山脈 2
「昇り始めた月とその周りの青白い空が、お前とお前の使う炎に似ているから。」
何故この名前をつけたのかと尋ねると、女は無表情のまま、しかし目元を僅かに染めて答えた。
その時から、火の凶将である己の性とは似ても似つかないこの名前が、彼の宝物になったのだ。
ビュウ、と風を切る音を立てながらシロが白い山肌に沿って昇っていく。
視界の地面はだんだんと雪が深くなり、ついには岩肌が隠れ雪と氷の世界に変わった。
「シロ、ちょっと速度を緩めてくれ。」
リュウキが彼の頭部に顔を寄せて大きめの声で告げる。
黙っていても意思疎通はできるので、声に出す必要は無いのだが、彼女はいつも必要なとき以外は伝心を使わず言葉を使うのだ。
シロも彼女の声は好きなので、多少聞き取りづらい状況でも特に何を言うこともなかった。
――了解。ていうか、どこもすげぇ魔の気だな。
前回山脈を越えたときは、ここまで山肌に近づいて飛んではいなかったので判らなかったが、殆ど雪の大地すれすれを飛んでいる今、その魔の気の濃さに二人は驚いていた。
もう何が起こっても不思議ではないくらいだ。
「もう少し登ってみるか…。」
――そうだな、天への扉って言うくらいだから一番高ぇトコじゃねぇか?
「はは、単純だな。でも確かに一理ある。」
シロの言葉にくっくと笑いながらも、リュウキはしっかりと頷いた。
それを確認したシロが、ぐんと一度胴を沈めて羽を大きく広げる。
――よし、んじゃ一気に行くぞ!
その言葉が終わるやいなや、シロが翼を物凄い勢いで上下させると、白く輝く巨体が風を巻き上げながら速度を上げて再び上昇を始めた。
ぱきぱきぱきぱき。
氷の壁には、まるで大きな蜘蛛の巣のように巨大なヒビが入っている。
壁の前には、ヒビから崩れたいくつもの氷の欠片が零れ、既に小さな山を作りつつあった。
ごろり、と音を立ててまた一つ欠片が零れ落ちる。
それでも壁の全てが崩れることはなく、未だ耐えるようにそこにあった。
ぱき…ぱきぱき…ぴし。
ヒビの進む音は止むことなく続き、断続的に響く地鳴りの感覚も縮まっている。
――ズ…ズズズズゥン
再び低い音が響き始めた。
それと共に、洞窟の壁がカタカタと振動を始める。
とうとう、その揺れに耐え切れず、氷の壁の中央上部、人の頭ほどの大きな欠片がゴトンと大きな音を立てて地面に落ちた。
――ズ…ズズズズゥン…
唸るような低い音は、山肌を滑るように進む彼らの耳にもはっきりと届いた。
まるで本当に天が唸っているように、空から聞こえるその音にリュウキとシロが同時に目を見開く。
「シロ、お前正解。やっぱ上だな。」
――あぁ、…にしても、不気味な音だな。
「グウレイグ河畔とどっちが不気味だろうな。」
苦笑を浮かべながら同意を表すリュウキに、シロが小さく笑った。
しかし、すぐに気を引き締めるようにどちらの顔からも笑みが消える。
「原因が判らない分、危険なのはこっちだな。」
――違いねぇ。
睨むように見上げた先には、まるで刃のように切り立った白い峰が姿を現していた。