第十九話 銀河のブレスレット
…黒い瞳孔はエルフに似合わない。
「ほうほう。魔王城はこうなっているのか。水晶玉まで見えるぞ。…これはいい。」
ぶつぶつ言いながら左目を黒い布で覆い、僕にウインクして見せる。
「エルフの視力は人間より優っているから初めのうちは難儀するかも知れないが、そのうち慣れるだろう。」
この人は、僕を救ってくれたのか。唐突すぎて理解が追いつかなかったが、考えてみればもう、体を乗っ取られる恐怖に怯える必要が無くなったのだ。
「__なぜ僕にこんなことしてくれるんです?」
聞くと、ルナはリヴェンを見た。母が子を見るような、優しい視線。
「あいつの友達だからさ。それに、その黒猫が力を貸してるってことは魔王をどうにかする見込みがある奴ってことなんだろう。一度、たった一人の少女に集落を救われた恩がある。その時もその悪魔が一緒だった。」
「救われた恩だと?こりゃ驚いた。エルフ様も感謝の言葉を述べることができたんだな。」
オニキスが皮肉めいた口調で言う。…そういえば彼のことは何も知らない。
「何があったんです?」
聞くと、ルナは首を傾けた。
「その悪魔が話したがらないのなら、私が教えるのも野暮ってもんだ。どうだい?良い機会だ。話してやったらどうだ。」
オニキスは僕の肩から飛び降りて伸びをした。
「別に隠してた訳じゃないさ。1000年前、魔王を封印するのに手を貸してやっただけだ。」
「魔王封印の手助けだと?」
ハオランが素っ頓狂な声を上げる。レインは眉根をひそめる。
「何か知っているの?」
僕がハオランに聞くと、彼は顎に手をやった。
「知っているも何も__。その時封印に成功した人間は、フォーイェンの王子だったんだよ。今でも英雄として語り継がれている。…変だな。力を貸した悪魔はユエだと聞いていたが。」
オニキスはハオランの言葉に、不満そうに目を逸らした。
「あいつは…シャンユーは、浮気性だったんだ。俺以外にも何人もの悪魔を従えていた。」
…こいつ、僕が最初の主人だと認めたくせに、別の人間のしもべでもあったのか。
『…』
「…少女なの?王子なの?」
聞くと、オニキスはどこか遠くを見つめるように目を細めた。
「どっちもだ。シャンユーは男として育てられ、いずれはフォーイェンの国王になる立場にあった。魔王封印の時に死んじまったがな。」
…正直、1000年という数字が大きすぎて計れないが、壮大な物語でもあるんだろう。
「あなた…ウラヌスじゃないの?」
ずっと口をつぐんでいたレインが、変な声色で囁いた。目の焦点が合っていない。
オニキスが顔を歪めて聞き返す。
「どう思う?」
レインはヌッと両手を突き出し、オニキスの首を締めた。
オニキスの目が、裏返っていく。いつかのような冗談めいた雰囲気じゃない。本気で殺そうとしている。
黒猫の呼吸が荒くなる。キリキリと首を締める音がなる。
突然、息ができなくなる。酸素を取り込もうと口を開ける。何も入ってこない。涙が頬を伝う。苦しい…!なんで僕も__
レインが目を見開いて僕を見る。
「まさか…!」
彼女はすぐにオニキスの首から両手を離した。
途端に酸素で肺が満ちる。解放された黒猫が地面に伸びる。
「どういうこと?貴方はだれ?…ウラヌスではないと言うの?ならば__ならば、なぜウラヌスの気配が…」
訳の分からないことを呟き、両手で顔を覆う。オニキスは何度かせき込み、不敵な笑みを浮かべた。
「お前に俺は殺せない。何たって、お前の大好きな奴の一部になっちまってるんだからな。以前、俺の目的は何かと聞いたな?俺の目的は、魔王をぶっ殺すことだ。1000年前も、この瞬間も。そのためなら何だってする。…小僧に憑いたことがこんな形で役立つとは思っていなかったがな。お前も難儀だな!」
レインは深い憎悪に顔を歪ませて、オニキスを睨んだ。目の中に、自己嫌悪の色が垣間見える。
両手を固く握りしめ、彼女はふいと顔をそらした。…二人の関係がますます分からなくなった。レインは、オニキスを別の誰かと勘違いしていたのか?僕に憑いたって…。
宝石に初めて触れたとき。あの時の光景がフラッシュバックする。
透明な指輪は、僕が触れたところから黒に染まっていった。今思えば、あれは、召喚というより、まるで、僕の中から滲み出してくるような__。
「おい、なんだこりゃ!」
ルナが沈黙を破る。見ると、彼女はリヴェンの手首を握っていた。金のブレスレットがちらつく。そういえばリヴェンのブレスレットは彼の師匠から譲り受けたものだと聞いた気が__。
「リヴェン!説明してもらおうか。」
容赦なくリヴェンの頬を叩く。彼は唸りながら起き上がった。ルナがすかさず頬を掴む。
「これはなんだ。何故適応させていない。」
リヴェンは焦点の合わない視線でぼーっと師匠とブレスレットを交互に見つめ、突然我に返ったようにルナの手を振りほどいた。
