けじめ 2
「で。」
不機嫌そうに腕組みをして仁王立ちしている男に、リュウキは今日何度ついたか判らない溜息をつく。
「で、って?」
何が聞きたいか理解しているくせに、そんなことを聞き返すリュウキに、シキも若干苛ついたように眉を顰めた。
そのピリピリとした空気に、修也が顔を引きつらせる。
が、リュウキは大して気にした風もなく、軽く謝りながら続けた。
「…すまない、冗談だ。お互い納得するまで話せた。私も気持ちを伝えたし、修也も話してくれた。ありがとう、シキのおかげだ。」
だから機嫌を直してくれるか?
そう首をコテンと傾げるリュウキにシキはちっと舌打ちする。
確信犯だ。このしぐさに自分が弱いことを目の前の女は知っている。
まぁ、正確には自分と兄とコウリがなのだが。
しばらくそれを睨むように見つめていたシキが、はぁっと溜息をついた。
「わぁかったよ!!もう何も言わねぇ!そのかわり…」
ほっと安心しかけたリュウキが、最後の不穏な言葉に眉を顰める。
「そのかわり…何だ?」
「そのかわり、こいつ一発殴らせろ!」
「だっ…」
駄目に決まっているだろう!?と言いかけたリュウキを修也が右手で制す。
それすら気に食わなかったのかシキがひょいと片眉を上げた。
「いい、俺もケジメつけたいから。」
修也の言葉にリュウキが目を見開く。
「馬鹿を言うな!こいつが殴ったらケジメ程度じゃすまないぞ!」
顔が歪む、と叫ぶリュウキに若干怯むが彼の決意は変わらないようだ。
挑むようにシキの前に立つ修也に、リュウキは頭を抱えた。対するシキは青筋を浮かべながら笑みを浮かべている。その手はポキポキと指を鳴らしていた。
「よーし、いい度胸だ。」
「お願いします。」
身長が低いわけではない、寧ろ高い方の修也でも、シキの前に立つと随分小さく見える。更に身長だけでなく、どちらかと言うと修也は細身なので、筋肉隆々なシキとでは殆ど大人と子供だ。
「歯ぁ食いしばれ。」
あぁ、一応リーンの神子なのに、歪んだ顔をどう説明しようかと、現実逃避に走るリュウキをよそに事はどんどん進んでいる。
シキの低い声に、その目を強く開いたまま修也はぐっと顔に力を入れた。
次の瞬間、パンっと乾いた音が響いたと思うと修也がその衝撃によろめく。が、その顔はリュウキの想像していたような惨劇にはなっていなかった。
平手。しかも左手。
てっきり、チャンスとばかり殴り倒すと思っていたリュウキは、目を丸くしたままシキを見た。それに気づいたシキが少し決まり悪そうに目を逸らす。
「まぁ…なんだ…一応同盟国の神子だからな。」
その歯切れの悪い言葉にリュウキが噴出す。修也は訳が解らず呆然とシキに視線を向けたままだ。
「和睦を結びにきたのにまずいだろうがっ!仕方なくだ仕方なく!!」
どんなに声を荒げても、リュウキの笑いは止まらない。そのうち、修也もありがとうございますなどと言う始末である。
どうにも収集がつかなくなったシキは、もう寝室に逃げ込んでしまおうと踵を返す、が、ふと思いついたように再びこちらを向いた。
「リュウキ、お前今夜出るんだろう?そいつもだけど、取り敢えず王には言うだけ言ってから行けよ。」
言葉に笑っていたリュウキがそのまま笑みを引きつらせ、次いで小さく舌打ちした。
ここでその話を出すのは意地が悪い。おそらく意趣返しのつもりだろうが。
修也はそれを見逃さなかった。
「どういうことだ?竜姫どっかに行くのか?」
リュウキはそれに答えない。恨めしげにシキをにらみつけるばかりだ。
何度呼んでも黙り込む彼女に、痺れを切らした修也がリュウキの肩を掴んで視線を合わせた。
「竜姫、聞いて。確かにお前はもう俺より年上で、俺のこともガキに見えるかもしれないけど…」
一端言葉を切って、しっかりとリュウキを見つめなおす。リュウキは修也の言葉にゆるゆると首を振っていた。そんなことはない、と言っているのだろう。
修也は小さくありがとう、と呟いて続ける。
「それでもお前は、俺の大事な従妹なんだ。」
だから何かあるんだったら教えてほしい。そう告げられた言葉に、リュウキは目を瞬かせる。が、すぐに小さく息を吐き出した。
「私の周りは心配性の兄上殿ばっかりだな。」
呟いてはにかむように浮かんだ笑みは、修也が幼い頃に見たような少し幼い笑みだった。
「修也は今回のこと、何か聞いているのか?」
話すとは決めたものの、一応国と国の問題なので、確認のためにリュウキは尋ねた。
「レキという国が最近この国に戦をしかけようとしているということと、この国だけじゃ対抗しきれないからヒリュウ国に助けを求めたということは聞いている。」
だからリュウキ達が使者として来たんだろう?
