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第五話 回想

 部屋の中央で、黒煙の最後の一筋が渦巻いて消える。

 部屋には、何も残らなかった。

 

 レックスは消えてしまったのだ。


 皆が見守る中、ザイオンが無言で部屋に足を踏み入れる。彼は、しゃがみ込んでペンタクルを撫でてた。

 よく見ると、レックスが立っていたはずの場所に黒いシミのようなものができている。


 トーマスとゲイジは一瞬にして群れの長を無くして狼狽えていた。トーマスに至っては項垂れて涙も出せないでいる。ゲイジがザイオンに掴みかかる。


 「レックスはどうなったんだ。こんなことになるなんて聞いてないぞ!あいつを返しやがれ!」


 ザイオンは何も言わない。


 「老いぼれて耳も聞こえなくなったのか?…そういえば、元はと言えばストーム。お前が変な指輪を渡したせいじゃないか!」


 矛先が僕に向く。


 「こうなるよう仕組んだんだろ?汚い真似しやがって!リリーを殺しただけじゃ足りなかったか?」


 ゲイジが鬼の形相で僕の胸ぐらをつかむ。怒りに満ちた目を見て、頭の中が言い訳でいっぱいになっていく。

 僕が言い訳の一つを口に出しそうになったとき、ザイオンが部屋の中で何かを拾い上げた。

 背中越しに手元が見える。

 大きな手の中で、銀輪が光る。


 銀のリングに、ぽっかりと穴が空いたような真っ黒な宝石。

 間違いない。それは、僕が昼間手に入れた指輪だった。


 「きっとレックスのものだ。指輪だけが取り残されたんだな。」

 ハオランが言う。


 「違う。あれは僕のものだ。」


 僕は自分の声の大きさに驚いた。そして、同時に周りの冷めた目に晒されていることに気がついた。レインは普段無表情な彼女からは想像もできないくらい目を見開いている。


 金属の転がる音がする。部屋の中に視線を移すと、ザイオンが指輪を取り落としていた。

 ザイオンの手から抜け出した指輪が扉の方に転がってくる。僕の靴に触れ、コトンと倒れる。


 僕は人々の視線を浴びながら、指輪を拾い上げた。


 「それが君のものだとどうして言える?魔術を習ったことすらないだろう。」


 ザイオンの声も、はるか遠くで鳴る鐘の音のように意味を成さなくなっていく。

 僕は何かに突き動かされるように、部屋の中央のペンタクルに足を踏み入れた。

 口から、知らない言葉が溢れ出る。それに呼応して、ペンタクルが眩い光を放ち始める。



 山羊が生まれたての子供を覆う胎盤を食べるように、親を亡くした隼が飛び方を知っているように、僕は至極当然に事を成していった。



 恐怖はなく、それどころか、どこか懐かしい、ほっとするような感覚が全身を満たしていく。

 視界がひんやりした霧で覆い尽くされ、僕を囲む壁の存在が曖昧になる。

 指輪を左手の中指にはめる。


 指輪の表面が沸騰するように波打ち、内部の黒が現世に浮き出した。みるみるうちに膨張し、巨大な影になる。


 霧の中、一対のヤギのような角と、赤く光る目がはっきりと見えた。僕をはたと見据え、放さない。その時になって初めて、僕は身体の芯から壊死していくような言いようのない恐怖に襲われた。


 唐突にあのネズミのことを思い出す。数時間前に僕が絞め殺したネズミ。


 …あれは本当にただのネズミだったのか?


 それを機に、記憶が濁流のように押し寄せた。


 銀河のように輝くリヴェンのブレスレット。

 レックスたちにいじめられる昼休み。

 雑用として働いてきた日々。

 ハオランとリヴェンが激しく衝突し、試験場で砂塵が舞う。

 珍しい緑の目と髪。レインを初めて見た日。

 ザイオンが、魔術師たちの指導をする。

 送り出す戦士たちを讃える盛大な宴。彼らの行方が途切れたと知り、崩れ落ちるザイオンの背中。


 増設される館。


 からっぽだったコップに水が注ぎ込まれるように、不思議な力が僕を満たしていく。

 僕の周りを光が舞い、幻影を見せる。



 誰かに、頭を撫でられる感触がする。


 未来への憂いを秘めた瞳。


 マントを背負った愛しい後ろ姿。


 平穏だった日々が突然にして崩れ去り、全てを引き剝がされていく。



新月、崩れゆく楼閣で、黒い影が僕を見つける。

人々の喜びに満ちた喝采。



 断片的な記憶の洪水が治まり、僕は瞼を開いた。今見たものは何だ?何も分からないけれど、僕が今から歩む道を、暗示しているような気がする。


 …なら、この話はハッピーエンドに違いない。


 霧は晴れ、黒い影も姿を消す。僕は泣きたいほど空っぽな何かに焦がれて、泣いていた。この屋敷で生まれて、この屋敷で育ってきたはずなのに。今は屋敷すら馴染みのない一軒の宿に思えてならない。


 外に出たい。


 今見た風景を、探しに行きたい。僕の居場所はここではない、そう強く確信した。


 生まれて初めて、ここから抜け出して世界を見に行きたいと思った。

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