、リュウキの言葉に小さく溜息を零して渋々と頷いた。






空になった洞窟から出ると、来たときに渦巻いていた魔の気が薄れていることに二人は気付いた。

どうやら周囲に渦巻いていた魔の気は、この洞窟から漏れ出ていたものだったらしい。大元の気が、シロの浄化の炎で悉く焼き尽くされ、山脈内の他の場所とそう大差ないくらいの状態に落ち着いたようだった。

全くなくなったというわけではないので、このくらいならば周囲に深刻な影響がでることはないだろう。


僅かに周りを見回したリュウキが、山脈を登るときにシロの力を解放したあの言葉を放つと、再び彼女の目の前に青白い炎の玉が現れた。

出現した全ての炎を飲み込んで、巨大な騰蛇が雪山に姿を現す。

リュウキはその背に無言で乗ると、彼女の着ていた外套に包まれた子供をしっかりと抱きなおして片手を伸ばし、シロの項をゆるく撫でた。

シロはその感触に僅かに目を細めると、そのまま翼を大きく上下させてゆっくりと空へ浮き上がる。


――落ちるなよ。


まだ少し普段よりも低い声で告げられた彼女を案じる言葉に、リュウキは僅かに苦笑を零して小さく頷いた。


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