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第三話 儀式

 扉が開く。



 部屋に入ってきたのは、今の僕にとって最高の人間だった。


 「レイン…!」


 そのまま僕に歩み寄る。


 「れ、レイン…僕…僕!」


 僕が言葉を紡げないでいると、レインは表情一つ変えずに僕の隣に腰を下ろし、背中を撫でた。


 僕はこの瞬間世界で一番情けなくて滑稽で奇妙で汚い人間だった。

 涙で顔をグチャグチャにして、両手でゲロに溺れるネズミを持っているのだから。


 「よしよし。もう大丈夫だよ。大丈夫。」


 そう言いながら、ネズミに絡みついた僕の指に自分の手を重ねる。

 レインの温かい体温が、僕の固まった手を溶かす。

 生暖かい吐瀉物が潤滑油になって、一本ずつ、ネズミの首から指を剥がしていく。

 息がうまく吸えない。体の震えが、止められない。


 「大丈夫だよ。ただのネズミじゃない。そんなに悔いることないわ。」


 冷酷とまで言えるレインの言葉に、僕はただ頷くことしかできなかった。


 「汚れちゃったね。傷も開いてる。小川で洗いましょう。」

 「…死骸はどうしよう」


 僕は半ば独り言のように呟いた。


 「そうね…。こういうのはどう?」





 一仕事終えた後、ちょうど良いタイミングで集合の鐘が鳴り、僕とレインは二人で屋敷の一室に向かった。


 そこにはすでに、屋敷に滞在している魔術師たち十数人が集結していた。

 人だかりにハオランとリヴェンの姿を見つける。


 ハオランの服はここらでは珍しいえんじ色だから、遠くからでもよく目立つ。肩に乗った小さいドラゴンもいい目印になった。リヴェンは大抵その隣にいる。

 僕たちが二人の隣に並ぶと、気づいたハオランがいつものようにニヤッと笑った。


 部屋には、勿論レックスたちの姿もある。

 あの様子を見ると…まだ、バレていない。

 僕は今になって正気を取り戻し、心臓が胸を突き破る勢いで鼓動し出したが、してしまったことはどうしようもない。

 箒を手に、絨毯掃除に勤しむ。


 ザイオンが台座につき重々しく演説を始めた。


 「魔王が王都を占領してから、我々は数回に渡って戦力を送り出してきた。だが結果は知っての通りだ。」


 魔術師たちを見渡して続ける。


 「今回は力あるものだけを選抜し、派遣することに決めた。」


 集団のあちこちでささやき声がする。


 魔術師たちは不満そうな顔をしているが、彼の言葉には重みがあった。

 僕にとって父親のような人でも、彼らにとっては、魔王が王都を占領する以前から討伐隊に関わっている英雄なのだ。

 人々からの信頼は厚い。


 ザイオンは疲れたような顔を見せた。

 「…我々はこれ以上無暗に戦力を失うべきではない。今日、各人の宝石の色を見て討伐隊の構成員を選抜する。原色に近ければ近いほど、美しければ美しいほど、その力は強大になるのだ。」


