パパ、疾る!
――昼休み、二年B組の教室。
小鳥遊ここみは、クラスの女子たちに質問攻めされていた。もちろん、先ほどの神崎律の大胆行動についてだ。
「ここみん! 神崎君と付き合ったのってホント!? なんか、すごい熱烈な愛の告白だったって話だけど? 結衣ちんは、その場にいたんだよね?」
興奮した女子のひとりが、ここみと相沢結衣の顔を、交互に見ながら捲し立てる。
「まあねー。ウチはもともとワンチャンあるかもと思ってたけど、あの展開は流石に予想できんかったわ」
腕を組んで誇らしげに語る結衣の隣で、氷室冴子が目を白くしてぶつぶつと呟いている。
「そ、そんな……私のここみんが、神崎なんかと……」
ここみは、片手を縦にして左右に振った。
「つ、付き合ってはいないよ〜! お友達になっただけだってば……でも……」
ここみの頬を少し紅が差した。
「あのときの神崎君、素敵だったなあ……」
きゃああ! 女子たちの黄色い歓声が教室に響いた。
一方、神崎律は男子に囲まれていた。
「神崎! おまえって、すげーおもしれー奴だったんだな! あんなぶっ飛んだ告白、初めて見たぜ!
中田健一が、律の肩を勢いよく叩いた。他の男子も、思い思いに話しかける。
「悪党を撃退してヒロインを助けるなんて、どこの異世界の騎士だよ?」
「あの一本背負はかっこよかったなあ! 運動してるイメージなかったけど、柔道でも習ってるの?」
取っ付きにくいイメージがあり、あまり他人と関わろうとしなかった律のまさかの行動に、男子たちは一種のリスペクトを覚えたようであった。
律は曖昧に返事をしながら、まだ混乱している頭をなんとか整理しようとしていた。
――どうやら、俺と神崎の心が入れ替わったのは間違いないようだ。おそらく、体育倉庫でぶつかった時だろうが……なんでこんなことに……。
「しっかし、さんざん女子を振ってきた神崎が、小鳥遊を選ぶなんてなあ。でもまあ、結構見る目あるのな、お前って」
律の心中など知るよしもないナカケンが、何気なくそう言った。
「あん? どういうことだ? それ?」
律が怪訝な顔で尋ねる。
「知らねーの? 小鳥遊って、地味に人気あるんだぜ。明るくて優しいし、ハムスターみたいに可愛いしな。狙ってる奴は結構いたんだが、今まで告った奴らは全滅してる。ある意味、お前よりも難攻不落だったのかもな」
情報通のナカケンが、つらつらと現状を解説してくれる。
「そ、そうなのか?」
――知らなかった……ここみの奴、そんなことを俺に話したこと一度もなかったな。まあ、年頃の娘が父親にそんな話をする方がおかしいか。
「だけど、神崎みたいな超イケメンと付き合うってなったら、これからは誰も近付かなくなるだろうなあ」
ナカケンの何気ない言葉に、律の耳がぴくっと動いた。
――そうか、俺がここみの側にいれば、つまり形だけでも付き合えば、悪い虫が付くこともなくなるのか。
だが、それは父親のエゴというものだろう。大吾は、ここみが本気で惚れた相手ならば、受け入れる覚悟はしていた。それに、今の仮初の姿の律と付き合うなど、物凄く不健全な話だ! しかし……。
――もし、さっきの金髪ピアスみたいな野郎が、ここみに強引に言い寄りやがったら……! そ、そんなのは駄目だ!
