↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

雪解けの巫女は、聖域を去ります ~「お前の祈りなど計算誤差だ」と追放されたので、私が支えていた仮想都市ごと持って逃げます。なお再起動のお願いは受け付けません~

作者: uta
掲載日:2026/09/13

「アイリス。お前の祈りなど、計算誤差にすぎない」


吹雪の舞う聖堂で、大司教オルヴァンの声が凍った空気を裂いた。


私は静かに顔を上げる。


祭壇の前には、金の髪を優雅に巻いた筆頭巫女セラフィナ。その傍らには、白銀の騎士装束をまとった演算騎士団長ルシオン――かつて私の婚約者だった人。


「お前の祈りは非効率で美しくない。数字ばかりこねる異端者だわ」


セラフィナが菫色の瞳を細め、勝ち誇ったように笑う。


(非効率、ね)


私は内心でため息をついた。


前世でサーバー監視室にこもっていた頃を思い出す。


「見た目が地味なプロセスほど、止まると全部落ちる」――それが運用の鉄則だった。


この十年、私はこの〈氷結の聖域〉で、誰にも気づかれずデータの雪を読み続けてきた。


空から降る魔力情報の結晶。その一片一片が国の演算負荷を示す。正しく織り込まなければ、都市はエラーを起こし、冬は永遠に明けない。


都市が一度も凍りつかなかったのは、私が裏で最適化し続けていたからだ。


だが、誰もそれを知らない。


「アイリス」


ルシオンが冷たく私を見下ろした。


「私はより輝かしい聖女セラフィナを選ぶ。お前との婚約は破棄する」


聖堂がどよめく。憐れみと嘲笑の視線が突き刺さる。


でも私は――反論しなかった。


「……承知いたしました」


「あら、反論もなさらないの? みじめねぇ、アイリス」


セラフィナがくすくすと笑う。


「ええ。反論など、いたしません。ただ、一礼だけさせてくださいませ」


私は静かに、深く、頭を下げた。


(バックアップも取らずに、運用担当をクビにするなんて。正気?)


それだけ言って、踵を返す。


扉に向かう私の背中に、セラフィナの高笑いが降り注ぐ。


けれど、彼女は知らない。


この一礼が――ただの退職の挨拶ではないことを。


---


聖堂を出る間際、私は霊子回路の管理端末――〈祈りの祭壇〉に、最後にそっと手を触れた。


本来なら、退任する巫女はここで管理者権限を後任に引き継ぐ。ログを移し、鍵を渡し、次の担当者へ運用を託す。


それが決まりだ。


(でも、私を追放した人たちに、丁寧な引き継ぎをする義理なんて――ないわよね)


私は権限移譲の手続きを、実行しなかった。


ただ、静かに端末から手を離しただけ。


引き継ぎ拒否。


前世でいう「退職時に、自分しか知らない秘伝のスクリプトを全部持って消える」という、あれだ。褒められた行為ではない。けれど、私を「計算誤差」と切り捨てた人たちに、正常な都市を残してやる筋合いもない。


そもそも――彼らは気づいてすらいない。


この霊子回路の真の管理者権限〈根の鍵〉が、下級巫女である私の中にあることを。


神々が遺した回路は、最も深く雪を読んだ者を「根」として選ぶ。十年間、誰よりも深く雪を読み続けた私を。


セラフィナの祈りは美しい。舞のように優雅で、見栄えがする。


でも、美しいだけだ。


実際の演算負荷を、彼女は一つも処理できていない。


(さて。私がいなくなったら、この都市の雪はどうなるかしらね)


答えは、もう分かっていた。


私は聖域の門をくぐり、雪の中へ歩き出す。


背後で、聖堂の鐘が鳴った。


それはまるで――カウントダウンの始まりのようだった。


---


辺境の廃村に辿り着いたのは、三日後のことだった。


吹きすさぶ雪。崩れかけた家々。人の気配のない、忘れられた集落。


そこで私を迎えたのは――二メートルを超す、竜人の男だった。


褐色の肌に、首筋と腕を覆う漆黒の鱗。背には畳んだ黒い翼。頭には湾曲した角。琥珀色の瞳が、鋭く私を射抜く。


(うわ、大きい。そして怖い)


人間嫌いと噂される門番、ガルド。誰もが震え上がるという威圧感を、確かに放っていた。


「……お前」


低い声が響く。


「あの雪を読める、最後の一人か」


私は目を見開いた。


「……どうして、それを」


ガルドは答えず、じっと空を見上げた。廃村の空にも、わずかに魔力の雪が降っている。彼はその一片を、まるで文字を読むように見つめていた。


(この人……雪が読める?)


