シキ 2
掴んだ感触は確かにあった。
あったにも関わらず、見下ろした先の己の手には何も残っていなかった。
「くそっ!!」
大きく舌打ちしたシキは、悔しさに顔を歪ませ、大地を蹴る。
が、一呼吸の後開いた目には、確かな理性が宿っていた。
短気短気とは言われるが、これでもシキは一国の軍を統べる大将軍である。
窮地に陥った際、研ぎ澄まされる武官としての本能は国一のものだ。
今一番避けるべき事は、冷静さを失うこと。
己の目的はリュウキを連れ戻すことなのだ。
シキはすぐに意識を切り替え、周囲を探るべく辺りを見渡した。
どこか見覚えのある風景に、シキは僅かに眉を寄せた。
今よりもずっと荒んではいるものの、それはヒリュウ国の外れ、ホウとの国境にある海に近いカザという名の町に似ている。
確か、現在は豊富な海からの資源とホウとの交易で、城下に負けぬほど賑わっていたはずだ。
しかし、まだ日が高いにも関わらず、人の疎らな町には活気が無く、彼らの衣服や所々崩れて黒ずんだ建物を見れば、道や町並みこそ似ているものの、まったく別の町のようだった。
「いったい、どういうことだ?」
警戒しながらも、呆然と周りを見回しながらシキが歩く。
やはり、どこからどうみてもカザの町のようだが、その情景はまさに数年前の戦に荒れた様のようだ。
顔にありありと疑問を浮かべたままシキが先へと進んでいると、彼の進行方向から一人二人と、慌てたように足を縺れさせながら人が駆けてきた。
何かから逃げるような動作に、眉を顰めたシキが、彼らに逆らうのも構わず駆けだした。
――キィイン
それは耳慣れた金属音。
剣と剣とがぶつかり合う甲高い音に、シキは先ほどの人々が争いごとから逃げてきたのだと知った。
シキの目にも土埃を上げながら剣を振る傭兵と、それを取り囲むように剣を構える大勢の男たちの姿が見える。
遠目にも、その体格差がはっきりと判るくらい、傭兵は小柄だったが、交互に襲いかかる男たちを捌く動きは、並の剣士のものではなかった。
おそらく我流なのだろう、全身のバネを使った動きと、小柄な体格を生かした瞬発力で、己よりも大きな男たちを次から次に地に沈めていく。
どこか精錬された舞うような、その見覚えのある動きに、シキは大きく目を見開いた。
「あんた!突っ立ってないでさっさと逃げないと巻き込まれるよ!!」
繰り広げられる剣劇に、しばしの間目を奪われていたシキは、突然腕を引かれる感覚に、はっと肩を強ばらせた。
見れば、恰幅の良い中年の女性が、焦ったような表情でシキを見上げている。
ぐいぐいと無遠慮に彼の腕を引きながら、女は確認するように背後を振り返った。
「ほら!何してんだい!!」
「あっ、いや、俺に構うな。さっさと逃げてくれ。」
「何を言ってんだい!そんないい身なりして、早く逃げないとあいつらに身包み剥がされても知らないよ!!」
「あいつら?」
「あいつらはあいつらさ!あの盗賊どもだよ!今は流れの傭兵さんが食い止めてくれてるけど、あれだけ囲まれちゃ…。」
「…見捨てるのか?」
「は?」
ぼそりと呟いた声は、平常心を失いつつある女の耳には届かなかったらしい。
「いや、何でもない。俺は大丈夫だ。構わずに行け。」
にべもなく言い捨てられた言葉に、女は眉を寄せるとシキの腕から手を離した。
「そうかい!おっ死んでもしらないからねっ!!」
吐き捨てるように喚いた女が、踵を返して駆けていく。
それを何とも言えない目で見つめながらも、シキは彼女とは逆の方向へ足を踏み出した。
見据えるのは目前の傭兵。
細く煌めくサーベルを振り回す傭兵は、遠目にも判るほど黒い髪を靡かせながら、白い肌を真っ赤な血に染めて戦っていた。