ただよって。
今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。
「Get Wild」
もこもこピンクホワイトボーダーのジェラピケに身を包んだあたし。
艶やかなダークブラウンのストレートのカツラ。
ほんとは「夜の銀座」狙いだったのに、どう見ても区役所の広報誌に出てくる人。
その毛先を指に絡めながら、リズムを小さく刻む。
そして、今日もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、またひとり転がり込んできた。
ドアが開いた瞬間から、湿った空気をまとった声が飛んできた。
「ここ、思ったより小さいんだな」
あたしはカウンターの奥から笑顔で手招きする。
滲み出る僕ちゃん正義のオーラ。
「小さいから、あんたの大きな自尊心もぶつけやすいでしょ」
丸椅子に座る前に、男は棚を見回した。
「酒、これだけ? ジャックとカルーア? 普通もっと置くでしょ」
「普通って、あんたの家基準?」
「いや、普通は普通だろ。バーってそういうもんじゃないの?」
きたきた、普通という名の大義名分。
「うちは“そういうもん”を置いてないの。めんどくさいから」
渋々ジャックを注文しながら、男はおつまみの皿を見て眉をひそめた。
「枝豆……これ冷凍だな。生のほうが旨いのに」
「冷凍もいいのよ。人間も豆も、一度冷やすと味が落ち着くの」
「いやいや、鮮度って大事だろ」
「あんた、女にもそう言って年齢聞くタイプ?」
男はニヤリと笑う。
「まあ、若いほうがいいよな」
あたしはグラスを拭く手を止め、彼をじっと見る。
スーツはきっちりだけど、肩が少し落ちてる。
時計は古い型なのに妙にピカピカ、たぶん週末に磨いてるタイプ。
名刺入れをいじりながら、常に“俺のほうが知ってる”顔。
かわいそうね。
小さなお山の大将か。
「でも俺の言ってること、だいたい正しいと思うよ。間違ってないし」
あたしは手元を操作して、Billy Joelの「Piano Man」を流す。
ゆったりしたピアノが、彼の“俺基準”をふわっと包む。
「正しい人ってね、正しいって言わないの。黙ってても、周りが“あの人正しい”って思ってくれるのよ」
「いや、でも俺の場合はさ――」
「ほらほら、また“俺の場合”が始まった」
二杯目のジャックを注ぎながら、あたしはにやりと笑う。
男は、ジャックをひと口飲んでから、また眉をひそめた。
「でもな、ママ。世の中、正しいやつが勝つんだよ。間違ってるやつは淘汰される。それが現実だろ」
でたー。
勝ち負け基準。
「あら、淘汰されるって言葉、好きねぇ」
「事実だからな。俺はそうやって仕事でも結果出してきた」
「ほうほう、結果ねぇ」
あたしはカルーアミルクを自分用に作って、わざと氷をカランと鳴らした。
「じゃあ、あんたはその“正しさ”で、この店を変える気なの?」
「変えるっていうか、アドバイスだよ。俺、よく言われるんだ、人を見る目があるって」
なんか可哀想になって来たわ。
まあいいけど。
あたしは、柿ピーを一口。
「あら、それはすごい」
「でしょ? だから俺が言うことは、大体当たってる。まぁ、受け入れる人と、ひねくれて拒否する人がいるけどな」
「へぇ、で、私はどっち?」
「ひねくれてるほうだな。でも、まぁそれも魅力ってやつかもしれないけど」
お次は、心広いでしょアピール入りました。
「ありがと、褒め言葉として受け取るわ」
「まぁ、ママのためを思って言ってるだけだ。酒の種類増やす、枝豆は生、つまみはもう少し工夫――そうすれば客層も広がる」
「……ねぇ、それ全部やったら、この店、普通の店になるじゃない」
「普通のほうが長続きするんだよ。尖ってると、そのうち潰れるぞ」
「潰れたら?」
「そりゃあ、正しい運営してる他の店に客が行くだけだ」
あたしはグラスを軽くトンとカウンターに置き、笑った。
「ねぇ、正しい人って、正しいだけで面白いの?」
男は口を開きかけて、少し間を置く。
あたしは、ぼりぼりと柿ピーをむさぼる。
「……まぁ、面白くはないかもしれないけど、損はしない」
お次は損得。
二宮尊徳。
古い……。
あら?
知ってるの?
あんたも古いわね。
あたしは教わったの、おばあちゃんから。
ほら、薪を背負って本読む人。
今なら歩きスマホで怒られるタイプね。
「あら、あたしは損してもいいから、面白いほうを選ぶわ」
男は片頬を上げて、首をひねる。
「でね、あんた押し付けない方がいいわよ。必要としてくれる人だけにあんたの正義を教えてあげればいい」
あたしは、グラスを軽く揺らして、氷を鳴らす。
「違う考え方を持った人もいるし、そこにあんたの正義を振りかざしても、笑われるだけよ」
「たぶん、今まで出会った人が優しかっただけね、それかあんたには言っても無駄って思われてたのかもね」
あたしは、さりげなく次の曲をかける。
ロッド・スチュアート「Sailing」
男は肩をすくめて、三杯目のジャックを頼んだ。
磨いた時計に氷の水滴が落ちて、男は親指で慌てて拭う。
光沢は、ちょっとだけ曇る。
「そう。正しい酒は薄いのよ。うちは面白いほうを濃いめでね。まあどれも間違いじゃないけどさ。……そうそう、あたしの髪型だけは普通でしょ」
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