山脈 4
「これは…いったい…。」
思わず、そんな言葉が口から零れる程、その光景は不思議で、不気味だった。
絶えず揺らめいているその影は、おそらく“それ”の髪なのだろう。
だらりと力なく伸ばした四肢は短く細い、頭部と思われるものから足の先までの長さを考えても、未発達の子供のものを思わせる大きさだった。
子供。
そう、髪の長い子供である。
「…お前か。」
ぽつりと呟いたリュウキが、すいと軽く左手を払うと、掌に浮かんでいた光がほわんと宙へ移動する。そのままそこに停滞して洞窟内の明るさを保っていた。
そこにはちらとも視線を寄越さず、氷の壁に目を釘付けにしたままのリュウキが再び壁に近づいて手を伸ばす。
「リュウキ?」
彼女らしからぬ迂闊な動きに、シロが注意を促すように名を呼んだ。しかし、彼女はそれにすら応えない。
そうこうしているうちに、両手を伸ばした彼女の掌が、ひたと氷の壁に触れた。
「リュウキ!」
「…っ!!」
その瞬間、髪だけを靡かせていたはずの黒い影がぐにゃりと蠢いたかと思うと、長く伸びてきた腕と思わしき影が分厚い氷越しにリュウキの掌と重なる。
驚いて手を引こうとしたリュウキはしかし、己の手が凍りついたように動かないことに目を見開いた。
「なにっ!?」
とくん、と。
冷たいだけの氷の壁から掌に伝わったのは、不思議なことに小さな鼓動だった。気づけば、目の前の影が伸ばした手は、まるで水中を進むかのようにリュウキの掌のすぐそこまで迫っている。
と、リュウキとシロの目の前で信じられないことが起こった。
「…手、が…!?」
氷の壁を突き抜けて、ゆっくりと青白い子供の手がリュウキの手に絡んだのだ。指の一本一本を絡ませながら、小さな白い手がぎゅっとリュウキの両手を握る。
「このっ!!」
「待て!シロっ!」
それを見たシロが、焦ったように口を開いて陣を展開させた。恐らく炎で焼き払おうとしたのだろう、しかしその行動をリュウキの厳しい声が止める。
「何で!?」
「いい、大丈夫。」
リュウキは子供の顔らしき影をしっかりと見据えたまま告げるが、どう見ても大丈夫には見えないシロには焦りの色が浮かんでいた。リュウキの声に従うものの、いつでも炎を出せるように魔力を集中させている。
「何か…言ってる。」
「何?」
リュウキの視線は影から離れない。それどころか、彼女は己の指に絡まる小さな手をそっと握り返した。青白い手から人肌の温もりが伝わることはなく、子供特有の柔らかさはあるものの、ひんやりと冷たい。しかし、先ほどから伝わる小さな鼓動は強制的な意思をもってリュウキの抵抗を封じていた。寧ろ抵抗するという選択肢すら思い浮かばないのが不思議だ。
――…っていた。
――ずっと、まっていた。
リュウキの頭に響くその声は、確かに夢で聞いたあの声だった。
――あおい、ほしの…いとしご。
「青い星…。」
「リュウキ?」
ぽつりと零れたリュウキの言葉に、シロが訝しげに眉を寄せる。どうやら声は、リュウキのみに聞こえているようだ。
「シロ、繋がれ。声が聞こえる。」
リュウキは微動だにせず、シロに声をかける。低く告げられた言葉にリュウキの正気を確認したシロは、少しだけ安堵の息を吐いた。
そのままするりといつもの低位置である、リュウキの肩に身を落ち着ける。少し意識をリュウキに集中させれば、まるで精神が混じるように意識が溶けた。
――だれ?
――いとしごではない、だれ?
「…っ!」
しかし、影は突如リュウキの意識に混じったシロに気付いたらしい。声の抑揚は変わらなかったので感情は読めなかったが、すぐさま意識をシロに向けてきた。
――だれ?
「私の半身だ。いつどんなときも共に在る。」
――…ちがう。
「違わない。」
――いいえ、ちがう。
――それは、はんしんではない。
「好き勝手言ってくれるじゃねぇか。なら、てめぇがリュウキの半身ってヤツなのかよ?」
子供の答えが気に入らなかったらしいシロが、少し苛立ったように嘲笑をこめて言葉を放つ。
――いいえ、われは、ひとり。
――あおいほしの、いとしご。もうひとりの、いとしごがそなたのはんしん。
――ちとえにしをわけた、たったふたつのそんざい。
そこでリュウキがはっと目を見開く。
「青い星とは、地球のことか!?」
――ちきゅう、そう、あおいほし。
「どういうことだ?“ちきゅう”っつーと、リュウキの元いた世界か?」
「あぁ。」
「じゃあ、半身ってのは…。」
たった一人、リュウキと共に異世界からここへ落ちた存在。
“修也”
リュウキとシロの頭を彼の名前が過ぎった。