様々な思惑が律の脳内を飛び交ったが、もともと深く考えることが苦手だった彼は、シンプルな結論を下した。取り敢えず、現状維持でいこう! と。
律が、女生徒に囲まれているここみを見ると、彼女と目が合った。ここみは少し照れながら、にこっと朗らかな笑顔を見せる。
――はあ……普段の俺には見せない笑顔だなあ。あの頃のあいつにそっくりだ。
少し感傷的になりながらも、律は午後の授業をなんとかこなした。物理の授業はさっぱり分からなかった。
――放課後、体育倉庫の裏。律と大吾が、なんとも言えない表情で向かい合っていた。
大吾の方は、幸い午後に授業が無かったので、放課後まで職員室で待機していたのだ。いつも気さくに同僚に話しかける彼が、妙に大人しいことに少し不思議がられたが、なんとか乗り切ることができた。
「しかし、このまま戻らなかったら、僕は明日からどうすれば良いのか……受験もあるし……。ああもう! 何よりも、こんなむさ苦しい体で生活しなきゃならないなんて!」
頭を抱える大吾に、律が腰に手を当てて声を張り上げた。
「……むさ苦しくて悪かったな! 入れ替わったもんはしょうがないだろ? ウジウジしてないで、この後どうするか考えるんだよ!」
「どうすれば良いんです?」
「分からんっ!」
あっけらかんと応える律に拍子抜けした大吾だが、それが功を奏して、彼は少し落ち着きを取り戻した。
「取り敢えず、元に戻る方法は模索していくとして、当面の生活をどうするかですね。今日は僕が先生の家に行くので、先生は僕の家に行ってください。明日は僕は先生、先生は僕、つまり生徒として登校する、と。ややこしいですけど」
大吾の善後策を、頷きながら聞いていた律だったが……。
「えっ? ちょっと待て。てことは、俺の家でお前とここみが、ふたりきりに? そっ、それは駄目だ! 不健全だ!」
大吾の広い肩を、律の華奢な両腕がギュッと掴んで前後に揺すった。
「し、仕方ないでしょう!? その小鳥遊……ここみさんが居るからこそ、あなたの姿である僕が行かないと、不自然でしょうが!」
「ぐっ……しかし……!」
逡巡した律は、大吾の肩から両腕を解いた。
「たしかに、お前の提案通りにするしか無さそうだが……いいか、ぜっっったいに、ここみに手を出すなよ!?」
暑苦しく念を押す律に対して、大吾は自重気味に応える。
「安心してください。僕がここみさんとどうこうなるなんて、あり得ないですから。興味もありませんしね」
「あん? それはそれで腹立つな! ここみに魅力が無いってか?」
「ああもう、めんどくさい人だな! ……とにかく、なるべく不自然にならないように、お互いの住所や普段の生活ルーティンなんかを情報交換しましょう。それに不本意ですが、緊急連絡用にメアド交換お願いします」
――小一時間後。「情報交換」を終えた大吾は職員室に戻り、昼の他校生徒乱入に関して経緯を教頭に報告した。日和見主義の教頭は大事にしようとせずに、裏門の施錠を徹底するように、とだけ指示を出した。
一方の律は、美術室へ向かう。美術部に所属しているここみが、まだそこにいるはずだ。中を覗くと、他の生徒は既に帰ったようで、室内にはひとりで黙々とデッサンをするここみの姿が見えた。邪魔しないように、背後から近づいてここみの作業を見守った。
「上手いもんだ。流石、ママの血を引いてるだけあるなあ」
腕組みしながら、いつもの調子で思ったことを声に出してしまう。ここみは「ひゃん!」と叫んで、持っていた鉛筆を落とした。
「び、びっくりしたあ! 神崎君、いつの間にそこに?」
「あ、ああ、驚かせてスマン。あんまり集中してるもんだから、声かけずに見てたんだ」
苦笑しながら頭の後ろをポリポリと掻く律に、ここみは屈託のない笑顔で応じた。
「えへ、そうだったの。ところで、ママがどうのとか言ってなかった?」
「えっ? ……と、そうそう!『あるがままに描かれてるなあ』って言ったんだ。はは……」
「そ、そうかなあ? 褒め過ぎだよお」
少し照れながら、ここみは画材を片付け始めた。律も手伝い、ふたりは五分後に美術室を撤収した。外に出ると、空に明るさは残っているものの、徐々に暗くなりつつある。ふたりは学校の最寄りである大平駅に向かって、肩を並べて歩いた。普段ここみは自転車通学なのだが、昨日自転車がパンクしてしまい、今日は電車での登下校なのだ。
「そう言えば、神崎君ってどこに住んでるの?」
「あ、ああ。……まあ、途中まで送ってくよ。」
律は、なぜか言葉を濁して改札を通った。
西央線の電車に揺られ、ふたりはひと駅先の桜白銀駅で下車した。
「えっ、神崎君も同じ駅だったの? ぜんぜん気が付かなかったよ」