 聴衆が驚きでざわめく。


 僕の隣で、ハオランが胸元をゴソゴソとまさぐり、古びたペンダントを取り出した。

 年季の入った革の紐に、鉄が錆びたような色の宝石が編み込まれている。

 お世辞にも原色に近いとは言えない。

 ハオランは思案顔をしている。


 「おやおやハオラン君?いつもの自信はどこへ行ったんだい?」


 リヴェンがハオランの肩に手をかけながら宝石を覗き込んだ。


 「ふうん…?」


 何だか嬉しそうだ。ハオランは黙ってただ俯いている。

 いつもの彼だったらリヴェンに倍返しするのに。リヴェンは構わず続けた。


 「僕のをご覧よ。」

 腕をハオランの前に突き出し、骨ばった腕にはめたブレスレットを見せつける。


 金輪の亀裂から、澄んだ青の宝石が顔を覗かせる。

 まるで、夜空を埋め尽くす満天の星のような。

 リヴェンはハオランの上に立てることが早々ないので嬉しいのだろう。気分の高揚を隠しきれていない。


 「ふふ。これなら僕が選ばれること間違い無しだ。君はそこの雑用と屋敷の掃除でもして、僕が魔王を討伐するのを大人しく待ってることだね。」


 ザイオンが片手を上げ静粛に、と合図する。


 「お前たちが今手にしている宝石は、まだお前たち自身には適応しておらず、前の主人の力を示しているにすぎない。お前たち自身の真価を判断するためには、現在の持ち主、つまりお前たちに適応させる必要がある。」


 リヴェンはそれを聞き、眉根を寄せて明らかに不満そうな表情になった。


 「そんな話聞いたことがありませんね。」

 誰かの呟きに、ザイオンが頷く。


 「古来より、適応の儀式は禁忌とされてきたのだ。だが、宝石は危険な適応を行って初めて、その真価を発揮する。君たちには儀式を経た上で審査を受けてもらう。死ぬ覚悟がある者だけに、儀式に参加する資格を与える。」


 部屋が緊迫した空気で包まれる。

 話し終え、ザイオンが初めて僕と目を合わせる。


 「絨毯をどかしてくれ。」

 僕は突然の命令に困惑しながら、床の絨毯をどかした。細かい埃が舞う。



 __知らなかった。絨毯の下、木の床に巨大なペンタクルがあることを。



 魔導書に書いてあるのと同じ文字と、複雑な模様が重なり合い、五芒星と大小様々な円を成している。


 「これ、悪魔を召喚するときに使うものだよ。」

 ハオランが僕の耳元でつぶやいた。


 「これが?それにしては複雑すぎやしないかい?」

 リヴェンが反論する。

 

 ザイオンが魔術師の一人をひと際大きな円の内側に誘導し、古びた羊皮紙を渡した。


 「ここに適応魔法の呪文が記されている。今から一人ずつ、ペンタクル内で詠唱をしてもらう。宝石の色が変わらなければ、儀式を行使する能力が無いか、前の主人と全く同じ性質だったかだ。後者の可能性は殆ど無いと思え。詠唱が終わったものから私が審査する。」


 ザイオンはそう言い残し部屋を後にしたので、僕たちも彼に続く。

 部屋には老人一人が取り残された。


 儀式が気になって廊下で耳をすませる。


 「中でどうなってるんだろうな。」

 ハオランがひそひそ声で言う。


 「気になるなら覗いてみればいいじゃないか。」

 リヴェンはそう言って人差し指と親指で丸を作り、そこから覗き込むようにして扉に目を押し当てた。呪文を唱えている。部屋の中が見えているようだ。


 それを見ていたレインが一歩前に踏み出し、リヴェンが張り付いている扉に大きな四角を描く仕草をした。

 扉に、ちょうどレインがなぞった後を縁にした窓が現れる。

 リヴェンは居心地が悪そうに扉から離れ、一緒に窓から中を覗き込んだ。


 そこから、部屋の様子が鮮明に見える。


 魔法陣を踏む老人魔術師が部屋の真ん中で佇み、思案顔で羊皮紙を食い入るように見つめている。

 しばらくしてから目を瞑り、詠唱を始めた。足元のペンタクルがわずかに光りを放ち始める。

 数秒で全記憶してしまったのだろうか。閉じた瞼はピクリとも動かない。


 部屋の空気に、しわがれた声だけが吸い込まれていく。

 不意に、老人のものと対になるように描かれたペンタクルの内側からもやもやとした霧のようなものが湧き出てきた。

 たちまち部屋全体が霧に沈む。

 霧の向こうにピンクの影がかすみ、老人の方に手を伸ばす。


 …何かが、いる。

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