【短編小説】花火
ベランダに出て煙草を吸っていると、夜空の奥から大きな音が聞こえた。
隣接するマンションの向こうに、かすかな閃光が覗く。
雷か、それとも花火か。
耳をすませると、風切り音のような細い音がした後に乾いた破裂音が聞こえた。
その瞬間、聞こえるはずもない祭囃子が身体に熱を帯びさせた。
夏祭りの高揚感と言うものが突如として頭をもたげる。
夏祭りみたいなものにも久しく行っていない。
夏祭り。
働いて稼いだ大切なお金に見合わない、割高な屋台の焼きそばとかたこ焼き。
暴力的な値段のチョコバナナやすもも飴を齧りながら、安いスピーカーから流れるリピート再生の祭囃子を聞いて歩く。
夏祭り。
明日は今日より良い日とは言えないかも知れないが、少なくとも今日は昨日より良い日だと信じられる瞬間が満ち溢れていて、連続する不幸な日々──失われた何年だとか、その世代だとか──を一瞬でも希釈してくれる。
そんな気がするだけで良い。
その高揚感にいても立ってもいられなくなり、薄手のジャージに着替えてコルク帽を被った。
原付を走らせて花火が見えた方に向かうが、花火は既に終わってしまったのか、もう見えない。
だがきっとお寺か神社か何かがあって、そこではお祭りをやっているはずだ。
夜風と言うには生暖かい風を受けてシャツがバタバタと暴れる。
街灯の間隔がやたらに広い橋を渡り、どんどん知らない道を進む。
やけに車通りが少ないが、徒歩圏内の地元民しか通わないのだろうと思いそのまま原付を走らせた。
しかし神社仏閣も見当たらなければ公民館も見当たらない。
やっちまったな、土着ヤンキーたちの遊びだったか。
──それにしては大きな花火に見えたが。
そのままゆっくりと原付を走らせていると、丘の上へと続く道に何か見えた気がした。
ここまで来て何もないと言うのも残念なのでとりあえず行ってみようと思い、原付をそちらに向けた。
仮にヤンキー達の集団だとしても、いざとなった逃げればいい。
期待が外れて挫けそうになった気持ちを切り替えて緩い坂道を上っていると、脇に逸れる道沿いに露店が並んでいるのが見えた。
なんだ、やってるじゃないか──期待していた活気なんてのは無いが。
そう、活気が無い。
熱も無い。
脇道に沿って御祭禮と書かれた提灯が下がっていて、その下に点々と屋台が並んでいる。
浴衣姿の客が行き来するでもなく、屋台も呼び込みをするでもなく、ただそこにあると言う感じだった。
なんだ?これは。
やっているのはお祭りそのものなのに、お祭りと言う雰囲気がまるで無い。
帰ろうか……と思ったが、せっかくここまで来たのだしと思いなおして、脇道の入り口に原付を停めた。
コルク帽をサイドミラーに吊るして砂利道を歩く。
──やはり、陰気だ。
御祭禮の提灯が揺れている。中の灯りが揺れて……と言う事は本当の火を使っている。
蝋燭?
珍しいな、などとフィールドワークぶって屋台の列を縫って歩いた。
並んでいる屋台は別に珍しくもない。
焼きそば、チョコバナナ、たこ焼き、ソースせんべい。どこにだってあるような出店ばかりだった。
しかし屋台に並ぶ客の姿は無い。
自分ひとりがここにいる。
立ち並ぶ屋台の店主たちは皆、一様に白い狐のお面をつけていて顔が見えない。
もしかしたら、そういう神事の時間なのかも知れないと思った。
例えば……知らないけど、喋ってはいけないだとか顔を見せてはいけないだとか。
俺は余所者なので放置されているが、本当はここにいてはいけない時間──祀られている神様が通る時間だったりするのではないだろうか。
そうなると誰もいない事に納得がいく。
どこかこの先に集会所の様なものがあって、みなそこにいるのではないだろうか?
屋台の店主たちは何か免除されていて、そこに残る代わりに白い狐のお面を付ける事が義務つけられている。
きっとそうだ。
そうに違いない。
半ば無理やりに自分を納得させるように頷いて奥へと進んだ。
「今年はひとりか」
「それでもまだ良い方じゃろ」
「去年はいなかったものな」
「とりあえずはこれで良しとしよう」
「入り口のあれはどうする」
「鍵でも挿しておけば誰か持っていくだろうて」
「これで今年もようやく祭りが始められるな」
「良かった良かった」