「入れ。凍え死なれると、後味が悪い」


ぶっきらぼうにそう言って、ガルドは背を向けた。


通された小屋で、彼は一番暖かい部屋を私に譲り、一番大きな毛皮を無造作に差し出した。


「一番暖かい部屋だ。毛皮も使え」


「……ありがとうございます」


(強面のくせに、やることが妙に過保護ね)


その夜、私は村の外れに眠る古い設備を見つけた。


予備演算炉――旧世代の霊子回路。今は停止しているが、再起動すれば、この小さな村の雪を正しく制御できる。


「あの、この村の外れにある予備演算炉――あれ、動かせますか」


私が問うと、ガルドは長い沈黙のあと、ぽつりと言った。


「……昔、俺が造った」


「え?」


「〈氷結の聖域〉を築いたのは、俺たち旧世代の管理者だ」


琥珀色の瞳が、遠い過去を映す。


「お前が逃げてきたあの都市も――元は、俺の手のものだった」


---


予備演算炉の再起動は、想像以上に骨が折れた。


古い霊子回路は経年で劣化し、あちこちのノードが眠っている。私は徹夜で雪を読み、負荷を計算し、一つずつ回路を叩き起こしていった。


前世の記憶が、静かに手を導く。


(サーバーのコールドスタート。依存関係の解決。負荷の再分散……やってることは、あの頃と変わらないわね)


違うのは――ここでは、私の仕事を「計算誤差」と嗤う人がいないことだ。


深夜、炉に向かう私の背後に、そっと湯気の立つ器が置かれた。


「……身体を壊す。スープだ、飲め」


ガルドだった。彼はそれだけ言うと、ぶっきらぼうに立ち去ろうとする。


「ガルドさん。ありがとうございます。本当に」


「…………別に」


竜人の大男は、ふいと顔を背けた。角の先が、少しだけ赤い気がした。


数日後、廃村を目指してもう一人がやってきた。


「アイリス様ぁ! 聖域を、飛び出してきました! だって、みんなアイリス様のことなんにも分かってないんですもの!」


栗色の髪を振り乱し、そばかすの少女が雪をかき分けて駆けてくる。見習い巫女のミラだった。


「ミラ……どうしてここに」


「アイリス様の祈りは、いちばんあたたかい雪を降らせるんです。あたし、ずっと知ってました!」


ミラは涙をぽろぽろこぼした。


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


(十年間、誰にも気づかれなかったと思っていた。でも――ちゃんと、見ていてくれた人がいた)


「ミラ。手伝ってくれる?」


「はいっ! ……あの、ガルドさん、ちょっと怖いけど……あたしの分の毛皮まで用意してくれてたんですね」


ガルドの巨体を最初は怖がっていたミラも、彼がこっそりミラの分の毛皮まで用意していたのを見て、すぐに懐いた。


炉が本格的に稼働し始めた朝。


廃村の空に、雪が降った。


異常な豪雪ではない。荒れた吹雪でもない。


やわらかく、静かに、一片ずつ丁寧に舞い落ちる――正しい冬の雪。


「わぁ……雪、きれい……」


ミラが空を見上げてつぶやく。


「ええ。ここは、私だけの小さな都市。誰にも嗤わせない、正しく美しい冬よ」


---


一方その頃――〈氷結の聖域〉は、崩壊の淵にあった。


「セラフィナ様! 雪が、雪が止まりません!」


巫女たちが悲鳴をあげる。


聖堂の空から降るデータの雪は、もはや制御を失っていた。一片一片が示すはずの演算負荷が、暴走している。処理されない負荷が積み上がり、雪は異常な豪雪と化して都市を呑み込んでいく。


