ヒリュウ国 4
「リーン国のこと、聞きました。」
「…」
「世間知らずな私ですが、馬鹿ではありません。リーンと同盟を結ぶということは、私の未来が決まる可能性があるということでしょう?」
その言葉にリュウキは目を見開く。あぁ、やはりこの姫は賢いと思った。
確かに、王も宰相もその件に関しては何も言わなかったものの、他国と同盟を結ぶとなれば婚姻による同盟も考えられるだろう。
今回、リュウキたちがリーンに渡り、彼の国を統べる王家の者たちを見て条件が揃えば、シャルシュの言う可能性もかなり高くなるのだ。
そう、彼女がリーンの王族の元に嫁ぐという可能性が。
「政略結婚に関して、不満があるわけではありません。王家に生まれ、人よりもずっと良い暮らしをしている分、自分の負う責任はきちんと理解しています。」
笑みを消した美しい面を上げて、煌く翡翠が強くリュウキを見つめる。
「ですが、何も知らぬまま流されるのは嫌です。私は無価値な姫にはなりたくない。」
「姫は無価値などではありません。」
「いいえ、まだ足りぬのです。」
強い姫だと、リュウキは思った。まだ16の少女がこれだけのことを考えている。
「王は何も?」
「…お兄様もコウリも過保護すぎます。私が傷つかぬよう、その時まで言わぬつもりです。」
桃色の紅がひかれた小さな唇を噛み締め、シャルシュは顔を俯ける。
「……愛されているのは解っています。ありがたいとも思います。ですが…」
「貴女は兄君達が思うより、ずっとお強い。」
繋ぐようにかけられた言葉にはっと顔を上げると、リュウキの温かな笑みが向けられていた。
その笑みと確信をこめた言葉に、少女がぐっと何かを堪えるように眉を寄せる。
どれだけ強く意思を持とうとも彼女はまだ恋も知らない末の王女で、独り異国に嫁ぐことが心細いのだろう。だからこそ、己は強いのだと思わなければならなかったし、誰かに背中を押してもらう必要があった。
リュウキは、小さく震える白い頬にそっと手を添えると、眩しいものを見るように目を細めた。
「大丈夫。何かあれば、このリュウキにお申しつけください。必ずや貴女の力になりましょう。」
揺らめく翡翠にうっすらと涙を浮かべ、少女は花のように微笑んだ。
練兵場に着いたとき、既に午後の練兵は始まっていた。
先の行軍に合わせてか、竜騎士としての訓練のようで、練兵場には竜たちも集ってる。
今は行軍用の鎧と積荷の重さを想定して飛行訓練を行っているらしい。
仮のものだが、様々な荷を背に乗せた5頭の竜たちが騎士と共に空を舞っていた。悠々と風を切るように飛ぶ竜たちは、積荷の重さを全く感じさせない。
そしてそれを見定めるように、練兵場の広場の中央には一際大きな黒い竜を連れた長身の男が、腕を組んだまま空を見上げていた。が、リュウキとシャルシュが練兵場の入り口を越えた瞬間、男はそちらに目を向ける。普段は灰色の瞳が太陽の光を受けて銀色に煌き、その視線が二人を捉えた途端、厳しく細められていた目めを和らげると、男はどこか少年のような満面の笑みを浮かべた。
「シャルに…リュウキじゃないか!お前帰ってきてたのか!」
リュウキは応えるように笑みを返すと、軽く頭を下げて男に近づいた。
シャルシュと侍女もそれに続く。
「小兄様、ごきげんよう。お仕事中失礼しますわ。」
「…おい、その“小兄様”は止めろって言ってるだろうシャルシュ。」
「あら?どこかおかしくて?」
この男はシキ・ヒリュウ。言わずもがなヒリュウ王家の第二王子でありヒリュウ国の現大将軍である。
長男ではなく次男なので、シャルシュの言う“小兄様”は間違いではない。間違いではないのだが、身長約2メートルの筋肉質な大男に、その呼び名は不釣合い過ぎた。しかし、真っ直ぐな次兄の反応が面白くて大好きな妹にとっては、寧ろ格好のネタである。
