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第十六話 左目

__っ!

跳ね起きる。

頭がズキンズキンと痛む。


「ストーム!大丈夫か?」


磨りガラス越しの色が段々輪郭に収まっていく。隣で、ハオランが僕を覗き込んでいた。


「心配したんだぜ。どこか痛むところはないか?」


全身から力が抜けていく。ハオランの肩に身を預ける。


「僕、どれくらい気絶してた?」

「半日だ。」


全身が汗で濡れている。

突然、左目が抉られる。噛み締めた奥歯から悲鳴が漏れ出る。


「大丈夫か。目が痛むのか?」


ハオランの声が頭蓋にワンワン響く。意識が飛びそうになる。世界がズレていく。

目を固く閉じる。

しばらくすると痛みは徐々に引いていった。

恐る恐る両目を開ける。…視界がぐちゃぐちゃになっていて何も分からない。いや、違う。世界が二重になっている…?

試しに、左目を隠してみる。


「ストーム…。おかしくなっちまったのか…」


ハオランが気の毒そうに言う。


右目じゃ、普通に見える。


そこは巨大な木のうろだった。

とっくに日は暮れていて輪郭が掴めないが、側に二つ、寝転ぶ人影がある。リヴェンとレインだろう。僕はそれに気づいて、死ぬほどほっとしていた。今すぐ抱きしめたいくらいだ。世界に一人ぼっちに取り残されたばかりだから、尚更人肌が恋しくなっているらしい。

代わりに膝の上の獣を抱きしめる。オニキスは少し身じろぎして、すぐに僕の両腕に収まった。


右目を閉じ、左目を開ける。



「気がついたか」


しわがれた声。

目の前に、知らない男。


骸骨に皮膚が張り付いたような、かっぴかぴの胴体から枝のような手が1、2、3…4本。頭蓋からは二対の角。無理やり埋め込まれたかのような歪な眼球。鼻から下の皮膚が顎下に垂れ下がり動く度にぷらぷらと揺れる。


身動きが取れない。…瞬きすらできない。


黒い粘膜に覆い尽くされた玉座。床。斤や剣、盾、槍、弓矢がくっついた壁。遥か頭上の天井。

目の近く、机の上に水晶玉がいくつも転がっている。その表面で蠢く悪魔の大群。その中に一つだけ、静止画のように動かないものがある。薄暗い木のうろ。中央に寝そべる、緑色の影。


