第十五話 本性
「昔話をしよう。」
悪魔が僕に襲い掛かる。
黒猫はゆったりと僕の周りを歩く。一歩ずつ、ゆっくりと。それに合わせて時間が減速していく。
時間が、止まる。悪魔が、火の粉が、風が、静止する。
「__聞かせてくれ。」
言うと、黒猫はニヤッと笑って僕の正面に座った。
僕と黒猫だけの、二人きりの世界。
黒猫が口を開く。
「あれは、1000年前。ある一人の愚かな魔術師が召喚の儀式を発見し、初めて現世に悪魔を呼び出した。それで済めば良かったんだが、魔術師はペンタクルの外へ足を踏み出しちまったんだ。」
黒猫の黄色い瞳に憂いが混じる。
「魔王はそれを見逃さなかった。魔術師はあっという間に魔王に体を乗っ取られ、自我を失った。さらに悪いことに、そこは国の頭が住む城の屋根裏だったんだ。悪魔の力によって城は崩壊し、王都は一晩の内に滅んだ。…お前はそこがどこか知っているハズだ。」
「__屋敷の側の、廃墟だね?」
昼休みを思い出す。黒猫は頷いた。
「そうだ。最初の悪魔を召喚した人間の魂は、崩壊した王都に取り残された。1000年間、自分がしたことへの回想と__後悔を繰り返して、悪魔を倒せる人間を待ち続けていたんだ。」
黒猫は俯いた。
僕は黒猫の言葉を味わってから、口を開いた。
「僕に指輪を授けたのは、その人なんだね?…でも、何で?何故僕なんだ。」
黒猫は俯いたまま喋らない。
その様子に無性に腹が立つ。今までの鬱憤をぶちまけたくなる。
「…僕はしょうもない人間だ。魔王を倒す器じゃない。殺してはいけない人を殺して、殺すべき相手を殺せなかった。守りたい人も、指輪を使うのが怖くて守れやしない。指輪を受け取るべきだったのは__ハオランや、リヴェンのような人間だ。僕より賢くて、力がある人間が背負うべきだったんだ…!僕はこんなもの、いらない!身に着けているだけでも苦痛なんだよ!」
次の瞬間、頬に鋭い痛みが走る。
「指輪はお前を選んだんだ!その選択が間違っていたとは言わせない。」
いつの間にか、目の前には見知らぬ少年が立っていた。僕と同じくらいの背丈。黒い髪。黄色い瞳。
「お前には、力がある。悪魔を倒すのはお前だ。」
少年の言葉に、僕は気狂いのように笑いながら叫んでいた。
「お前に何が分かるんだよ!力?ああ。あるかもな!俺はザイオンを殺した。断頭台の奴らもだ。だが、それがどうした。あんなの、ただの暴走だ。__僕が周りの人間を傷つけるくらいなら、魔王がこの世界を滅ぼしてくれた方がマシだ!」
少年は静かに口を開く。
「お前様はまだ使いこなせていないんだ。それは滅びの指輪じゃない。もう、わかっているだろう?その指輪は、お前様の願いを叶えるんだ。お前様はそれを認めたくなかいだけだ。__失われた命は戻らない。その罪を償うためにも、悪魔を倒すんだ。」
少年は僕の目をまっすぐ見た。
「俺はお前様を知っている。お前様の、両親の事もだ。」
__両親?
「…父さんと母さんがなんだ。話に関係ないだろ?二人はとうの昔に死んで__」
「死んでいない。父親は、まだ生きている。」
…生きている?生きているだと?何を言っているんだこいつは。僕の両親は僕が生まれてすぐに死んだと、ザイオンが言っていた。今まで、それに何の疑問も持たなかった。
「……嘘だ。」
「嘘じゃない。母親は…殺されてしまったがな。魔王の怒りを買ったんだ。」
魔王の怒り…?少年の瞳を見つめてみる。切れ長の黒い瞳孔。嘘をついているようには見えない。
「君は…オニキスか?」
僕が呟くと、少年はニヤッと笑った。猫の時と全く同じ仕草。
「お前様の親父は、魔王サマのご機嫌を損ねるとんでもない重罪を侵したんだぜ。」
「…なんだよ。」
少年がにんまりと笑う。
「20年ほど前。痩せ細りボロボロになった一人の女が、ある湖の辺りに立っていた。」
森に囲まれた静かな湖が、目の前に広がる。隣で、美しい女性が物憂げに湖面を眺めている。
「猫を追いかけているうちに深い森へ迷い込んだオライオンは、その女を偶然目にする。」
貴族の衣装をまとったガタイのいい男性。オニキスの話とリンクした光景が、すぐそばで繰り出されていく。
「瞬間、男はその儚い、この世のものとは思えぬ姿に心を奪われた。オライオンは女に会うため、何度も湖を訪れては、奴が迎えに来るまで話し続けた。二人はそのうちに、互いに惹かれ合い、いつしか愛し合っていた。だが、女には秘密があった。」
少年が口に手をやる。
「…女は、魔王の嫁だったんだ。オライオンはそれを知るやいなや、女を捨てるどころか、女の手を取って逃げようと言った。なんて馬鹿な奴だ!魔王に迫害されていた女は、初めは断っていたが、とうとうオライオンの誘いに乗ったんだ。二人はその森を、抜け出した。」