くすくすと笑うシャルシュに溜息をつくと、シキはリュウキに目を向けた。
「…練兵中に申し訳ない、大将軍閣下。」
「…お前も笑ってんじゃねーか。」
どうにも納得がいかないらしく、低い声で唸るように言いながら頭をガシガシと掻く姿に、リュウキは笑いながらも小さくすまんと謝った。
「ったく…で、行軍のことだろ?」
「あぁ、本当なら夜にでもと思ったんだが…何せもう時間が無い。翼竜隊も大変なんじゃないか?」
「そうなんだよ、山脈を越えるならこいつらの調整にもっと時間かけたいんだがなぁ…」
まいったまいったと軽く溜息をつきながら、シキは空を見上げ、次いで自分の背後にどっしりと座り長い首を自分の傍まで下ろしている黒竜に目を向けた。全てを見通すような金色の瞳を見つめ、黒曜石のような鱗に包まれた首筋を申し訳なさそうに撫でる。
「大分無理をしてもらっているようだな。」
「まぁな、エンには特に助けてもらってるよ。」
エンというのは黒竜の名前だ。エンはシキのパートナーで水を司る竜である。
「そうか。帰ってきたら孝行せねばな。」
「…止めてくれ。もう要求はしっかりされてるんだ。」
なかなか強かな竜のようだ。
「で?シャルは何の用なんだ?」
リュウキと話し始める前に、シャルシュの用を済ませて彼女を戻そうと思っているのだろう。シキは徐にたずねた。
だがその意図を理解したシャルシュは小さく笑みを浮かべて兄を見上げる。が、その目は明らかに笑っていない。
「小兄様ったら…イヤですわ、私のことなんてお気になさらずお話を続けてくださいませ。」
怒気を感じさせる眼に、妹に弱いところのある次兄は内心怯みながらも、形の良い眉を寄せて眼を細めた。
「馬鹿を言うな。お前が聞くような話じゃない。」
「あら、どうして?私だって王族。国のことは把握しておく義務があります。」
「お前には関係ないだろう?」
「関係あります。私の生涯を捧げるものになり得るかもしれない国のことを、何故私自身が知ろうとしてはならないのです?」
尤もな言い分であることはシキも解っていた。が、やはり最愛の妹に心労をかけたくないという気持ちと、山脈で隔たれた彼の地へ送りたくはないという思いが優先してしまう。
王族としては考えなければならない可能性だが、兄として、この年若い妹とはそのことを話したくなかった。
しかし、シャルシュにとっては過保護以外の何物でもない。確かに不安はあるが、自身が嫁ぐことで国、ひいては兄達や己の大切な人々の役に立てるならば本望である。
互いを想うゆえに牽制し合う二人に、これはもう平行線だと溜息をつきながら、ぶつかる視線を遮るようにリュウキが一歩前に出た。
「お二方とも、もうそのくらいで。このままだと日が暮れる。」
色の違う二対の視線がリュウキに注ぐ。
「兎に角、今後の話だシキ。時間が無い。」
「だがリュウキ!」
「シャルシュ殿はもう、一人の女性だ。己で考え、その足で己が道を創ることができる。姫にも話すべきだと私は思う。」
強く断言された言葉に、シキはぐっと言葉を呑んだ。
二人の兄と末の妹姫とは10以上の歳の差がある。彼らがシャルシュを子ども扱いするのは仕方が無いのかもしれないが、このままでは彼らが掌中の珠のように大事にしているシャルシュが傷つくことになるのだ。
「何もかもを遠ざけることと護るということは、等しくないんだ。」
はっとシキが息を呑む。
「お前は大事な妹に、消えることの無い後悔を背負わせる気か。」
静かに放たれた言葉は刃となって、シキの頑なに閉ざしていた視界を切り裂く。
胸の中心を、爽やかな風が通り過ぎていった気がした。