「…あんたには関係ないだろ。」
後ろめたそうに目を逸らす。ルナは眉根にしわを寄せてリヴェンに詰め寄った。
「関係ないだと?よくもそんなことが言えたな。…お前のことだ。どうせ自分が適応させたせいで宝石が変わるのが嫌だったとか、そんなくだらない理由だろう?」
リヴェンは肯定も否定もせず目をそらし続けている。…彼は儀式に失敗したのかと思っていたが、そもそも儀式をしていなかったのか。
ルナは黙りこくるリヴェンをじっと見つめてから、前触れもなく立ち上がった。
「__まあいい。今、ここで儀式をしなさい。」
「…は?何言って__」
リヴェンが問いただす前に、ルナは詠唱を始めた。
炎が地面を這い、いくつもの円をなしていく。その間を、直線が繋ぐ。複雑な文字が円に沿って刻まれていく。
ルナが口を閉じ、炎が消える。地面に焦げ跡が残る。
それは、ペンタクルだった。屋敷の床に描かれていたものと、同じ。
「召喚の呪文は覚えているな?」
ルナが有無を言わさぬ口調で聞く。リヴェンは腰を上げ、小さくうなずいた。
「待ってください。まさかこれで儀式を始めるおつもりですか?」
ハオランが割って入る。
「焦げ跡による線では、精密さに限界があります。文字もろくに書けていない。…ペンタクルの不備は使用者の命に直結します。せめて岩や木などに__」
ルナが唇に指を当てるしぐさをする。ハオランはそれを見てなお、何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに引いた。
月が、天頂で僕らを見下ろす。
リヴェンは口を固く結んでブレスレットを、その隙間から覗く銀河を、眺めた。やがて顔を上げ、ペンタクルに足を踏み入れる。覚悟を決めたような表情。細かい灰が舞う。
ハオランは気が気でない様子でリヴェンとペンタクルを見つめている。
平原が、呼吸を止める。
リヴェンの声だけがただっぴろい空間に吸い込まれていく。師匠譲りの静かな、歌うような声。
次第にペンタクルが光を放ち始める。白い霧が彼の体を囲む。深海で聞く鯨の鳴き声のような、畏怖の念を搔き立てる音が、語りかけるような響きが、空気の波を紡ぐ。
霧の中、月にも届くような巨体が蠢く。はっきり輪郭がつかめないが、それこそ鯨のような何かが、いる。リヴェンと対峙している。吐く息が白くなる。
詠唱が終わり、ブレスレットが輝きを放つ。次第に霧が晴れていく。いつの間にか、影も消えていた。
ハオランがため息をつき、肩の力を抜く。
「やればできるんだよ。」
ルナがドヤ顔で言う。リヴェンのブレスレットは、さっきまでと全く同じ美しさで輝いていた。
「君たち、王都へ向かうんだろう?わたしも同行していいかい。」
ルナがリヴェンの頭を撫でながら聞く。リヴェンは顔を赤くして彼女の手の中から逃れた。反抗期の息子かよ。
「勿論です!貴方ほど心強い人もなかなかいませんよ。」
ハオランが顔を輝かせる。ルナは頷いた。
「実は、わたしは王都から来たんだ。4日前、君の使い魔__ユエがわたしの元へ来てすぐ、ここまで連れてきてもらった。」
「ユエに乗って来たのですか?翼を怪我していた筈ですが…」
ハオランが聞く。ルナは首を傾げた。
「つけ根を矢で打たれたんだろう?傷口の呪いを解いて治癒したんだ。」
レインの治癒は拒んでいたのに、ルナなら良かったのか。どうやら、レインはとことん動物に嫌われているらしい。
ルナがユエに触れる。
「ドラゴンは人間の10倍の速さで移動できる。ここから王都まで普通に行けば三週間はかかるが、ユエに乗れば3日ほどで着けるだろう。…ハオランの手紙で魔王が封印を破ったことは分かったが、また現王都へ進軍しているとはね。魔王はまた同じ轍を踏むことになりそうだな。__王に報告はしたが、支持を仰ぐためにも全員で王都へ行こう。」
ここからたった三日で着けるのか…。
たしか、魔王軍が現王都に到着するのはあと二か月後だとオニキスが言っていた。迎え撃つ準備をする時間は十分にありそうだ。
「もう夜中に移動する必要はないだろう。今晩は休んで、夜明けに出発しよう。」
ルナが腰に手をあてて言う。夜に眠るのは久しぶりだ。
そよ風に揺られながら横になる。
平原には冷風を遮るものがなくて流石に寒い。手をすり合わせていると、ふと、風が収まる。目を開けると、視界が緑で覆いつくされていた。ユエの翼が、僕らを守るように広がっている。
寝番のルナが僕の視線に気づいてウインクする。僕は笑い返し、深い眠りに落ちていった。
第二章、最後までお読みいただきありがとうございました。
現在、第三章を鋭意執筆中ですが、この章が最終章になる予定です。
数か月後に投稿を再開しますので、それまでお待ちいただけると嬉しいです。




