調査 8
大陸を分断する山脈は、その標高の高さから山頂付近は年中雪と氷の世界である。
その中で最も標高の高い場所が、ソル・カレスの二つの集落のちょうど中間にあたる場所であり、闇の腕近隣の集落へ訪れる旅人達が最も警戒する場所でもあった。
大陸で広く知られる危険地帯の一つである。
「防寒具と防瘴布、水と干し肉くらいは持って行くか?」
「馬鹿野郎、ちゃんと魔力増強剤と魔獣避けも持って行け。」
「おい、お前さんらちぃっと待て。本気で森の深部に入る気か!?」
あれやこれやと店内を見回りながら準備していくリュウキとシロに、コンが慌てて声をかける。
シロはコンが近づくなり口を閉じてしまったが、リュウキの顔の影からコンの方を伺っていた。
「あぁ、どうやら手がかりはそこだけらしいしな。お代はしっかり払っていくから心配するな。」
「馬鹿もん!そういう問題じゃないわい!しかも防寒具なんぞ持って…まさか…。」
防寒具と聞いて思いついた場所に、コンの顔から血の気が引いていく。
闇の腕ならまだしも、否それでもかなり心配なのだが、山脈まで足を伸ばそうとしているリュウキに気づき、老人の顔から昨日までの余裕が一切消えていた。
「山脈に行こうというなら話しは別じゃ。昨日は森の手前側までだと思ったから脅すだけで済ませたが…すまんがもうお前さんの上官に連絡させてもらうぞぃ!!」
「あぁ、構わない。コン爺が連絡せずとも、宰相殿には位置確認用の魔具を着けられているからな。向こうが受信の魔具を使えばすぐに知れることだ。」
「使わねば判らんじゃろう!」
そりゃあまぁ確かに、と呟くリュウキにコンが苛々と声を荒げた。が、当のリュウキは何処吹く風である。
おそらく、コンがこれから王城へ蜥蜴を飛ばしたところで、彼女の上官達が手を打てるのはリュウキが闇の腕へ入ってしまってからになるだろう。大急ぎで勅を出したところで、彼女が発ってしまってからでは同じことである。
コンが何を言おうと、リュウキは思いとどまってくれそうにはなかった。
「昨日の今日で何があったんじゃ?」
そう、明らかに昨日話していた雰囲気と違うのだ。
昨日までは何も判らないものを手探りで探していたため、リュウキは闇の腕を調べることに対してもそれほど執着を見せていなかった。怪しそうだからという大雑把な理由だけだったからだろう。
しかし、今日のリュウキはもうそこに何かがあるとばかりに焦点を闇の腕のその先、山脈に絞っている。
訝しげに眉を顰めるコンに、リュウキは小さく息を吐いて物色する手を一端止め老人に向き直った。
「リュウキ、何があった?」
「昨夜、また夢を見た。」
「例の夢か?」
「あぁ、私に呼びかけてきた。山脈に人が生きているとは思えんが…いや、寧ろ人ではないのかもしれないな。子供はそこにいるらしい。」
「なおさら反対じゃ。危険すぎる!」
「駄目だ。時間が無い。」
「時間?」
「あぁ、時が近いと言っていた。それに私も…根拠は無いが、躊躇している暇は無い気がするんだ。だから、」
邪魔するなら、容赦はしない。
そう告げながら向けられた真っ直ぐに向けられた金の瞳に、コンが小さく息を呑んだ。
何か言おうにもその瞳に見つめられただけで身体が竦み、言葉がせき止められる。
コンとて無駄に長い年月を重ねてきた訳ではない。衰えたとはいえ、未だ己の身と孫娘くらいは守れる力は残っているし、何事にも動じないよう心も鍛えてきた。
それが今、言ってしまえば己の半分ほども生きていない娘の眼光に怯んでいる。そう、コンは確かに畏怖を感じていた。
今にも目を背けてしまいそうな己を叱咤して、何とか金色を見返しながら深く深く息を吐く。
「…仕方の無い奴じゃの。」
諦めの色を濃く滲ませたコンの言葉に、リュウキは鋭く光らせていた眼を和らげた。
次いで、僅かに眉を垂れて申し訳なさそうに目を伏せる。
「悪い、コン爺。心配してくれてんのは解るんだ。」
少しの罪悪感を滲ませた目が、それでも強い意思を持って再びコンを見つめる。
どこか幼さすら感じさせる先ほどとは別人のような表情に、老人は苦笑を浮かべた。
「いい。その代わり、ちゃんと無傷で帰ってこい。」
「いや…流石に無傷は…」
「何じゃ、自信が無いのか?」
その言葉にリュウキが僅かに唇を尖らせ、むぅと唸る。
「意地が悪いぞ爺さん。」
「なぁに、お前さんほどではないわ。」
「まったく。」
ふぉっふぉ、とわざとらしい笑い声を上げる老人を、胡散臭げにリュウキが見やる。シロは既に興味をなくして、いつものように彼女の肩に落ち着いていた。
「あぁ、そうじゃ。店にあるもんなら金なんぞいらんから好きに持って行け。」
コンは右手をひらひらと振りながらそう告げ、カウンターに腰を下ろす。
リュウキは老人の言葉に目を僅かに見開き、首を傾げた。
「いいのか?」
「いい、いい。お前さんが戻ったときの戦利品を期待しとるでな。」
「…そういうことか。」
何食わぬ顔でそう言い放ち、カウンターの中の作業机で魔具を調整しはじめた老人を見て、リュウキがくっくと喉をならすように笑う。
「期待して待っててくれ。」
そう告げられた言葉に、コンは手元の石に視線を預けたまま、口元だけを動かし苦笑を浮かべた。