「ま、まあ、いつもは神崎……俺は電車通学で、ここみは自転車だしな。お前と違って部活もしてないらしいし、時間帯が合わないのも無理ないな」
ここみは律の顔をチラッと見て、視線を前に戻した。
「えっと、今、名前で呼んだ……よね?」
「あっ! す、すまん小鳥遊! 馴れ馴れしいよな?」
「ううん、名前で呼んでくれた方が嬉しいかな。……私も律君って呼んでいい?」
な、なんだ、この付き合いたてのカップルみたいな会話は? しかし、ここみを小鳥遊と呼ぶのは違和感があるので、この際、お言葉に甘えるか。……そんなことを考えながら、駅の北口から徒歩七分。
「おう、なんとでも好きに呼んでくれ。……ええと、ここが俺の住むマンションだ」
「えっ! ここって、私のマンションだよ?」
「神崎……俺もここに住んでいる……らしい。201号室だ」
そう、律も先ほどの「情報交換」で知ったのだが、小鳥遊家と神崎律の住まいは、偶然にも同じマンションだったのだ! しかしながら、ここみを直接保護下に置けない大吾にとっては、ありがたい偶然といえた。
「へええ! こんなことってあるんだねー。階が違うから、顔を合わせることがなかったのかな?」
小鳥遊父娘の部屋は、律の二階上の401号室だった。
「らしいな」
「さっきから、らしいらしいって、なに? 変なの」
エントランスのエレベーターに乗り、律は四階のボタンを押した。
「あれ、律君の部屋、二階じゃ?」
「あ、つい」
慌てて二階のボタンを押すが間に合わず、エレベーターは四階まで上昇した。ここみがドアの外の通路に出る。
「じゃあ律君、また明日! 私、明日も電車だから、一緒に学校行こ?」
「あ、ああ、分かったよここみ。……また明日」
娘と同じ家に帰れないからか、律は寂しそうな顔をした。ここみは、それを違うふうに解釈したらしい。
「そ、そんな表情しないでよ……じゃあね!」
笑顔の頬に少し紅潮した色を帯びさせ、ここみは踵を返して小鳥遊家へ帰っていく。それを見送った律は、後ろ頭をポリポリ掻きながら、二階のボタンを押した。
「はあ……心底、疲れた」
激動の一日をなんとか乗り切った大吾は、慣れない汎用人型決戦兵器を操縦する某少年が如く、重い身体を引きずって帰宅した。事前に得た情報通り、インターフォンを鳴らさずに401号室の鍵を開ける。
「……ただいま」
大吾なら声を張り上げるところだが、ひとり暮らしの律には「ただいま」を言う習慣がない。おのずと、小さな声になる。当然、ここみの返事は無かった。
――とにかく、早く横になりたい……。
ガチャっと部屋の扉を開けると、コットンキャミソールを脱ぎかけているここみの姿が視界に入った。
「ちょっ! パパ、帰ってたの? ノックしてよ!」
「ご、ごごご、ごめんっ!」
大吾は小鳥遊家の間取りを確認していたのだが、あまりの疲弊のために入る部屋を間違えてしまったのだ。彼は慌ててドアを閉めようとするが……。
「キャンキャン!!」
甲高い鳴き声が、大吾の足もとから発せられた。見ると、毛玉……いや、小型犬が彼の足にまとわりついている。
「う、うわあっ! い、犬う!?」
驚いた大吾は、犬から逃れるように前方へダイブした。つまり、ここみめがけて。
「ぎゃー! なになにー!?」
服を脱ぎかけのここみに抱きつく大吾。そのふたりの足もとを「僕も仲間に入れと」とばかりにキャンキャン走り回るポメラニアン。なんというか、カオスだった。
――一分後、ここみは混乱している大吾の背中を押して、自室から追い出す。
「もう! 今日のパパ、なんかやらしーよ? ほら、小太郎、おいで!」
大吾の背後から、バタン! と扉の閉まる音が響いた。ドア越しに小太郎の鳴き声が耳に届く。大吾は、激しく動悸する胸を押さえて、小さく呟いた。
「……や、柔らか……かった……」
「なあんてことが昨日あってさ。なんかパパ、すごい疲れてたし、わざとじゃないだろうから、許したげたけど。まったく、失礼しちゃう!」
翌朝、一緒に大平駅から学校へ向かう道すがら、ここみは昨日の事件を、頬を膨らませながら律に語るのだった。
「へえ、家族のスキンシップってやつだな。ははは、微笑ましい話じゃないか」
「そんなんじゃないと思うけど……。ごめんね、朝から変な話しちゃって。律君にはついついなんでも話せちゃうみたい。ふしぎ……って、どうしたの?」
ここみが見た律は、満面の笑みを顔面にたたえていたが、なぜか目が笑っていなかった。
「スマンが、ここみ。急に職員室に用事ができた。ちょっくら先に行ってるわ」
言うが早いか、律は学校の方へ駆けていった。
「律君? 急にどうしたの? ちょっと待ってよー!」
律は、陸上の短距離選手よろしく、全力で通学路を疾る。
――神崎律! ぶちころがすっっっ!!!




