けじめ 1
沈黙が痛い。
扉を閉めた途端、灯りが消えるように笑みを消したシキに、もう呆れを通り越して言葉も出ないリュウキだったが、続く沈黙にもう本気でこの場を逃げ出したい気分になっていた。
実は今夜にでも一度レキに発ちたいリュウキにはあまり時間がない。
そのことから、修也と話す時間を作ってくれたシキには感謝したいのだが、その気持ちもどこかに飛んでしまいそうである。
部屋の主に対して本当に申し訳ないのだが、取り敢えずリュウキはシキに向き直った。
「シキ、悪いが席を外してくれないか?」
その言葉に納得がいかないシキはむっつりと口を閉ざしたままだ。
「…シキ…頼む。ある程度話したら呼ぶから。」
本当に申し訳なさそうなリュウキに、一呼吸置いて深い溜息をつくと、シキは軽く手を上げ寝室に消えた。
その背に小さくすまないと声をかけ、リュウキは修也に目を向ける。
修也はというと、俯けていた顔をちょうど上げたところだった。
二人の視線がばちりと交わる。
「…竜姫、本当にごめん。」
搾り出すような声は悔恨に満ち、それでも彼は全てを受け止めようとリュウキを見つめる。
「ごめん。」
その言葉しか、自分には無いのだというように。
震える声で紡がれる謝罪の言葉に、リュウキの胸がちくんと痛んだ。
「違う、修也。修也だけが悪いんじゃない。」
自分は彼の謝罪の言葉を聞きたかったわけではない。自分の過ちを伝え、彼に心から幸せになってもらうために話したかった。
しかし、修也の方はそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう、リュウキの言葉に弾かれたように顔を上げる。彼が予想していたのは罵りの言葉だったから。
そんな修也を見つめながら、リュウキが続けた。
「私も同じだ。恋じゃなかった。」
「……それは…どういう?」
「修也、私気づいたんだ。修也も私も確かに付き合ってたけど、恋じゃなかった。」
未だ話しの意図が掴めず、修也は訝しげにリュウキを見つめる。
「私はただ、昔の修也に戻ってほしかったんだ。小さいときから、優しい修也に憧れてた。私はあの時、修也への気持ちを恋だと勘違いしてたんだ。」
修也も私に恋をしていた訳ではないだろう?
そう尋ねられ、はっと息を呑んだ修也は、少し戸惑いながらも申し訳なさそうに頷く。
そう、修也自身リュウキへの気持ちが恋ではなかったことに気づいていた。それは、彼に笑顔を取り戻してくれたライラへの気持ちを知ったからである。
ライラに出会って初めて人を愛することを知った。それを考えるとリュウキへの気持ちは確かに恋ではなかった。
言ってしまえば、あの時は誰でもよかったのかもしれない。
母親の言われるままに生き、自分が何をしたいのかも判らなくなっていたあの頃。子供としか言いようが無い八つ当たりの気持ちや、自分勝手に深まるばかりの孤独を、手頃な距離にいたリュウキで埋めようとしたのだ。
本当に酷い男だと、修也は自嘲の笑みを浮かべた。
そんな修也にリュウキは小さく苦笑する。
「修也、そんな顔するな。」
「…でも…いや、ごめん、俺ホントにどうしようもないガキだった。」
何かを堪えるように目を細め、片手でぐしゃっと前髪を掴む。
修也が本気で悩んでいるときの仕草だった。
「なぁ、修也。私もう26なんだ。」
唐突な言葉に修也が軽く首を傾げる。
「ぶっちゃけ、もうお前よりずっと多くのことを経験したし、大抵のことじゃもう傷つかない。」
強気な笑みを浮かべる女は、確かに修也が知らない顔をしている。
「それに、修也にとっては一年足らずの記憶だろうけど、私にとってはもう九年も前のことなんだ。実はちょっと忘れかけてる。」
だから、気にするなと。
そう言って彼女は笑う。
「それに、私はどっちかというと安心したんだ。」
「安心?」
「あぁ、修也はずっと自分を押し殺して生きてきたのに、世界にまで弾かれて…もうダメだと思ったんだ…私が見たかった、修也の笑顔がもう見れないと…。」
「……」
「だから、修也がまた笑えるようになって、ちゃんと愛する人を見つけたこと、本当に嬉しかった。ほっとしたよ。」
その言葉に、修也の視界がゆらりと揺れた。
リュウキはきっと、自分には想像できないくらい辛い思いをしてきたのかもしれない。いや、してきたに違いない。
それは、再開した時修也が王城にいたことに対してとても驚いていたことと、それと同じくらいほっとしていたことからも伺える。それに彼女は、初めからヒリュウの王城にいたわけではないということも言っていた。
自分は最初から周りに手助けされ守られていた状態にも関らず、どうしようもなく不安だったのに、あの17歳になったばかりの少女は誰に助けられることもなく、本当にたった独りきりで生きてきたのかもしれない。
きっとそれらを乗り越えて、あの頼りなかった少女はここまで強くなったのだろう。
あのシキという男の言うとおりだ。自分が知るリュウキは、もうどこにもいない。
自分も強くならなければ、そう思った。
「竜姫。」
「何だ?」
「俺、確かに竜姫が言うように、竜姫に恋をしていたわけじゃなかった。寧ろ竜姫を利用してた。」
修也の瞳に力が宿る。
「うん。」
「それでも、あの頃普通でいられたのは、リュウキが笑ってくれたからだ。」
自分自身を見失い、何をやっても手応えが無かったあの頃。
外出先から帰宅する途中でいつもすれ違う、従妹の変わらない笑顔に救われていたのも事実だった。
恋じゃなかったけれど、それでも彼女を望んだのは自分だ。
「ありがとう。」
全ての思いを込めて、今やっと伝えられる。
「俺、この世界で、ライラと幸せになる。」
告げた決意に、目の前の女性は満足そうに微笑んだ。
「ところで…」
取り敢えず、話したかったことは話せたし、お互いしっかり納得もしたので、約束どおりシキを呼ぼうとリュウキは席を立ったのだが、その彼女を修也が呼び止めた。
「あの恐い人は竜姫の何なんだ?」
恐い人という表現にリュウキは小さく苦笑を零す。
「この世界の、私の家族だ。」
自慢げに告げられた言葉に、修也はあぁ殺されるかもしれないと思った。