序章
草木も眠る丑三つ時。
果たしてこの世界にこのような表現があるのかは不明だが、言葉が指すとおり辺りはしんと静まり返り、時折聞こえる木々の擦れる音が大地の寝息のようだとリュウキは思った。
闇に包まれた森の入り口で、微動だにせず前方の町を見据える。しばらくすると、町の上空からぼんやりと白い光が彼女に向かって降りてきた。
「…遅いぞシロ。」
空に浮かぶ銀色の月とは違いほんわりと光るそれは、リュウキの目の前に止まるとくるんと一回転してみせる。途端に光は消え、現れたのは人間の顔の大きさ程の白い蛇だ。否、その背には小さな蝙蝠のような翼が生えているので正確には“蛇のような生き物”だろう。
「てめぇ、リュウキ!その名で呼ぶなって言ってんだろっ!!」
シロと呼ばれた蛇もどきは少年のような声で抗議すると、真珠のような胴体を激しくうねらせる。が、リュウキは構わず言葉を続けた。
「別にいいじゃないか。お前に一番似合う名前だし。」
「っ!!犬みたいな名前似合ってたまるかっ!!俺様は由緒正し…」
「そんなことより、さっさと報告。」
にべもなく切り捨てられた言葉にパクパクと口を動かしつつも、シロは諦めたように溜息をついてリュウキの額に近づいた。のろのろとした動きはどことなく哀愁が漂っている。
「…はいよ。さっさと受け取りやがれ。」
吐き捨てるように言いながら目を閉じて小さな頭部を彼女の額につけると、同じようにリュウキもそっと目を閉じた。途端に彼女の脳裏にいくつもの情報が映像で浮かぶ。まるで早送りのような映像だが、どの情報も取りこぼすことなくリュウキは脳内に刻み付けている。内容は、先ほどから彼女が見つめていた町の中央にある、白と金を基調にした貴族の屋敷の内部のようだ。まだ明るいうちの情報らしく、室内には侍女や護衛の男達が行きかっていた。これは全て、昼間のうちにシロが見てきたものだ。
「…やけに女が多いな。あぁ…この豚が件の領主か。」
屋敷の東側、無駄に広い廊下を進み高い塀に囲まれた中庭を過ぎると池に面した部屋に突き当たる。白い石造りの床と柱で池との間には壁はなく、部屋の中央には派手な絨毯と大きなクッション。数人が寛げる大きさのクッションの上には壮年の男が女たちを侍らせながら酒を飲んでいた。その醜悪な姿に、リュウキは眉をひそめる。
「一日の大半はそこで過ごしているんだと。父親が死んで領主の地位を得てからは毎日が宴らしいぜ。」
「なるほど…その結果が過剰な収税と賄賂、侫臣どもの台頭か。」
吐き捨てるように呟くと、彼女は顔を上げて目を開いた。その瞳は夜の闇でも煌く黄金色だ。対して闇に溶け込む長いストレートの黒髪は、時折緩やかな風にふわりと舞う。シロはそれを無意識に目で追いながら言葉を続けた。
「一昨日山に収容された奴らは、殆どが領主とその侫臣に談判したヤツ等らしい。」
「山か…あそこは確かにいい鉱山だったが、少し前に事故があったから閉鎖したと聞いたぞ?」
「…ばれねぇようにやってんだろ。ガスが出たとはいえ、あそこの鉱山でとれる石は貴重なもんばっかだからな。」
「確か王命も出ていたな。…豚どもめ。それほど金が欲しいか。」
「ほしいんじゃねぇか?何せ集めた傍から現領主が湯水のごとく使うからな。」
「…それに加えて侫臣どもの懐分も…か。」
呆れたように目を細め小さく息を吐くと、もう充分だとばかりに視線を外し再び目前の町に目を向けた。シロもそれに倣うように視線を向ける。
「どうすんだ?」
「コウリ殿は全て私に任せると言った。シンの許しも得ている。」
無表情だった白い面にニヤリと笑みを浮かべると、さも面白そうにリュウキは呟いた。その笑みを横目でちらりと見つめ、シロが小さく溜息をつく。
「…気の毒に。」
誰に向けたか判らない呟きは、夜の闇に溶けて消えた。