君に会うために生まれた夜
今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。「We Love the Earth」
歌詞がいいのよ「君に会うために生まれた、愛するために生まれた……」
実際、この言葉を言って貰った人はいるのかしら?
まあ、あたしは年中言ってもらってるわよ。
ボーカルの宇都宮に。
にやり。
今日は、オフホワイトのハート柄のアランニットワンピース。
もちろんジェラピケ。
カツラは外はねセミロング。
カフェラテを少し焦がしたようなモカブラウン。
外はねって若作りっぽいじゃない?
若い子がやれば“抜け感”。
あたしがやれば“やつれ感”。
まあいいの。
笑ったやつ。
同族よ。
そして、今日もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、またひとり転がり込んできた。
彼女は、濡れた子犬みたいな顔でドアをくぐった。
カウンターに腰を落とすなり、「甘いやつ……」とだけ。
あきらかに心を置き忘れたようなか細い声。
輝きを失った瞳は今を見ていない。
柿ピーの皿を取りながら、彼女を横目で見ると、少しだけ口元が緩む。
――失恋ね。
カルーアミルクを差し出すと、彼女は指先でグラスの曇りをなぞった。
それは、ただの癖じゃない。
なぞっては止まり、またなぞっては止まる――
未練が行ったり来たりしているのが、丸見え。
あたしはフェーダーを下げる。
TM NETWORKの「We Love the Earth」がフェードアウトしていく。
あの“君に会うために生まれた”なんて、今の彼女には毒すぎる。
ひと口飲んで、ぽつり。
「別れたの」
グラスを持つ手が揺れるたび、氷の音が小さく鳴る。
飲み干すわけでも、置くわけでもなく、ただ唇を寄せては離す。
視線は溶けたミルクの中――
たぶん、彼女の中の思い出と同じ。
まだ涙は出てこない。
だから、流してやる。
無音の店の中に、グラスの氷が小さく溶ける音が混ざった。
次に流すのは、宇多田ヒカルの「First Love」。
あの切り裂くようなイントロが、空気を変える。
彼女は一瞬だけまばたきして、それから目を伏せた。
視線は低いまま、でも目尻はまだ乾いている。
泣きそうで泣けないとき、人は逆に疲れるのよ。
「ほら、泣きなさい。カルーアは逃げないから」
彼女はグラスを両手で包んだまま、唇を嚙みしめていた。
もう一押し。
「泣いても負けじゃないのよ、今よ。想い出はここに置いときなさい」
その瞬間、グラスを持つ指が小さく震える。
白いカルーアに一粒、涙が落ちて、小さな波紋が広がった。
そして両手で持ったグラスを一気にあおった。
堰が切れたら最後。
ポロポロと止めどなく、そして憚ることなく顔を揺らしながら泣いている。
あたしは、ジャックの水割りを作る。
本気だったこの子の胸を、今夜だけは静かに焼いてあげたくてね。
氷が溶ける音に、泣き声が重なっていた。
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