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第十七話 エルフ

「おいリヴェン!いい加減起きろ。早くしないと置いていくぞ!」


ハオランが焚火をかき消しながらリヴェンに呼びかける。

日が暮れて皆で夕食を食べている間も、リヴェンはずっと食欲がないからと横になっていた。

レインがリヴェンの近くに行き、額に手を当てる。


「…酷い熱。まさか__」


彼の袖をまくり、右手首を見る。ミミズ腫れのような紫色のあざが、縄のように彼の手首に巻きついている。狼に噛まれた時の傷。焼け野原で見た時より悪化している。


「触るな」


リヴェンはレインの腕を払いのけ、のろのろと起き上がった。


「問題ない。行こう。」


今にも倒れてしまいそうなくらい足元がおぼつかない。見かねて肩を貸す。

ハオランは一瞬考え事をするようにリヴェンを見て、頷いた。


木のうろから抜け出して丸4日。

ガーゴイルはいなくなったが、僕らは変わらず夜を歩き続けた。狼に噛まれてから、リヴェンは目に見えて衰弱している。いつの間にか周りを囲む木々もまばらになっていき、気づけばそこは平原だった。

見上げると、冬の星空が頭上で瞬いている。銀河が世界の裂け目のように駆け、そこから漏れ出た星々が隅々まで覆いつくしている。

やがて、地平線に真っ赤な月が現れる。


こうして上を向いて歩いていると、まるで宇宙旅行しているような感覚に囚われる。いつの間にか地面が本当に消え、空中を歩いている。


「おい。どうなってるんだ?地面が__」


リヴェンが真横で素っ頓狂な声を上げる。

足元を見ると、僕らの下には虚空が広がっていた。それに気づいた途端、体が宙に浮く。いや、落ちていく。


「ストーム。目を閉じろ。」


僕らの絶叫に負けないくらい大声で、オニキスがなだめるように言う。僕は叫びながら目を閉じた。


「大丈夫だ。ほら、足元には草が生い茂っている。」


草の感覚。体が地面を捉える。

恐る恐る目を開けると、さっきまでと変わらず普通に立っていた。


「今の、ストームがやったのか?」


リヴェンに睨まれ、目を逸らす。


「…ごめん。」


ハオランが笑う。


「ストーム、本当にぶっ飛んでるな!どういう原理だ」


僕は引きつった笑みを浮かべた。


「こんなこと繰り返していたら心臓が持たないぜ…」


リヴェンがため息をつく。

宝石の力を理解してから、どうもコントロールが効かない。自分の想像が現実になることを思い出した瞬間に、際限なく魔法を使ってしまう。


しばらく歩いて、足を休めるため野原に腰をおろす。

旅を始めたときははるか遠くに薄っすら見えていた山脈も、あと二、三日歩けばたどり着けそうな距離にまで迫っている。


「…全然人と会わないね。」


誰にともなく呟くと、レインが頷いた。


「街道と人里を避けて歩いているからね。でも…この鹿肉にも飽きてきたわ。美味しいものが食べたい。」


彼女が愚痴をこぼすなんて珍しい。リヴェンが気絶するように野原へ倒れこむ。


「少し休ませてくれ__」


熱は収まっていないようだ。それどころか、どんどん悪化している。


リヴェンを囲むように、皆で仰向けになって、星空を眺める。そよ風が頬を撫でていく。


…あの、星々も僕の思い通りなのだろうか。

例えば、正面でひときわ輝く赤い星。あれはもともと、別の場所にあったのかも知れない。そうだな…あの山の頂上の空とか。ほら、やっぱり。


皆の顔を伺う。…星が移動したことは、バレていない。

段々楽しくなってくる。僕が瞬きするたびに星の配置が全部変われば、流石に気づくかな?銀河の方向も、北西から南東じゃなくて、例えば、北東から南西だったかも。東から北とか。


「…今夜はやけに空がせわしないな。」


ハオランが言う。僕の幻覚が、皆の幻覚になっていく。全員が同じ幻覚を見るのなら、それはもう、現実だ。僕は自分の力に酔いしれていた。


突然、悲鳴が空を裂く。


飛び上がって見ると、リヴェンが右腕を押さえてうずくまっていた。手首から血が吹き出し、地面を赤に染めていく。

手首から先が、無い。文字通り、腕の途中できれいさっぱりちょん切れている。


側で小さな影が蠢く。

それは、ネズミだった。

呆然と見ていると、ネズミはリヴェンの腕を、血の吹き出る右腕を触った。流れるように。


どこからか、知らない声が聞こえてくる。木々が歌うような、川がせせらぎ笑うような、落ち着く声。

リヴェンはやがてピクリともしなくなった。

彼の手の周りがが淡い水色の光りで満たされていく。細かい、ひんやりした霧がリヴェンの手首に集中する。次第に血が止まり、手首の断面中央から、白い何かが生えてくる。…骨だ。それを覆うように血管が伸び、その周りに筋肉、最後に肌が構築されていく。

リヴェンの手は、ものの数秒で再生してしまった。当の本人は死んだように動かない。


…ネズミが、魔法を使ったのか?もしかして、これも僕の幻覚?


呆気に取られていると、ネズミが今度は僕を見上げた。

小さな体にそぐわぬ長剣、ちょうど、リヴェンが持ち歩いているのと同じような形。僕の首に突き立てる。

冷たい金属が首筋に触れそうになる。


「何だよ…このネズミ!」


息も絶え絶えに唸る。剣が首に触れる。


「小僧から離れろ」


地を震わす低い声。空気が、変わった。重い。息がしづらい。胸が圧迫される。

肩に乗った黒猫の目が、ギラギラと光る。


指輪から黒い影が湧き出る。それが、剣を撫でた。長剣が、崩れていく。炭のように、ボロボロと。

ネズミが、とっさに柄から手を離す。

剣はやがて跡形も無くなってしまった。


また、どこからともなく美しい声が聞こえてくる。

ネズミの口が動いている。…詠唱を唱えているのか?オニキスも言葉を喋るから、その類なのだろうか。まさか、このネズミも悪魔なのか?

次第にネズミがぼやけていく。靄の中にいるように霞み、輪郭があやふやになっていく。ネズミだった影は徐々に巨大化していき、僕の背を越した。

白い光が視界を眩ませる。


白鹿。


目の前に現れた姿を見て、真っ先に白鹿が頭に浮かぶ。

透き通るような白い肌。スラっと背筋の伸びた長身。銀髪が風に吹かれ、尖った耳先が露になる。

僕は一度だけ、この種族を見たことがある。


「これでエルフに見えるかい?」


その女性は、翡翠の瞳で僕を見据えた。

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