第一話 漆黒の指輪
空気が凍てつき、窓ガラスを凍らせていく。
城の屋上、知られざる一室でペンタクルが光りを放つ。
男は白い息を吐きながら、詠唱をつづけた。
一つだけある窓からは銀河が顔を覗かせ、部屋の中を冷たく伺っている。
男は指輪を高く掲げ、その悪魔の名を叫んだ。
「」
左手の中指にはまった指輪が激しい光を放つ。轟音と揺れが城全体を伝う。
男は抱擁するように両手を広げながら、ペンタクルの外へ足を踏み出した。黒い影が降り注ぎ、歓迎するように男を満たしていく。
1000年間王国を見守り続けた難攻不落の城は、一晩の内に崩壊した。
王都の崩落から早くも10年が経とうとしている。
頭上で鐘が鳴る。
広間がかすかに震えるのが、仰向けになったその背中越しに伝わる。
閑散とした空気。
冷たい床に寝転んだまま、僕は見えない天井へなんとなく手を伸ばした。手の先では暗闇が口を開いている。気を抜けば飲み込まれそうだ。
この広間には、ろうそくもたいまつもない。あるのは遠くの壁に並ぶ小さな窓だけ。
あまりに暗いし、なんといっても古いから、ここには僕以外の人間はもっぱら訪れない。まして、雑用係の貴重な昼休みを薄暗い空間で一人寝転んで潰すのなんて僕くらいだ。
優越感と言ってもいいのかもしれない。ここに寝転んでぼーっとする、その時間が僕にとっては一日の中で一番安心できる貴重なものなのだ。ホコリの混じる乾燥した空気を吸い込み、肺の隅々まで膨らませる。
目の端に白い影が横切る。
瞬間、伸ばした手のひらに冷たい感触を感じた。
「ぎゃっ」
思わず飛び起きて手を振り払う。
足元で金属が転がるような音がして見てみると、銀色の輪っかが床に落ちていた。銀で装飾がなされた輪に、透き通った宝石が爪留めされている。
それは、指輪だった。ちょうど僕の指にはまるくらいの。
どうしてこんなところに。誰かの落とし物…?…いや、違う。僕がこの広間に入ったとき、こんなものはなかった。
…今横切った影は、長い髭を蓄えた老人に見えた。扉は閉じたままだから、出入りはできなかったはずだけど…。
拾い上げようと指先で触れると、宝石が、触れたところから瓶に絵の具を垂らすように漆黒に染まっていった。
今まで見てきた中でも、一番純粋な、黒。
まるで死者の世界からここへ投げ込まれたかのような、不気味な美しさに魅入る。
指輪はほとんど重さを感じられないほど軽く、火傷しそうなくらい冷たかった。これから起きる惨劇を知っていたら、即座に指輪を投げ捨て、二度と関わらなかっただろうに。
その時の僕は、ただ宝石に見惚れ、特別な贈り物に喜んでいた。
そして、いつかのザイオンの話を思い出していた。魔術師の持つ宝石は、特別な力を持ち手に与える。その宝石の見た目が美しいほど、力が強大になる。
この宝石もその類なら、凄い力を秘めてるんじゃないか…?
まじまじと眺めていると、後ろで扉が開く音がした。それと同時に、冷笑するような嫌な声が聞こえてくる。レックスが、3、4人の配下を従えて棟に入ってきた。
「こんな所にいたのか、ストーム。」
僕は指輪が見つからないようにポケットへ突っ込んだ。
「どこかへ行っちまったのかと思ったぜ。ママやパパのところとかな。」
取り巻きたちがニヤニヤ笑う。僕の両親は僕が小さい頃に死んでいる。
「今日も付き合えよ。俺達は退屈してるんだ。報償金目当てで来たってのに、肝心の”任務”は一向に始まらない。」
そうか、この性悪は金目当てだったのか。こんな利己主義な奴がなぜ魔王討伐の任務なんかに立候補したのか不思議でたまらなかったけれど、そういうことなら合点がいく。
僕は立ち上がってレックスを睨んだ。
レックスが手で合図し、取り巻きの一人、いつも彼の側にまるで忠犬のように控えているゲイジが、気味の悪い笑みを浮かべて僕に歩み寄る。
ガタイばかり良く脳足りんなゲイジがまず僕を取り押さえて、そこをレックスたちが魔法やらの実験台にするのが、ここ数週間の日課だった。
だが、今日の僕は一味違う。宝石も、使い方は分からないけど自信を与えてくれていた。
僕はレックスに聞こえないように、口の中で呪文を唱え始めた。屋敷の書庫で覚えた、唯一の魔法。
レックスは気づかず話し続ける。
「俺達が選ばれないってことはもう見え透いてる。残念ながらな。」
全く残念そうじゃない。
僕はレックスに両手を向けた。




