闇の腕 2
ゆらり、ゆらりと黒い影が動く。
波打つように揺れるそれは、分厚い半透明な氷の向こうでゆっくりと動き続けていた。
所々にヒビが入り一部が崩れた氷の壁は、今にも崩れそうになりながらも何とか役割を果たしている。
ゆらり、とまた影が動いた。
この洞窟が崩壊を始めてからもう数日、未だ崩れないまでも地鳴りを伴う洞窟全体の振動は断続的に続いている。
それはまるで、何か得体の知れないものがこの世に生れ落ちる前兆のような。
それが母の胎を突き破り生れ落ちる前触れのような。
決して喜ばしくないことが起ころうとしているように思えた。
ゆらりと、黒い何かが蠢く。
洞窟全体に低い音を響かせながら、再び洞窟が振動を始めた。
「シロ!右っ!!」
「ほらよっ!」
リュウキの声に合わせて、真っ白な騰蛇が右を向いた。
そのままかぱっと口を開くと同時に、開いた口の前に小さく複雑な陣が浮かび上がり、そこから高熱の白い炎がゴォっと音を立てて放射される。
炎に焼かれた巨大な虫の群は、金属を擦ったような悲鳴を上げながら一瞬で骨まで消滅した。
シロはそのまま首を前方に振って目前の虫の群も焼き尽くす。
「よーし、シロ流石!」
軽口を叩くリュウキ自身も、片手に構えたサーベルに魔術の陣を展開させて虫の郡をなぎ払っていた。彼女がサーベルを振るう度、刃先が真っ赤に輝き切られた虫が次々と発火して炭と化していく。
淡く緑に輝く暗い森を駆け抜けながら、ひらりひらりと黒と白が舞うように進んでいた。
と、突然真横から鋭い殺気がリュウキとシロを襲う。ぞくり、と背を這うような悪寒に、二人は一瞬で殺気に目を向けながら逆方向に大きく跳躍した。
まだ僅かに残る虫は、シロが一気に焼き払う。
「…中ボスの御出ましだ。」
にやりと笑うリュウキが鋭く光るサーベルを構えなおすと、森の奥から青く光る目が残光を残しながらゆっくりと這い出てきた。
その姿に、リュウキが僅かに目を見開く。
「お前…わざわざにおいを嗅ぎ付けてきたのか。」
真っ赤な身体に人の作りに似た顔面、しかし歯は鋭く獣の牙がずらりと並ぶ。僅かに開いた口元からは、強烈な瘴気と涎を垂らしていた。その赤い身体はまるで獅子のような毛に覆われ、長く太い尾の先端は何かに千切り取られたようになくなっている。
「確かに、マンティコラは執念深く頭がいいからな。」
そう、それは先日翼竜隊が闇の腕を越える折、自分達が遭遇し撃退したマンティコラであった。
あの時は尾のみが襲ってきたため本体を見ることはなかったが、なるほど、なかなかの年月を生き抜いてきた魔獣だったらしい。その巨体も見事な毛並みもリュウキが見てきた彼の魔獣の中で、最も大きく雄雄しいものだった。
マンティコラは自慢の毒針を砕かれたことを恨んでいるのだろう。
彼の獣がいたのはもっと離れた森だったにも関らず、あの時最後に放たれた光の矢と同じ魔力を察知しここまで追ってきたようだ。
「ふん…毒針が使えねぇならただの雑魚だろ。」
「油断はするな、こいつらはその巨体の割りにかなり素早いぞ。」
シロの言葉に、リュウキが小さく呟いた。
マンティコラの主要な武器は、その尾に持つ無数の毒針であるが、それは先日リュウキがとどめとばかりに砕いてしまっているので使えない。しかし、まだ彼の獣には強靭な脚力が生み出す素早さと、岩をも砕く硬い牙がある。それに多少ではあるが魔術も使えるので、油断しているとこちらがやられかねない。
怒りに燃える青い宝石のような目が、ひたとリュウキを見つめていた。
リュウキも負けじと瞳に力を込めて睨み返す。
獣と戦うとき大事なことは目を逸らさないこと。それは魔獣といえども同じである。
「シロ、援護頼むぞ。」
「任せろ。」
瞬きも忘れたようにしっかりと開いた目をマンティコラに向けたままリュウキが呟いた。
シロがいつでも動けるように身を包むように魔力を展開させる。
金と青の四対の眼がカッと見開いた瞬間、両者は動いた。