山脈 5
「お前は、何だ。何故こんなところに封印されている?」
白い面に僅かな動揺を浮かべたまま、リュウキが子供に尋ねた。
子供の言うもう一人の“いとしご”に思い当たったものの、未だ正体のはっきりしないものを前に迂闊に名前を出すことは避けたい。
兎に角、意思疎通はできるようだし、聞けば答えるようなので、リュウキはまず事態の解明を優先した。
――われは、そなたとおなじもの。
――そなたは、われとおなじ存在。
「どういう意味だ?」
――われも、愛し子。
――青い星の、愛し子。
しばらく問答を繰り返すうちに、初めのうちは呂律の回らぬようだった子供の声が明瞭さを増す。
少し眉を寄せてそれに警戒を見せるリュウキは、しかし子供から手を離すことはなかった。
問答は続く。
「お前も異世界に落ちた者か?」
――渡りは必然。
――神が我らを選んだ。
「何のために?」
――世界のために。
「世界は“愛し子”に何を求めている?」
――要の地を、保つこと。
「要の地とは?」
――大地の焔、海原の風。
――世界が封じた四つの要。
「この大陸か。」
――世界の縮図。
――神の箱庭。
要の地、選ばれた愛し子、封印された子供。
揺らめく影をじっと見つめるリュウキの傍ら、子供の言葉を聞く毎に表情を険しくするシロに彼女は気付かない。
明らかに、話は不穏な方向へ向かっていた。
――愛し子よ、選べ。
――この地をめぐる黒星を抱く者を。
――そなたか、そなたの半身か。
「ふざけんじゃねぇっ!!!」
縋るように紡がれていた子供の言葉を遮ったのは、怒りに震えるシロの咆哮だった。
「言わせておけば、勝手なことをペラペラと…。」
リュウキですら今まで聞いたこともないようなシロの低く唸るような声が洞窟に響く。
彼は今、本気で怒っていた。
「遠まわしにのらりくらりと言いやがって。要は世界の贄じゃねぇかっ!!」
――お前には、関係ない。
子供が僅かに不快を示す。
しかし、シロも更に神経を逆撫でされたようで、まるで竜の逆鱗に触れたかのように気を爆発させていた。
彼の周りの空気がゆらりと陽炎のように揺らめく。
「うるせぇ。俺はこいつと魂を結んでる。リュウキのことで、俺に無関係なことなんか一つもねぇ。こいつは俺の、ただ一人の半身。勝手に贄にされてたまるかっ!!」
「シロ。贄って何のことだ?」
空気が揺れるような怒気に、しかしリュウキは怯むことなくシロへ声をかける。
シロは、リュウキの言葉に僅かに目を細め、心底忌々しいという意を隠すことなく口を開いた。
「俺はもともと天の獣。人間が神だ仏だと崇める存在と同じ場所で生まれた。だからあいつらがやりそうなことは大体見当がつくし、世界が変わろうと人間の性質が変わらないのと同じで、神と呼ばれるやつらも大して根っこは変わらねぇ。」
小さな獣の金の瞳が怒りで燃えている。
「あいつらは、よく“贄”を立てる。単純に、命を真っ直ぐ燃やす獣や植物と違って、人間には知恵があるからな。ときに生を逸れる無秩序な知恵は、他の命や神には理解できねぇもんだ。そしてその無秩序は、生み出した人間の枠を超えて、他に影響を及ぼすほどの力を持つ。」
リュウキは、人々が神と崇めるものを実際見たことがないし、人の中でもそれらの存在を目にしたという者は少ないだろう。見たという者ですら怪しいくらいだ。
それでも人は、神を崇め、神に縋る。
シロの言うことが本当ならば、人の言うところの世界を見守る神々は確かに存在していることになる。ただ、シロの様子からは人の想う神の像からかけ離れていそうではあるが。
リュウキ自身、異世界というものがあるのだから、彼女の世界で言われていた神や悪魔がいても不思議ではないな、くらいのことだった。
まぁ、何年か前のリュウキが彼らの存在を知ったならば、己の境遇を思い崇めるどころか恨んですらいただろうが。
「あいつらは、面倒なことが大嫌いだ。無秩序の移ろいを見るのは好きだが、それらが引き起こす世界の歪みを処理するのは手間がかかる。ただ消すだけでは、世界の秩序が許さない。強力な力を加えれば、またそこから歪みは生まれるから。だから、あいつらは歪みを埋める“贄”を立てるんだ。」
ぎりり、とシロの口元から肉の擦れる音が聞こえたきがした。
「大きく栄え過ぎるものあれば傍ら滅ぶものをつくり、強大な力を手にするものがあれば翻弄されるものをつくる。それらは広く散らすことで個の負担を減らし、等しく緩やかに行われるはずのものだった。それを個に背負わせればどうなるかなんて、あいつらだって判っているはずなのにっ!」
金色の小さな瞳が、刺すように子供を射抜く。
「何が“愛し子”だ!!クソ餓鬼、てめぇがリュウキに負わせようとしてんのは、まさしく世界の歪みだろうっ!?」