シキ 5
真っ暗だと思っていた洞穴は、入ってみれば薄暗いものの意外に視界が利き、しばらく周囲を見回していると目も慣れてきたようで、小さな洞穴の隅まで目視することができた。
リュウキがここを根城にしてから、そう時が経っていないらしく、またここに長く留まるつもりはないのか、洞穴の中には旅をするには些か小さめの荷物と焚き火の跡くらいしかない。
リュウキはといえば、無遠慮に洞穴を見回すシキに構わず、黙々と纏っていた外套や籠手を外すと、腰のサーベルを鞘ごと引き抜きながら焚き火跡の前に腰掛けていた。
そのまま彼女が何事か呟くと、まるで地面から沸き起こるように炎が生まれる。
リュウキの金色の瞳に、真っ赤な炎がゆらりと映り、熱を失っていた瞳が一瞬だけシキの知る彼女の太陽のような温かな瞳に見えた。
「で。」
思わず見入っていたシキが、低く呟いた彼女の声にはっと肩を揺らす。
気づけば、リュウキが訝しげにシキを見上げていた。
「あ、あぁ。」
特に意味のない言葉を返しながら、シキが慌てて火を挟んだリュウキの向かいに腰を下ろす。
彼には特に手荷物は無いが、実は先ほど盗賊から奪った剣をそのまま持っていたので、シキはそれを傍らに置いた。抜き身のまま持ち歩くのは如何なものかとは思ったものの、いつ獣が襲ってくるか判らない森に丸腰のまま入るわけにもいかず、手放すことができなかったのだ。
それにしても、よくもまあ、抜き身の剣を持った男に背後を歩かせたものだと、シキは少しだけ不思議に思いつつ正面のリュウキを見やる。
感情を殺したような瞳の彼女にしては、意外な行動に思えた。
「…何で私の名前を知っていた?」
話したいと言ったわりに、なかなか口を開かないシキに、小さく息を吐いたリュウキが警戒のにじむ声で彼に問う。
対するシキはといえば、どう答えたものかと眉を寄せていた。
僅かな沈黙の後、戸惑うようにシキが口を開く。
「お前と共に戦ったことがある。」
「嘘を言うな。そんな派手な頭の男、一度見れば忘れるはずがない。」
漸く出た言葉は、にべもなく切り捨てられた。
派手な頭とは、シキの琥珀色の髪のことだろう。
兄や妹のものよりも暗いその色は、聖色である金ではないものの、珍しい色ではあるのだ。
正論で返されたシキが、ぐっと口を噛む。
「何の目的かは知らんが、虚言を吐く者に信を置くほど、私は優しくないぞ。」
ぱちぱちと、爆ぜる枯れ木が二人の間に小さな火の粉を飛ばした。
「信じられないかもしれねぇが…。」
そう初めに言い置いてシキが言葉にしたのは、嘘偽りのない彼の知り得ている全ての現状だった。
ここが過去のヒリュウであり、意識の中であって現実ではないこと。
己はヒリュウの第二王子であり、リュウキもまた国に仕える宰相補佐であること。
そして、二人がただの知己ではなく、シキの兄妹を含めヒリュウの家族として共に生きることを誓った間柄であること。
あまり話術が得意ではないシキがとった方法は、己の知る全てを正直にさらすことだった。
「…と、いうわけなんだが…。」
始終無言で聞いていたリュウキに、シキが探るような視線を向ける。
どうやら彼女も多少混乱しているらしく、炎を映して揺らめく瞳には困惑の色が浮かんでいた。
「その話が本当なら、今私が見ているこれは、夢の中のことだというのか。」
未だ困惑の表情を浮かべたまま、眉を寄せたリュウキがぽつりと呟く。
彼女は心底戸惑うように、広げた己の掌をじっと見下ろしていた。
「俄かには信じがたい…けれど。」
す、と金色の瞳が、正面の男を射抜く。
彼女のもとへ真っ直ぐに向けられた灰色の瞳からは、多少の不安が見て取れるものの、嘘を言っているようには見えなかった。
だからこそ、リュウキは戸惑う。
己の記憶も、先ほどの立ち回りで感じた肉を絶つ感触も、木々が己の肌を僅かに裂く痛みですらはっきりと残っているのに、リュウキにはこれが全て夢だとは到底思えなかった。
しかし、目の前の男が嘘を言っているようにも見えないし、些か支離滅裂なところはあったものの、彼の話に説得力を感じたのも確かだ。
だが、やはり理性とは違う部分で、リュウキの中に男の話を拒絶する自分がいる。
何より、つい最近一人で生きることを決めた彼女にとって、自らの家族を主張するシキの存在は容易に受け入れられるものではなかった。
そこまで考えたところで、仕舞い込んだ感情が僅かに浮上しそうになり、リュウキは己を諌めるように静かに目を閉じる。
しばらく深い呼吸を繰り返した彼女が目を開くと、シキは何を言うこともなく、伺うように彼女を見つめていた。
再び感情を消したリュウキが、目の前のシキをしっかりと見据えて口を開く。
「百歩譲って、お前の話が全て真実だとしよう。」
告げられた言葉に、灰色の瞳が僅かな喜色を浮かべた。
「真実だとして、何故お前の手を借りねばならない?」
しかし、すぐに冷たく返された言葉を聞き、シキがぐっと顔を強張らせる。
「誰の助けもいらない。これが全て仕組まれたことだとしても、私は私の力で何とかする…してみせる。」
強い決意をこめた言葉は、まるで自身に言い聞かせているように聞こえた。