レキ 1
魔術師の国といっても、国民全体がローブを纏った妖しげな雰囲気だとか、国中が暗雲に満ちているとか、そんなことは全くない。
村も町も普通に人々が暮らしており、他国と違うことは他に比べて日常生活で使われる魔術が多かったり、軍隊が魔術師中心というだけである。他には魔術に対する研究も他国より進んでいるという点くらいか。
転移術や召喚術といった高度な魔術も、レキの魔術師達が中心に研究し発展させたものだった。
夜の闇が朝焼けに染まり、太陽が昇り始めるころ。
リュウキはレキの王城の南、カーマという町に来ていた。
カーマは城下町からもそれほど離れておらず、徒歩で半日も歩けば城下町に入れる距離にあるので、小さな町ではあるがそれなりに発展してる。
ここまで来るのに一日弱。
あとはここを拠点に城下町の様子を調べ、王城に潜り込むのに一日強、それから戻れば予定通りである。
取り敢えず宿に入ることにしたリュウキは、王城寄りの町外れにある少し古めの宿に入った。
入り口の扉に“風見鶏”とかかれた宿の屋根には、なるほど鮮やかな彩色の風見鶏がくるくると回っていた。宿は一階部分を飯屋として開いているので、この時間は朝食に合わせて準備をしているのだろう、食欲をそそるようないい匂いが漂っている。
リュウキは口元の布を下ろしながら、カウンターで名簿か何かに目を通している恰幅のいい中年の女性に声をかけた。
気づいた女性は名簿を置きすぐに笑顔を向ける。
「あら、いらっしゃい!」
「こんな時間にすまない、部屋は空いているだろうか?」
「大丈夫だよ。ちょうど一部屋空きがあるからね。」
「頼む。」
あいよ、と愛想よく笑う女性が一端背を向け戸棚から鍵を取り出した。
因みに、リュウキは今魔術を使って瞳と髪の色を目立たないよう茶色に変えているので、見た目はただの旅人である。
「はいどうぞ、二階の一番奥の部屋だよ。」
「ありがとう。」
「どうせこんな時間なんだ、朝食でも食べてかないかい?」
「いいのか?まだ準備中だろう?」
「あぁ、あんたみたいな美人さんなら大歓迎さ!」
大きな声で笑う女性に、少し照れながらも笑顔を返したリュウキは、ではお言葉に甘えて…とすぐ近くのテーブルに向かった。
すると、カウンターにいた女性がすぐにメニューの書かれた木の板を持ってくる。
「何にする?」
「じゃあこれを。」
見せられた板に三つほど並んでいる文字の一つを指すと、女性は大きく頷いて厨房へ行き何事かを叫んだ。
「すぐ持ってくるからね!」
そうリュウキにも叫ぶと、そのままカウンターに入り再び名簿らしきものに目を通し始める。
リュウキは自分が腰掛けている椅子の足元に、申し訳程度の荷物を置くと腰をずらして細い背もたれに身を預けた。
すると、首元で僅かにもそもそと何かが動く。
「…リュウキだけずるいぞ。」
小さく零れたのは首に巻いている布に隠れたシロの声だった。
リュウキは宥めるようにぽんぽんと首元を叩くと、小さく苦笑を浮かべる。次いでぐるりと店内を見回した。
随分長いこと開いている宿なのか、建物の中は外同様少し歴史を感じさせるような雰囲気がある。しかし汚いという印象は受けなかったので、店主の管理が行き届いているのだろう。
今日はこの後部屋に不要な荷物を置き、馬を調達した後レキの城下に向かう予定だ。
ここに来るまでにレキの魔術師の衣装を手に入れたので王城付近までは楽に入り込めるだろう。
そんなことを考えながら窓の外を見ていると、目の前にトンと音を立てながら湯気の立つ皿が置かれた。
「はい、お待ちどうさま、ゆっくり召し上がれ!」
見上げると、先ほどの女性とは違う、若い娘がにこにこと笑いながらこちらを見ていた。
「あぁ、ありがとう。頂きます。」
その笑顔ににこりと笑って返すと、少し顔を赤くした娘ははにかみながら厨房へ戻っていった。
リーンの東の端に、海に面した町がある。
漁業が盛んなその町には高い防波堤を備えた要塞があり、港を行き交う船は完全に管理されていた。
普段出入りするのは漁師の船が殆どなのだが、今朝は町の人々が見たことのない船が続々と港に入っている。その船の大きさもさることながら、その造りも素晴らしいものだった。それらは明らかに軍船だ。
しかし、町の人々も要塞を守る兵士たちも慌てることなく、寧ろ歓迎の声を上げていた。彼らはその軍船がヒリュウから来た遠征軍だと知っていたからだ。
東の町はレキの国境に近く、襲撃こそ受けていないものの、最近の不穏な空気に皆不安を感じていた。
そんな船の甲板から、一人の青年が町を見下ろすように立っていた。
彼の視線の先には次々と陸に上がる騎士や魔術師たちが積荷を下ろしている姿がある。
と、不意にキィィィとまるで耳鳴りのように小さく響く音が青年の耳に届いた。
彼はそれが何なのか知っているようで、何かを探すように空に目を向けるとある一点で視線を止める。そこには、真っ青な空の中にぽつんと墨を落としたような影があった。
その影はどんどん大きくなり、青年の下へと近づいてくる。
青年はその影に合わせるように、すっと左手を高く掲げた。影は迷うことなくゆったりと速度を落とし彼の手の側面辺りに着地する。
それは、竜騎士たちの操る竜を小さくしたような生き物だった。大地の色をした小さな竜は、一度だけ翼をはためかせると丸く愛らしい眼を青年に向けた。
青年は小さな竜の顎を、猫の子でも撫でるように一撫ですると、小さく微笑んでご苦労様と呟いた。そのまま竜の足首に結ばれている人間の男の親指程の銀の筒を取り外す。
彼は竜を肩に止まらせると、その筒の先端を取り外し中に入っている紙を開いた。
紙に記された内容にさっと目を通すと、一呼吸おいて小さく何事か呟く。途端、彼の手の中にあった紙はぽっと音を立てて燃えた。
「…リュウキ様…」
茶色の髪がふわりと風に舞う。
緑の眼をすっと細めた青年は、僅かに眉を寄せると踵を返して船内へと消えた。