「な、なぜっ……わたくしの祈りは、こんなにも美しいのにっ……! 雪が、止まらないっ……!」


セラフィナが祭壇で必死に祈りを捧げる。舞のように優雅な所作。だが、いくら美しく舞おうと、雪は一片も正しく織り込まれない。


美しいだけの祈り。それは――負荷を全く処理していなかった。


「祈りが足りぬのだ! もっと熱心に! もっと美しく祈らぬか!」


大司教オルヴァンが的外れに叱責する。


都市の霊子回路は、根本から機能を失っていた。管理者権限〈根の鍵〉を持つ者が、いなくなったからだ。


凍りつく水路。止まる作物の実り。永遠に明けない冬。


ルシオンが蒼白な顔で祭壇に駆け込んできた。


「セラフィナ! どうなっている! 都市が凍りついていくぞ!」


「わ、わたくしのせいではありませんわ! あの地味女が、何か細工を――」


そこまで言って、セラフィナの顔から血の気が引いた。


ルシオンも、同時に凍りつく。


二人の脳裏に、去り際に静かに一礼したアイリスの姿がよぎった。


「……まさか。都市を、支えていたのは――アイリス、だったのか」


ルシオンの唇が震える。


「そんな……嘘よ……あんな地味な女が……」


豪雪が、聖域の尖塔を白く塗りつぶしていく。


失ってから、ようやく気づく。


だが、後悔は――いつだって手遅れなのだ。


---


彼らがやってきたのは、廃村に穏やかな雪が降る昼下がりだった。


剣を捨て、装束を雪まみれにしたルシオン。優雅さをかなぐり捨て、髪を乱したセラフィナ。そして、法衣を泥に汚した大司教オルヴァン。


三人は、廃村の門前で膝をついた。


「アイリス! 頼む、戻ってきてくれ! 都市が凍りつく! 民が、民が凍え死ぬんだ!」


ルシオンが叫ぶ。かつての誇り高い騎士の面影はない。


「お願いっ……戻って、再起動してちょうだいっ……!」


セラフィナが土下座同然に懇願する。菫色の瞳から、涙がこぼれ落ちた。


私は――ガルドとミラを背に、静かに彼らの前に立った。


「アイリスよ。お前だけが、あの回路を扱える。頼む。聖域を救ってくれ」


大司教が震える声で言う。


私は少しだけ首を傾げた。


「おかしいですね」


静かに、微笑む。


「私の祈りは、非効率で美しくない。数字ばかりこねる異端者の祈り。計算誤差にすぎない――そうおっしゃったのは、あなた方では?」


三人の顔が、凍りついた。


「そんな計算誤差に、都市の再起動をお願いするのですか?」


「そ、それは……っ」


セラフィナが言葉に詰まる。


私はゆっくりと告げた。


「教えてさしあげます。私が去り際にした一礼は、退職の挨拶ではありませんでした。あれは――管理者権限の引き継ぎを、『拒否』する手続きです」


「な……そんな、ばかな……」


ルシオンが目を見開く。


「霊子回路は、最も深く雪を読んだ者を『根』として選びます。十年間、誰よりも深く雪を読み続けた私を。〈根の鍵〉の保持者は――最初から、私でした」


沈黙が、雪のように降り積もる。


「あなた方は、都市の生命線を、自ら切り捨てたのです。バックアップも取らずに、運用担当をクビにして」


「た、頼む……なんとかしてくれ……このままでは聖域が……!」


大司教がすがりつく。


私はまっすぐに彼らを見据えた。


そして、はっきりと言い切る。


「再起動のお願いは、受け付けません」


「なっ……!」


セラフィナが息を呑む。


「私はもう、あなたたちの都市の運用担当ではありませんから」


静かで、けれど揺るぎない拒絶。


「お帰りください。それとも――あなた方の『美しい祈り』で、なんとかなさっては?」


三人は、言葉を失った。


背後で、廃村の空から、やわらかな雪が降り続けている。


それは、彼らの聖域を呑み込む豪雪とは、まるで違う――正しく、あたたかい冬の雪だった。


---


旧聖域は、永遠の豪雪に沈んだ。


傲慢の代償。他人の功績を奪い、静かに国を支える者を「計算誤差」と嗤った者たちに残されたのは、明けない冬と、取り返しのつかない後悔だけだった。


セラフィナは、もう祈らない。誰も彼女の美しいだけの祈りを求めなくなった。ルシオンは剣を失い、誇りを失った。大司教は、崩れゆく聖堂で、なお的外れに祈りを捧げ続けているという。


それが、彼らの選んだ道だ。


私は――振り返らなかった。


廃村は、少しずつ人を集め始めていた。凍える聖域を逃れてきた民が、正しく雪の降るこの村へと辿り着く。


私は彼らを迎え入れ、演算炉を拡張し、新しい都市を織り上げていった。


ここは、新たな聖域。


見た目の美しさではなく、正しく機能する冬。地味でも、確かに人を生かす祈り。


「アイリス様、今日の雪も、あったかいです!」


ミラが子どもたちと雪の中を駆け回る。その笑い声が、村に響く。


夕暮れ、私は炉の点検を終えて外に出た。


空には、静かに雪が舞っている。一片、また一片。都市の負荷を示す魔力の結晶が、正しく、穏やかに。


隣に、大きな影が立った。


ガルドだった。琥珀色の瞳が、降る雪を見上げている。


「……いい雪だ」


「ええ」


私たちは、しばらく黙って雪を眺めていた。


この竜人は、相変わらず不器用だ。強面のくせに、村人が増えるたびに人知れず涙ぐんでいる。私が徹夜すれば、必ずスープを置いていく。


涙もろく、寂しがりで、過保護な、旧世代の管理者。


ふいに、ガルドが口を開いた。


「アイリス」


「はい?」


低い声が、少しだけ揺れる。


「……次の冬も」


言いよどんで、それでも、彼はぽつりと零した。


「ここに、いてくれるか」


私は目を瞬かせた。


それから、そっと微笑む。


雪が、二人の間に静かに降り積もる。


(答えは、もう決まっているの。……でも、それを言葉にするのは、もう少し先の冬でもいい気がした)


「さあ。それは――再起動のお願いと同じくらい、慎重に検討しますね」


ガルドが、ふっと笑った気がした。


廃村の空に、あたたかい雪が、いつまでも降り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。