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ジェラピケのママ  作者: ぽんこつ


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28/30

みちしるべ

今回のお客は「カゲヌシ」に出てきたあの人物です。

*「カゲヌシ」のネタバレも含まれています、予めご了承ください。」

今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。

「SEVEN DAYS WAR」

一年の始まりはお餅よね。

食べ過ぎてお腹が餅みたいになったの。

……

嘘よ。

ずーっと寒いわ。

今年の冬。

コートが手放せない。

ブルーのゆる内巻きセミロングのカツラの毛先を指に巻き付ける。

元日早々からやってるのあたしの店。

結構来るのよお客さん。


カラン。

ほらね。

言ったそばから、今日もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、またひとり転がり込んできた。

縁のない眼鏡をかけた男。

白のスニーカー。

黒のパンツに、ハーフコートをまとい、首元からスカイブルーのタートルニットが顔を出している。

「こんばんは」

低く穏やかな声音。

三つある丸椅子の奥に腰を下ろした。

「いらっしゃい。ジャックでいいかしら?」

「ええ」

カウンターに手を添え頷く男に、あたしは枝豆の皿を差し出す。

それを一つ摘まみ上げ口に運ぶ。

左手にはエンゲージリング。

デザインはずいぶん古そうな気がするわね。

親御さんから受け継いだのかしら、今どき珍しい。

男は顔を上げたかと思うとすぐに視線をカウンターに落とした。

こういう時、人はたいがい迷っている。

あたしはジャックを注いだグラスをコースターに乗せる

「どうも」

男はそっとグラスに口をつけた。

「いい店ですね。聞いてはいたけど予想よりはるかにいい」

「あら、うちのお客の知り合いなの?」

「ええまあ、清原慎哉って陰陽師、覚えてます?」

「覚えてるわよ。ロングの跳ね毛の子でしょ。あの子髪切ったのかしら?」

「いや、そのまま」

頬が緩んだ男の口から、小さく吐息が一つ残る。

「話してちょうだい。一期一会の縁よ」

あたしは軽く両手を広げ笑って見せる。

眼鏡の奥の瞳が少し緩む。

「……彼女が、記憶失くしてしまって」

「……そう」

「事故でね……しかも俺を助けて……」

グッと口を一文字に結び、男は目を閉じて深く息を吸い込んだ。

「知り合ったのは高校の時で、付き合っていた訳じゃないんだけど、互いに惹かれてた」

「じゃあ、付き合いは長いの?」

「いや、当時俺自身が家のこととか色々あって、地元を抜け出したくて高校卒業を機に東京の大学に進学した。そして地元の事は忘れたくて彼女とも連絡を絶ったんだ……」

ジャックを飲む男に合わせて、あたしも氷を鳴らす。

カラン。


曲が終わったので次のを流す。

徳永英明「道標」

「今年の夏、八年ぶりに再会して……」

「そこで、想いが通じ合ったのね」

「まあ、そうなるね」

男は琥珀を飲み干す、空になったグラスの中で氷が遊ぶ。

あたしは、ジャックを満たしたグラスをそっと置いた。

「どうも……」

枝豆をひとつまみする男に合わせて、あたしも枝豆をひとつまみ。

「そん時にね、事故が起きたんだ。記憶を無くしても彼女の本質的な優しさとかは変わってないけど、以前に交わした言葉や時間がふと甦ってきて……」

「……そこに惚れたんだもんね」

男はフッと笑い、中指で眼鏡を押し上げる。

「彼女が生きていてくれるだけで幸せなんだけど。俺を救ってくれた会話や笑顔がね……」

グラスを手に、男の目尻が下がる。

何かがよぎったんだろう。

それだけ、記憶を無くす前の彼女の男に対する愛が深いものだったことを物語っている。

「気を悪くしないで、記憶は戻らないの? 医者はなんて?」

大きく首を振り、男はうつむいた。

「分かっているんです。考えても仕方ないことぐらい」

「そっか、あんたを変えるほどの存在だったんだね、その想い出の中の彼女は」

「ええ、何気ない言葉が全部自分へのメッセージでした。好きだよっていう。大切だよっていう。寄り添ってくれていましたから」

寄り添って。

この言葉が彼女を象徴しているように思えた。

ジャックを口に含んで、男は顔をしかめる。

「気づくのに八年かかりましたけど……」

苦笑する男。

「気づいただけいいじゃない。気づかない人間だっている」

「自分の居場所を探して東京出て就職して……でも居場所は彼女の傍だった。おかしいでしょ?」

「どこが? 全然おかしくないわよ。居場所を見つけられた。気づけたあなたは十分幸せよ」

「ですよね……」

眼鏡に琥珀色が反射して、男の瞳を淡く包んでいた。

「例え彼女の記憶が戻らなくても、あんたは愛していくんでしょ?」

「はい」

「あら、即答ね。いいわ真っ直ぐで。婚約はしているのね?」

男は左手の指輪をさする。

「今年の彼女の誕生日に式をって考えていたんですけど、彼女の状態もあるんで、延期になりました」

「彼女は戸惑ってると思うわ。何せ記憶がないんだから。どうなの彼女の気持ちは?」

「自分が恋人だったというのはスマホの履歴とかで察してはいるようです。それで自分を好きになろうと……頑張ってくれている」

男は眼鏡を外し、片手で顔を覆った。

両の頬からは滴が落ち、肩と唇は小刻みに震えている。

さすがのあたしも察しようがなかった。

男の中には自分に寄り添ってくれた、あの日の彼女の笑顔や想い出。

それと比べちゃいけないと分かっていても心のどこかで思ってしまう。

それは消せるものでもないし、忘れていいものでもない。

今の彼女は自分を愛そうとしてくれている。

自然発生的にではなくて、男の好意や愛情に報いるために。

かつて自分が愛していた人だから。

あたしは、ジャックをあおる。

つられそうになるから胸を焼く。

大きく深呼吸をして、二人分のジャックを作る。

でもきっと、この男は何があっても、そばに居続けると思うわ。

この涙や想いの葛藤が彼女への愛と感謝の証だもの。

「飲んで……」

カラン。

氷の音を鳴らしてグラスを置く。

涙を手で拭いながら、男は小さく頭を下げる。

真っ赤な目は透き通るほどに澄んでいた。

「あたしでよければ、話聞くからまたいらっしゃい。よければ彼女も連れてきて、会ってみたいわ」

掲げたグラスに、男はカウンターに手をついて深々と頭を下げる。

「やめてよ、神様でもないのよあたしは」

きっと男は初めて誰かに苦衷を語ったのだろう。

慎哉のアドバイスがあったにしても。

場末のバーの主のあたしに。

だからこそなのかもしれない。

「ええ、必ず」

顔を上げた男は、眼鏡をかけると、グラスを手に笑って見せた。

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