調査 5
二、三言話したジェシカは、気を利かせたのかお盆を持って「ごゆっくり」という言葉を残し二階へと消えた。
目の前では彼女が入れてきてくれたトオ茶がゆらゆらと湯気を立ち上らせている。因みに、トオ茶というのは紅茶に似た自然の甘みを持つお茶で、ヒリュウの平民の一般的な飲み物だ。
「さて、何が聞きたい?」
カップの中身に息を吹きかけ、口を湿らせるようにトオ茶を一口、口に含んだコンが、軽く咳をしてリュウキに向き直った。
リュウキもそれに倣うようにトオ茶に口をつける。因みにシロはジェシカが来た段階で反対側の影に隠れるように身を潜めていたが、今はリュウキの膝でとぐろを巻いていた。
小さく息を吐いたリュウキがカップを静かにカウンターへ置く。
「ここ最近、この地域で変わった噂とか現象はないか?」
「ふぅむ。こりゃまた何とも大雑把な質問だな。」
「実はまだはっきりとしたことは解らないんだ。」
そういうと彼女は夢のことを簡潔に話した。それを聞いたコンが小さく唸って考え込むように顎を一撫でする。
「どんなことでもいい。何かないか?」
「…そうじゃのぅ…そういえば、魔獣が増えたか。」
「魔獣が?」
「いや、絶対数が増えたというよりも、森の入り口まで出てくる魔獣が増えたといった感じかの。」
「…。」
闇の腕に住む魔獣たちは、滅多なことが無い限り森の外へは出てこない。
それは、闇の腕に漂う濃厚な魔の気を魔獣達が好み、食料も豊富であることから、わざわざ苦手な日差しが当たる森の外に出る必要が無いからである。
ただ出ることができないというわけではないので、たまに気紛れに森の入り口まで出てくるものや、人の気配に刺激されて出てくるものがいるにはいるのだが、そう頻繁にあることではなかった。
「ワシは人の出入りが多くなった所為かと思っとったんじゃが…。」
「なるほど…。」
確かに、その可能性は大きい。
気配やにおいに敏感な魔獣たちは、カレスの集落が発展するに伴い、住処の周囲をうろつく人間の気配が増え、気が立っている可能性があった。
二人で考え込むように眉を寄せていると、ふと何かを思い出したようにコンが顔を上げる。
リュウキもそれに気づきコンに視線を向けた。
「…つい最近この店に立ち寄った流れの術師が話しておったんじゃが…。」
少し訝しげに話し出したコンに、リュウキが僅かに首を傾げた。目で先を促す。
「術師はこのカレスの更に西、ソルの村から来たらしい。そ奴が言うには、ソルを出て半日ほど歩き、野宿の準備をしていたんだと。」
「…ソルから半日というと…だいたいカレスとソルの中間地点じゃないか。あんな所で野宿なんて…何を考えているんだその術師は。」
「ワシもそう思ったさ。聞けばどうも、よう知らんで歩いとったらしい。それなりに力はあるが、まだ若い術師じゃった。」
魔獣の森“闇の腕”は場所によって漂う魔の濃さが違う。
魔が濃ければ濃いほど魔獣は育ち、そういう場所は世間一般で大物と呼ばれる能力の秀でた魔獣が多いのだ。
ソルとカレスの中間部は、“闇の腕”で最も濃い魔の気を持った場所だった。
「…運が良かったな。」
「その通りじゃ。魔獣の影すら見んかったようじゃからの。ただ、その男が気になることを言うておったのよ。」
「気になること?」
「…曰く、山が唸りを上げていた、と。」
「山?…山脈のことか?」
「そうじゃ。雲に覆われた空から響くように、地鳴りのような不気味な音が聞こえてきたらしい。しかし、どれだけ待っても大地が揺れることもなかったそうじゃから…もし全て本当の話ならただの地鳴りとも思えんのじゃよ。」
「…そうか。山が唸る、ね。確かに、気にはなるな。」
その言葉を聞いたコンが、少しだけ眉を寄せながら小さく溜息を吐いた。
「…じゃが。調べようにも、場所が悪すぎる。」
そう、地鳴りの場所は、闇の腕の最深部を越えた先。人が踏み込むには不可能な土地である。
おいそれとどうにかなるものではなかった。生半な気持ちで手を出せば、命を落とすことは確実である。
「いや、手は無いこともない。」
「…あっても碌な手ではなかろうに。」
リュウキの性格を知るコンにしてみれば、溜息の出る話だった。
「あまり好き勝手やりおると、ミンロン家の次男坊に灸をすえられるぞい。」
その言葉にリュウキの頬がひくりと引きつる。
ミンロン家の次男坊とは、リュウキの直属の上官で氷の宰相と名高いコウリ・ミンロンのことである。痛すぎる釘を刺されたリュウキは嫌そうに眉を顰めた。
「…今回は許可も取ってある。宰相公認の王からの勅命だぞ。」
勅命に宰相の公認も何もないのだが、状況を言えばリュウキの言ったことはほぼ合っている。
「王城から出ることに関してじゃろ?まさか流石の宰相殿も、お前さんが闇の腕に入ることなんぞ考えてもおらんだろうて。」
確かに、その通りである。
コンがこれを王城に知らせれば、今度は強制帰還命令が出るだろう。要は、リュウキが無理をしないよう、この腹芸の得意な老人は遠まわしに脅しているのだ。
「…無理はしないさ。」
「当てにならんわ。」
むぅ、と黙り込んだリュウキに、コンが先ほどの仕返しとばかりに声を上げて笑った。