怒りの焔
大地の息吹と命の焔、眠りの海原と癒しの風。
管理に疲れた彼らは、世界の理に似た四つの要が眠る大陸に、縮図となるべき術を施した。
その土地が平和に保たれることは、即ち世界が平和に保たれることであり、その土地が怨嗟に沈めば、世界も闇に沈む。
広い世界を覘くことは、変化のない日々を送る彼らにとって、とても面白いことではあったが、それを続けるには常に生み出される無秩序な闇を処理するという手間がかかった。
だから彼らは世界の縮図である箱庭を作ったのだ。
箱庭は思いのほか上手く育った。
しかし、数千年も経たないうちに、世界と箱庭を無理に繋いだことで再び歪みが生じた。
こうなると、箱庭を壊して、生じた歪みを世界に均さなければならなかったのだが、なかなかの傑作である箱庭を崩したくなかった彼らは、歪みを均さずそれを呑み込む器を作ることにした。
無秩序の思い、理不尽な願い。
怒りや悲しみ、妬み嫉む心。
巡り廻る、人の欲の還る場所。
その全てを箱庭の中心、生み出した者と似て非なる者へ。
一を全てに模して、全てを一に負わす。
大きすぎる歪みを背負った一は、世界の秩序から弾かれ、輪廻の輪に戻ることすら叶わず、孤独な箱庭に繋がれたまま、安らかな死すら許されることなく、魂を歪みに削られ続けるのだ。
幾千の時をかけて。
しかし、そんなことよりも、彼らには箱庭を残すことの方が重要だった。
――“愛し子”は、この世界のものにはなれない。
――“愛し子”は、輪廻から外れたものでなければならない。
「だから、異世界から呼んだのか…。」
茫然と、リュウキが呟く。
なんて身勝手で、子供じみた理由だろうか。
そんなことのために、リュウキも、修也も、この世界に呼ばれたというのか。
あまりのことに、何の言葉も浮かばない。
しかし、彼女の語尾にかかるかかからないかのところで、隣で燻っていた魔力がとうとう爆発した。
「…っ!!シロっ!!」
目を見開いたまま弾かれたように隣に目を向け、子供と繋いでいた手を振りほどいて、シロに手を伸ばす。
至近距離にいたはずの彼は、しかしリュウキの静止の声を受け入れることなく、伸びてきた彼女の手を掻い潜ってリュウキの正面に滑り込んだ。
そのままかぱりと小さな口を開く。
「こんなもん、俺が跡形もなく消し去ってやるっ!!!」
一際眩く光る陣を展開させた彼の口から、勢いよく青みがかった白い炎が放射された。
――ゴォオオオオオゥ
氷の壁に、シロの炎が叩きつけられる。
高温で熱された壁が、ジュウっと音を立てて蒸発し、その周辺一帯が発生した蒸気で埋め尽くされた。
リュウキは慌てて距離をとるように数歩下がる。
シロも炎を放射したまま、ばさりと翼を動かして後退した。
「おい、シロ落ち着け!確かにむかつくが、そんな簡単に壊していいもんなのか!?」
「知ったこっちゃねぇっ!!」
本気で頭に血が上っているらしい、ギラギラと小さな金目を煌かせて前方を睨みつける騰蛇は、殆ど咆哮に近い叫びを上げた。
「そんな犠牲がねぇと保てねぇ世界なんざ、ねぇほうがいいんだっ!!!」
最後のとどめとばかりに炎が勢いを増して壁を襲う。
そんなシロに、リュウキが慌てて手を伸ばした。
背後からの腕は、今度こそかわされることなく、シロの真珠色に輝く胴体に絡みつく。
「止めろ月白っ!!」
叫びながら片手で胴体を押さえ、もう片方の手で炎を放射する陣をかき消し、牙を剥き出しにしている獣の口を塞いだ。
己の身体を戒める白い手に、シロが苛立ったようにもがくも、名を呼ばれて身体の動きが鈍る。
「…っ!…てめぇっリュウキっ!!」
「ちょっと落ち着け!」
「うるせぇ!これが落ち着いてられるか!!てめぇっそれでいいのかよ!!」
「いいわけあるか!」
そう、リュウキだって理不尽な話にかなりの怒りを感じていた。
異世界に落とされ、もうすぐ十年。
今でこそ平穏無事に暮らしているが、その“今”を手に入れるまで多くの辛酸を舐め尽して来た。
果ては、己のみならず、大事な従兄を巻き込んで。
普通に暮らしていた自分達が、何故関係のない世界のために、わが身を犠牲にしなければならないのか。
全ての憤りを罵りでぶつけ、未だ心に燻る疑問を全て問いただしたかった。
否、言葉だけでは足りないだろう。数発殴ったくらいでは気がすまない。
リュウキとて、それくらい怒っていた。
しかし、よく考えてみれば、目の前に居るのは自分と同じ境遇の子供。
地球から、関係もないこの世界の贄となるためだけに連れてこられ、おそらく永い時を氷の中に押し込められ世界の歪みを背負ってきた子供である。
討つべきは彼の子供ではなく、それらを科した者達だ。
更に言えば、もうこの世界はリュウキにとって、簡単に壊れていいものではなくなっている。
彼女にとって、大事な家族が暮らす世界だ。
「兎に角、落ち着け!」
「…っ…くそっ!!」
同じ色に煌く瞳を睨みつけ、シロは小さく舌打ちすると、鈍く抗っていた身体から力を抜いて、リュウキの腕の中に身を預けた。
細く白い彼女の腕は、白い騰蛇を抱きしめながら僅かに震えていた。