月下の花
「お前、どうかしたのか?」
夜も更けた頃、宴もお開きになり周りに失礼の無い程度に挨拶をして広間を抜けてきたリュウキとシキは、シキの部屋の前にある中庭に出ていた。
他の人間は気づかなかったものの、もう長い付き合いになるシキはリュウキの異変に気づいたらしい。
「…別に、どうも。」
心ここにあらずといった感じに答えたリュウキにシキは眉を顰めた。
「どうもってこたねぇだろうよ。変だぞお前。」
「………」
「何かあったならしっかり話せ。3年前に俺たちが言ったこと忘れたのか?」
3年前、いやそれよりも少し前か、シンとシキが彼女に会ったとき、彼女は孤独だった。
綺麗な面を氷のように固め、誰も信用しようとしていなかったリュウキの金の瞳は、今の太陽のような温かさを宿しておらず、まるで金属のように冷え切っていたことを覚えている。
「俺たちは、お前の家族になると言った。」
異界から迷い込んだという少女。
神に愛されていながら、全てを否定して独りで戦い続けている彼女を、自分たちはどうしても変えたかった。
「お前も、俺たちと家族になることを受け入れた。」
金の瞳が月明かりを受けて煌く。
「お前はもう、独りじゃない。そうだろう?」
少し強引に聞かない限り、この目の前の女は自分の中に溜め込んでしまうことをシキは知っていた。
「ずっと探している人がいると言っただろう?」
中庭にある石造りのベンチに腰掛けて、リュウキは月を見上げた。
シキはその隣で彼女の顔を見つめている。
その話は、確かに聞いたことがあった。
彼女が異界の人間であることを打ち明けたとき、同時に一人で落ちたわけではないことを聞いた。
一緒に落ちた男が彼女の血族であり恋人であることも。
そのことをしっかりと覚えていたシキは小さく頷き先を促がす。
「………いたんだ。」
「この城にか?誰だ?」
「……………………………シュウ。」
小さく呟かれた言葉にシキが目を見開く。
シュウとは先ほど宴の席で出ていた神子とのことか。
彼は先ほど第一王女と結婚するのだと言っていなかったか?
目の前がカッと赤く染まった。
「…っ…んの野郎っ!!」
「待てっ!!」
その剣幕にリュウキが慌ててシキの腕を掴む。
「一発ぶん殴ってやるっ!!」
「シキっ!待ってくれ、いいんだ!!」
「よくねぇ!お前っ…お前が何年あの男を探してたと…」
「あいつは知らなかった!いや、落ちた時間が違ったんだ!!」
その言葉にシキがピタリと動きを止める。
「どういうことだ?」
動きを止めたシキにほっと息を吐いたリュウキは、それでもシキの腕は掴んだままだ。
「同じ場所で同じ世界に落ちたけど、落ちた時間がずれたらしい。」
リュウキが過去に落ちたのか、修也が未来に落ちたのかそれは判らないが…
「修也がこの世界に来たのは1年前くらいだと言っていた。」
「何だと、それじゃ…」
「あぁ、私が落ちたのは9年前。落ちる前は4つ年下だった私が、今は彼より年上だ。」
あまりの話にシキが息を呑む、弱弱しく微笑むリュウキに眉を顰めた。
しばらく俯いて考え込んでいたシキが、すっと顔を上げる。
その目は険しく細められていた。
「それが何だ。寧ろ余計に許せねぇ。」
「…シキ?」
「お前は9年、あの男を捜し続けた。そんなお前をあいつは1年で裏切った。」
ビクリと肩を揺らしたリュウキの手にぎゅっと力が入る。
「…違う。いいんだ。」
「何がいいんだ!!」
「私も修也も確かに恋人だった。…でも、二人とも恋じゃ、なかった。」
強い眼から目をそらし、震える声で零れ落ちた言葉は、リュウキの強がりではなく本心からの言葉だった。
しかし、シキは探るように彼女を見つめる。
「修也はただ、寂しかっただけ。私のは…ただの憧れだった。こっちに来て気づいたんだ。あの頃の私は、幼い日に見た“お兄ちゃん”の笑顔をもう一度見たくて、ただその可能性にしがみついていただけだ。」
ふと顔を上げた彼女の面には、柔らかな笑顔が浮かんでいる。
「修也笑ってた。私が見たかった顔で笑ってた。あれはきっとライラ殿のおかげなんだろうと思う。修也はやっと、自分だけの人を見つけたんだ。」
私はそれが、とても嬉しい。
そう告げられた言葉は、シキの胸を強く締め付けた。
「俺は国がどうのと言う前に、兄上やシャルシュが大事だ。」
唐突なにシキが口を開く。
「もちろん、コウリもお前も家族だと思っている。」
真っ直ぐに見つめられた目は嘘偽りなど全くない。
「お前は、俺や兄上がシャルに対して過保護だと言うが、俺も兄上もシャルを想う気持ちと同じくらいお前のことが大事なんだ。」
なんて温かい言葉だろうか。
リュウキはまるで眩しいものを見るかのように目を細めた。言葉と同時に自分の頭に乗せられた大きな手に、くすぐったそうに身じろぎする。
「ありがとう、シキ。」
月光の下、花が綻ぶように微笑んだリュウキを見つめ、シキは己の鼓動が一瞬大きく跳ねるのを感じた。
「何だか父親みたいだな。」
放たれた言葉に一瞬で何かが崩れ去ったけれども。
あれからしばらく二人で月を見上げ他愛の無い話をしてリュウキは自室に戻っていった。
どうにも不完全燃焼なシキは国に残った兄と宰相を思い出す。
先ほどリュウキには、コウリも含めた意味で自分たち兄弟が彼女を家族だと思っていると言った。その言葉に間違いはないし、これからもその気持ちは変わらないだろう。
しかし、だ。
それはシャルシュのように、妹に向ける感情とは違うことをシキは知っていた。そして運の悪いことに、王である兄と真っ黒な宰相も自分と同じ気持ちであることも。
リュウキがヒリュウの王城で暮らすようになって3年。
それとなく行動してみたものの、誰一人として気づいてもらえた者はいない。コウリなんてリュウキに近づく男という男を裏で何人排除してきたか知れないにも関わらず、だ。いつだったか、リュウキが探し続けている想い人など一生見つからねばいいのにとぼやいていたことを思い出す。本当に性格の悪い男である。
あれにとられるくらいなら、兄に譲ったほうがましだなとは思ったが、やはり一番は自分の下に来てくれることだ。
「…父親はねぇよなぁ…」
もういっそのこと、全部片付いて帰国したら全て話してリュウキに選んでもらおうかと思いつつ、自分の考えに溜息を吐くシキだった。
帰国してからというあたり、某宰相にはない律儀さを持つ男だとつくづく思うが、本人は全く気づいていない。
哀れな男の深い溜息を残して、リーンの夜が明けようとしていた。