そう尋ねる修也に、リュウキは何とも言えない表情になった。
確かに間違ってはいない。まさにその通りであるが。
自分達は使者としてきただけではないのだと、和睦を結んだ後は自分達が先陣切ってレキに乗り込むのだということを、きっと修也は解っていない。
使者として話すために来たのだと思っているのだろう。
案の定、その後に続く修也の言葉は予想通りのものだった。
「今度ヒリュウの軍が港から来ると聞いている。リュウキは宰相補佐だっけ?すげぇな、戦争が終わるまで王城にいるのか?」
きっと役職もよく解っていないのだろう修也に、リュウキはどう伝えたらいいものかと考えた。
が、それを見事に砕いたのはシキである。
「んなわけねぇだろ。リュウキは俺の参謀なんだから戦になれば軍を率いてレキに行く。」
ストレートに言いすぎだ。しかし、今度のこれは明らかに天然だろう。
リュウキは頭を抱えた。修也を見れば信じられないとばかりに目を見開いている。
「どういうことだ!?戦場に行くのか!?」
「何言ってんだ、当たり前だろう?」
「何で竜姫が!」
食って掛かる修也に、驚いているのはシキの方だった。参謀としてリーンに来たのだから、戦に赴くことくらい解っていると思っていたのである。
これでは、今夜リュウキがレキに潜り込むなんて言った日には卒倒してしまうと二人は思った。
思った瞬間、お互い視線を合わせる。己を心配してくれる修也には悪いが、これは言わない方がいい。
「修也、言いたかったことはそのことだ。」
未だシキに食い下がるようにして問い詰めている修也に、リュウキが申し訳なさそうに声をかけた。
そして、今回自分が来たのは和睦のためと戦に出るため。戦に備えるために、一端ヒリュウに戻るが、二三日で戻ってくる、ということを告げる。
「…だって…そんな…戦なんて…」
戸惑うのは無理も無い。自分達のいた世界は、戦争はあってもすべてテレビの中の出来事だったのだから。しかし、ここは違う。
「修也、大丈夫だ。私は強いから。」
それでも不安はぬぐえない。
「…ったく。お前今日見ただろう?こいつはちょっとやそっとじゃ死なねぇよ。それに…」
はっきりと言い切るシキに、修也は納得しきれない様子で眉を潜めたが。
「それに、俺が行くんだ。大事な家族を見す見す死なせるわけねぇだろう?」
その絶対的な自信を持って告げられる言葉に、修也は口を閉ざすしかなかった。
「シキの大馬鹿野郎。」
あの後、渋る修也をなんとか説得し、危なくなったらすぐ逃げると約束をして漸く話を終えることが出来た。部屋を出るそのときまで、修也は心配そうにリュウキを見つめていたが、一応納得して帰ってくれたようだ。
彼の去った部屋には、少しばつが悪そうなシキと不機嫌を隠そうともしないリュウキが対峙している。
「…すまん。まさか、あぁなるとは…」
「普通に生きてれば、他人の死なんてほぼ見ないような世界だって前に話しただろ!?」
確かに聞いていた。だが、本当に聞いていただけだったらしい。
「いや、まぁ…そうなんだが…だってよぉ…俺が初めてリュウキと会ったときはそんな印象受けなかったし…」
当たり前だ。リュウキがシキと初めて会ったとき、もう既にリュウキはこの世界で6年を過ごしており、どこからどうみても流れの女傭兵だったのだから。
血を見て恐いとも言わなかったし、寧ろ自分から敵に突っ込んでいた。
困惑するようにシキの呟きを聞きながら、それもそうだと思ってしまうリュウキである。確かに、実際に見ない限り理解するのは難しいかもしれない。
「でも、お前はそんな国から来たのに、一人でしっかり生き抜いてきたんだな。」
心底感心するようなシキの言葉に、リュウキは数度目を瞬かせると少し照れたように苦笑を浮かべた。やはり憎みきれない男である。というか、自分はヒリュウ王家に連なるものにとことん弱いらしい。
「だからこそ、みんなに出会えたんだ。」
生きてきてよかった、と。
嬉しそうに笑みを浮かべるリュウキを見つめ、シキはほっと息を漏らした。