奇襲 3
「おい、次はどっちだ?」
長い廊下の角で背をぴったりと合わせ、死角の気配を伺いながらリュウキが己に続く部下に尋ねる。否、正確には部下に担がせている魔術師長ライズに。
「…ぅ……ぁ……み、ぎ…階段、下り…」
途切れ途切れに零れる言葉を聞くなり、すぐに正面を向き言葉通りの方向へ進んだ。
体格の良い隊員に担がれたままのライズは、ぽっかりと虚ろな目を宙に彷徨わせながら半開きにした口から涎を垂らしている。その瞳に光は無く、そこに彼の意思はない。
「更に下か。地下だな。」
先ほどリュウキがライズに掛けたのは傀儡の術である。
この術は対象の意思を奪い術師の虜に堕とし、その名の通り操り人形にするのだ。ただ、条件として対象よりも強い魔力を持ってかけなければ成功しない上に、堕ちる度合いも魔力の差によって変わってくるのでなかなか難しい術なのだが。
因みに、魔術師長を傀儡に堕とした段階で、既にレキが開発している転移の陣のありかも聞き出し、別働隊に知らせてある。
彼らも今頃、陣を破壊しに向かっているだろう。
ライズの言葉通り薄暗い階段を下ると、そこは真っ直ぐに伸びた狭い廊下に出た。
ぽつり、ぽつりと灯りの続く廊下の壁は、まるで地下牢のように陰気な空気で充満しており、建物自体ひんやりと冷たい印象を受けたが、ここは上の階よりも更に冷気が漂っている。
「…ま…っすぐ…ま…すぐ…やみいろの、扉…。」
ぶつぶつと、自我を持たないライズが呟く。
彼の壊れた音は、廊下の雰囲気も相まって不気味に響いた。
「…あれか。」
そう長い距離も進まず、その扉は見えた。
ライズの言葉どおり、単純に黒というよりも全ての色を混ぜて作られたような闇色の扉は、中央に金色で封印の陣が記されている。
複雑なその陣は、如何に頑丈に封じられているかを表すようだった。
「シロ。」
「あぁ、いる。この中だ。」
小さな声が首元から聞こえる。
一歩進み出たリュウキは、不意に踵を返して背後の部下達に向き直った。
「件のゴルゴネスは石化を使えない。が、怪力と魔力は凄まじい。普通の魔獣と同様に考えるな。」
囁くような声は、しかし居並ぶ部下達にしっかりと届く。
「迷うな。隙を見定め確実に一撃を入れろ。だが無理だと思ったやつは即刻引け。死ぬことは許さない。いいな。」
強い言葉と強い瞳。
厳しい言葉は、しかし自分達を気遣う想いが含まれていた。
彼らは金色の瞳を見つめて一様にしっかりと頷く。
それを確認したリュウキが首元に手を伸ばし、それに応えるようにシロがするすると手に移った。
そのまま流れるように彼女が腕を扉に近づけると、シロが首をもたげて何事か呟く。背後では、ライズを担いでいた一人が、用済みとばかりに彼を廊下の隅に放り投げた。
「よし、行くぞ!」
リュウキは小さく、しかしはっきりと告げると、封の解かれた扉を勢いよく蹴り開けた。
何処までも続く闇。
それはつい先日、リュウキ自身が体験したものに似ていたが、明らかに違うのは部屋の周囲に点々と僅かばかりの灯りがあり、その周囲だけぼんやりと浮いて見えるということだった。
ただし、本当に申し訳程度の灯りなので、そこ以外は壁の形すら判らないのだが。
「あら…まぁ…貴女から来てくれたのね?」
と、闇の向こうから聞き覚えのある女の声が聞こえた。それと共にするするという布を引き摺るような音も僅かに響く。
その音を耳にした瞬間、リュウキ達はそちらを見据えそれぞれ腰を低くして構えた。
「化け物め。先日の借りを返しにきたぞ。」
「ふふ…化け物なんて無粋な名前で呼ばないで。」
リュウキの静かな言葉に、ただただ嬉しそうに答える女は闇の中からじわりとにじみ出るように姿を現した。
その醜悪な姿に背後で何人かが息を呑む。
「私の名はエウリュアレー。」
しっとりと、囁くように告げた女の下半身は巨大な蛇のものだった。
所々つぎはぎで出来ているそれは巨大で、あれに巻き取られたら人間ではひとたまりもないだろう。上半身は人間の女のものだが、その細部を見ればやはり蛇のものに似ていた。極めつけはその髪と思われるもの。
彼女の髪は太い筒のようなものがうねうねと蠢き、明らかに意思をもっているように見える。
「エウリュアレー、死ぬ前に答えろ。」
「何かしら?」
「お前はライズ魔術師長に呼び出された、もしくは創られたのか?」
ライズという名を告げた瞬間、エウリュアレーの目がすっと細まる。
「醜いあの男…美しい貴女が口にするような名ではないわね…。」
「答えろ。」
「ふふ…半分正解かしら。」
「半分だと?」
「私は創られた存在。創りだそうとしたのはあの男。でもあの男にそんな力などないもの。」
確かにそれは、ライズを見たときにリュウキも思ったことである。上級魔術師程度の魔力しか持たないライズに目の前の化け物を召喚、もしくは作り出すことなどできるとは思えなかった。
「…他にお前を創った魔術師がいるのか?」
「そういう風にも言えるわね。」
のらりくらりと応答を楽しむように告げられる言葉に、リュウキは内心苛々ともどかしくもあったが、それは表面には出さない。もし他に化け物を作り出せるような魔術師がいれば、そちらも押さえなければならないのだから。
それだけは、聞き出す必要があった。
「そいつはどこにいる?」
リュウキの問いかけに、アレーは赤い唇の端を引き上げにぃっと笑った。その笑みにリュウキが僅かに眉を寄せる。
「私の中。」
「何?」
「みーんな私の中に取り込んでしまったわ。」
言葉にリュウキも背後の影たちも目を見開いた。そしてリュウキはその言葉の意味を考え戦慄する。
「魔術師長は…集めた術師で、お前を創り上げたのか。」
行き当たった答えに、僅かに掠れる声でリュウキが呟いた。
その言葉に目の前の化け物がゆらりと揺らめく。
「ご名答。やはり貴女は頭も良いのね。」
まるで母親が我が子をほめるような言葉に、リュウキはぐっと唇を噛み締めると、これで話は終わりとばかりに深く息を吐く。
「化け物め。やはりお前は始末する。」
甲高い金属音を立てながら、リュウキは愛用のサーベルを引き抜いた。