視界が移動する。まるで、誰かに摘ままれて持ち上げられたかのように。


目の前に鏡が現れる。


目と目が合う。体が無い。ただ一つの、目。

僕は眼球になっていた。


裏側で煙がくすぶっているのが見える。赤い血がポタポタと床に落ちる。

背後で目玉を摘まみんでいる人間と、鏡越しに目が合う。


「久しぶりだな、ストーム?」


聞き覚えのある声。昼休みの光景が、鮮明に蘇る。

廃墟の床に広がっていく血。ぼやけていく視界。


そいつは、レックスだった。


…だが、そんなハズは無い。彼はあの時、僕の指輪で儀式をして、死んだのだから。この目で、確かに見た。黒煙の中に吸い込まれるようにして姿を消したのだ。


「信じられないだろ?」


金髪の男は大げさに手を広げた。視界が揺れる。


「俺も驚いたんだぜ。指輪をつけて詠唱を始めた途端視界が真っ暗になって。気づけばここにいた。屋敷に比べたらここは天国だ。ちょっとばかし臭くて汚いがな。」


疑問符で頭がいっぱいになる。レックスは、死んだんじゃなかったのか?生きていた…?どうして?どうやって?…いや、それ以前に。


どこだここは。


口を開きたくても、喋れない。口を開けて舌を動かす感覚はあるのに。声帯を風が震わせる感覚も、唾を飲み込む感覚も、ある。心臓が鼓動している。何度も瞬きしている。


だが、目の前の眼球は微動だにしない。


感覚と視界が繋がらない。


「__トーム!」


誰かが呼ぶ声が、鼓膜を振動させている。


「なんだ。もう行っちまうのか。」


背後で、レックスが残念そうに言う。


手のひらに変な感覚が伝う。まるで、何かを握るような…。



右目を開けると、目の前にハオランがいた。唇が青く変色している。彼の首を二本の腕が締め上げている。外側が紫色に醜く変色している。


「…ストーム」


ハオランの口から風が漏れ出る。僕は驚いて両手を開いた。ハオランが喉を抑えてせき込む。


彼の首を締めていたのは、僕だった。呆然と両手を見つめる。


「お前…何してんだ!」


リヴェンに胸ぐらを掴まれる。


「ご、ごめん。僕__」

「左目を開けないで!」


レインが叫ぶ。とっさに両目をつぶり、恐る恐る右目だけ開ける。

彼女はリヴェンを押しのけ、僕に黒い布を差し出した。


「これを、左目に。」


言われるがまま、布で左目を覆う。


「なんだよ?何故ハオランの首を締めるようなマネを…」


リヴェンが訝し気な目で僕を睨む。


「分からない。__左目を開けたら突然知らない場所へ飛ばされて…。」

「黒い壁。」


レインが口を開く。


「ボロボロな塔の一角。骨の玉座。骸骨のような、悪魔。見たんでしょ?」


真剣な顔で僕を見つめる。頷くと、レインはため息をついた。


「聞いたのよ。昔の仲間からね。彼も前触れもなく、仲間を襲いだして…。目覚めてから、同じようなことを言っていた。」


「どういうことだ。ストームはどうしちまったんだ?」


ハオランがしわがれた声で聞く。


「私も詳しいことは知らないけれど、多分、左目を魔王に渡してしまったのよ。」


魔王に…?まさか、あのしわしわの骸骨が魔王なのか?


「魔王…?ストームと魔王は会ってもいないのにどうしてそんなことができる。」


リヴェンが眉根をひそめて聞く。


「焼け野原でストームが悪魔たちを消し去ったとき、悪魔の世界に近づきすぎたのだと思う。目だけで済んでよかったくらいよ。下手すれば全身持っていかれるから。」


いまいち分からない。ぼけっと見ていると、レインは眉間を押さえた。


「…この世界は、人間界の他にもう一つある。悪魔が住む場所よ。召喚というのは、人間界に悪魔を呼び寄せるということ。」


「そんなこと誰でも知ってる。」


リヴェンが言う。…知らなかったなんて言える雰囲気じゃなさそうだ。


「その逆も、あるの。悪魔の世界に人間が踏み込んでしまうこと。人間が悪魔と同じような存在になった時、二つの世界の境界があやふやになる。魔王はその境界を自由に跨げる。そして、何も知らず悪魔の世界に近づきすぎた人間を、自分の手元に置くことができるのよ。」


「…ストームは左目しか奪われなかったが、左目だけで世界を見ているとき魔王に体を支配されるということか?」


ハオランの言葉に、レインが頷く。


「多分そう。だから、左目を使わなければ大丈夫だと思うけれど…。可哀想に。」


冷たい手が頬に触れる。


「…あそこは、魔王城だったということ?なら何故…なぜ、レックスがいたんだ。」


呟くと、三人が顔を上げた。


「レックス?レックスを見たのか?」


「ありえる話よ。あの時、召喚の儀式の時黒い竜巻に吸い込まれて…魔王に拾われたのも。」


「魔王に体を支配されているということか?」


左目で見た、彼の仕草を思い出す。


「…そうは、見えなかったけど。でも、そうじゃないと魔王がレックスを側に置く理由が分からない。」


僕らはそろって首を傾げた。


「オニキスはどう思う?」


ハオランがしゃがんで黒猫と目線を合わせる。オニキスはしばらくハオランの目を見つめてから、伸びをした。


「そんなの知ったこっちゃないね。だがまあ…魔王のやりそうなことだ。単純に、気に入られたのかもな。」


「…だとしたら相当悪趣味だな。」


ハオランが立ち上がる。


「ストームも目を覚ましたことだし、そろそろ出発しよう。時間を無駄にできない。オニキス、魔王軍はどれくらいで新王都へたどり着くと思う?」


「俺を全知全能だとでも思っているのか?」


オニキスは僕の肩に乗りながら不平をたれた。


「少なくとも俺にはそう見える。賢いやつに意見を乞うのは自然なことだろう」


ハオランがいたって真面目な顔で答える。オニキスは外を眺めながら口を開いた。


「…まだ川を越せてないのなら、あとふた月はかかるだろう。あっちは軍隊で移動しているから、食料の配給やら道の開拓やらで無駄な時間と労力を使う。こっちはその心配はないから、やつらの半分の時間で到着できるハズだ。ドラゴンが回復すれば、もっと早くなる。…ガーゴイルたちも、しばらくは襲ってこないだろうからな。」


僕にウインクする。…どうやら、全てオニキスの思い通りらしい。まじまじとみていると、黒猫は僕を見返して首をかしげた。耳と耳の間を撫でてみる。目を細める仕草を見ると、やっぱり本当の猫にしか見えない。


僕らはまだ焦げ臭い夜の森へ、旅を再開した。

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