山脈 1
この世界で言う“契約”には、たくさんの種類があり、特に何の影響も無い口約束程度のものから、肉体が朽ちた後も魂を縛る最も重いものまで様々である。
契約の重さの目安は、当事者にどれだけ影響を及ぼすかということと、破棄する時の制約の厳しさで決められているが、あくまで人間の目安だ。
また、契約の当事者には上下関係が発生することが多い。
それは保持する能力や魔力で決まる訳ではなく、契約者同士の意思で決まる。
例えば、竜と竜騎士の関係。あれも一種の契約であり、人間優位の主従契約である。
契約した人間の呼びかけに竜が応え、要望に従うのだ。彼らの契約は生涯魂を結ばないまでも、意識を共有するために一時的に精神を繋ぐ少し重い契約で、これを解くには両者の同意と一度破棄した相手とは二度と契約できないという制約を守らなければならない。
ただし、制約さえ解っていれば、どちらからでも契約を破棄することができるので、人間優位とは言っても、然程その主従関係に強制力は無いのである。
因みに、制約を破りもう一度無理矢理精神を繋ごうとすれば、どちらか、もしくは両方の精神が壊れてしまう。
そしてリュウキとシロも六年前に“契約”を交わしていた。
それも、竜と竜騎士の精神の契約よりも重い、魂の契約だ。
リュウキを主、シロを従として結んだこの契約は、当事者の死後まで縛られることは無いが、生きている限り二つの魂は縛られ、離れていても意思疎通ができるし、お互いの能力や魔力を使うことができる。
更に、シロはある程度自分の能力や魔力を使えるが、全ての魔力を開放するには主であるリュウキの了解が必要だった。この契約で、従僕であるシロはリュウキよりも多くのことに縛られているのだ。
因みに、彼が万が一リュウキよりも先に死んだ場合、彼の魔力や能力は全てリュウキに譲渡されるという付加まであった。
彼が死に、リュウキに全てが譲渡された瞬間、この契約は全て消滅する。もしくは、リュウキがシロ以外の何かに命を奪われたとき、それから彼女が寿命を全うしたとき、同様に二人の間の契約は消えてなくなることになっている。
と、いうわけで、雪の積もり始めた山脈を登るにあたり、シロの巨大化が必要なわけだが、これは契約の制限の一つである主による認証と一時開放が必要不可欠であった。
「じゃあ、いくぞシロ。」
「おうよ、任せろ。」
先ほど、リュウキが休んでいた場所からまたしばらく登り、二人は今薄っすらと雪の積もった岩場で足を止めていた。
岩の上に立ったリュウキの前に、ぱたぱたと翼をはためかせたシロが向かい合って飛んでいる。
それを見つめていたリュウキが、すうっと息を吸い込むと同時に薄く目を細めた。
「蓮竜姫の名において、封印されし凶将の星、火神騰蛇の解放を宣言する。」
赤い唇から零れた言葉は、一つ一つに力が込められ、光の渦となって流れるようにシロの体へと吸い込まれていく。
シロは煌く金目をとろりと虚ろに細め、己を取り巻く言葉の渦にうっとりと視線を彷徨わせていた。
「目覚めよ、“月白”」
言葉が放たれると同時に、シロの身体の内から幾筋もの光が溢れ、キラキラと輝く鱗が真っ白な光に呑まれた。
彼の居た場所が光の玉に変わる一瞬、白い騰蛇の輪郭がぼろりと崩れたように見えた。
――――ゴォォオウ
荒々しい音を立てて、ちらつく雪を手当たり次第に蒸発させながら青白い炎が渦巻く。
炎色反応ではなく、まるで星の光のようなその輝きは地上の生物が扱えぬ高温で、触れたものは一瞬で蒸発してしまうほどのものだ。
契約者であるリュウキにとっては、熱風にも感じられない温度だが、ひとたび彼女以外のものが今のシロに近づけばただではすまないだろう。
ふわり、と黒い髪を靡かせながら炎の玉にリュウキが近づく。
そのまま流れるように右手を上げて、まるで大事な宝に触れるようにそっと炎の玉に掌を添えた。
青白い炎が、白い彼女の手を焼くことはなく、寧ろ愛おしむようにゆらりと揺れる。
と、次の瞬間、彼女の掌に触れた場所から炎が集うように収束し始め、それらは僅かに青みを帯びた白く輝く鱗に変化した。
青白い炎を吸収するように広がるそれは、やがて緩い曲線を描きながら大きな輪郭を形取っていく。
全ての炎を吸収し終わる頃には、巨大な騰蛇がゆったりと翼を広げていた。
「この姿は久しぶりだな、月白。」
――あぁ、その名で呼ばれるのもな。
「ふふ…気分はどうだ?」
――いいぜ。すげぇ開放感だ。
先ほどまでとは違い、声帯から発する声ではなくリュウキの頭に直接少年の声が響く。
どこか荘厳な雰囲気を持つ見た目に反し、いつもどおりの軽い口調に違和感を覚えたリュウキは小さく笑みを零した。
因みに、“月白”とはリュウキがシロと契約するときに、彼に付けた二人だけの知る名前である。
名を伴う契約は、それだけで二人の繋がりを強め、より強固な契約を交わすことができるのだ。
――ほれ、乗れよリュウキ。
シロがゆっくりと空を進み、ちょうどリュウキの前に彼の後頭部が来るように移動した。
「よろしく、月白。」
それを目で追いながらふわりと笑ったリュウキが、トンと軽い音を立てて岩場から彼の背に飛び移る。
――行くぜ!!
リュウキが項あたりに膝を折り、両手を彼の後頭部に乗せてしっかりと身体を固定したことを確認したシロは、大きく翼をはためかせて一気に上昇を始めた。