「まさか…その二人が__」
呆気にとられてオニキスを見つめる。ムカつく表情をしているが、目の奥にはマジと書いてある。
「マジか?」
「マジだ。で、その間にできた子供がお前様ってわけ。お前様の父親、オライオンは魔王に妻を殺された後、ザイオンにお前様を預けて一人で魔王討伐に行っちまった。それっきり消息を断っているが、生きていることは確かだ。」
僕は雷に打たれたような衝撃から抜け出せずに、しばらく口をつぐんだ。
「その…俺の母親は、人間なんだよな?」
恐る恐る口にする。オニキスは爆笑寸前といった様子で僕の肩を叩いた。マジでウザい。
「んな訳ないだろ!頭どうかしてんじゃないのか。お前の母親は、悪魔だ。それも、あっちじゃ覇権を握ってる貴族階級の、とんでも悪魔さ。残念だったな。お前は、悪魔と人間、両方の血を引いてるんだぜ。廃墟にいた魂はそれをお見通しだったのさ。…殺されちまったとはいえ、お前の母親は魔王より何倍も強かった。その血を引き継ぐお前の中にも、同等の力が眠っている。」
僕のみぞおちに指を置く。
「魔王は、そんなとんでもないやつを放っておくほど馬鹿じゃない。だがお前を殺さずに捕らえて自分の奴隷にしようとするくらいには馬鹿だ。」
「…だからガーゴイルたちは僕を捕らえようとしてきたのか。」
「その通り。真価は、その指輪じゃない。お前様自身だ。__さあ、伝えるべきことは伝えたぞ。これからどうする?」
オニキスは品定めするように僕の顔を覗き込んだ。
左手の指輪に目を移す。いつの間にかさっきまでのような不気味な冷たさは感じなくなっていた。
そうか。この指輪は、僕に託されたものだったのか。ただの偶然でも、奇跡でもない。必然だったんだ。
あまりに突拍子もない話だが、僕はなんだかほっとしていた。ようやく地に足ついた感じがする。
「僕は__父さんを見つけ出し、母さんを虐めた魔王を倒す。」
また笑われると覚悟していたが、目の前の少年はそっぽを向いて目を覆ってしまった。肩が微かに震えている。
「…泣いているの?」
「んな訳ないだろうが。」
オニキスは僕に向き直った。
「そうと決まれば、ここからは簡単だ。お前は、お前自身を騙すんだ。お前の視覚、嗅覚、触覚、全てを騙して幻影を見ろ。想像を現実に変えるんだ。俺が手伝ってやる。」
言っていることはよくわからないが、この自信満々な少年の目を見ているうちに、なんとかなりそうな気がしてきた。
「__因みに言っとくが、断頭台の奴らは死んじゃいないぜ。お前はあの時、”死”のイメージをし、それは想像通り実行された。だが、本当の意味の死には至らなかったんだ。」
「…どうして?」
「お前、死んだことないだろ?」
…ああ、そうか。僕が実行したのはあくまで、僕がイメージする死だ。永遠の闇。でも、闇を認識できている時点で死んではいないのだ。
「一度失われた命は戻らないが、まだ生きている者の命はどうにでもなる。まあ、ちょっとしたアドバイスさ。」
「…ありがとう。」
言うと、少年は笑った。
「どういたしまして。」
止まっていた時間が動き始める。
悪魔が襲い掛かってくる。その向こうの空を、悪魔越しの背景を、見る。
__もうそこに悪魔はいない。
「そういうことだ」
足元で黒猫が楽しそうに笑う。
直後、矢が頬を切り裂く。…いや、切り裂いていない。
レインのバリアはボロボロになっていないし、ハオランとリヴェンは傷を負っていない。
そもそも、最初からガーゴイル達は空にいない。炎から湧き出る悪魔も、存在しない。
いや、炎がないんじゃないか?
いつの間にか閉じていた目を開く。両耳を抑えていた手をおろす。
夢をみているような気分だ。
焼け野原で、僕は突っ立っていた。
「ストーム…?お前がやったのか?」
ハオランの声に振り向く。リヴェンとハオランは傷一つなかった。レインも、口を固く結んで立っている。
__想像が現実になる。それがこんなに恐ろしいとは。
自分に絶対の自信を持ったから。全てが実現されてしまうから。
三人が、消え去る。
僕は虚空に一人浮いていた。頭上で黒い巨大な渦が渦巻く。
心臓を震わせる、轟音。
たちまち吸い込まれて粉々になる。顔から飛び出した片方の目玉が、渦に引き込まれていく。渦の中央でか細い腕の中に包まれる。
自分が誰か分からない。万華鏡の世界。自己も他人もない。あるのはただ
雄大な海。砂浜に座っていると、どこからともなく足音が聞こえてくる。
いつの間にか黒猫が膝の上に座っている。黄色の瞳に吸い込まれる。
「戻ってこい。」




